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55. 声



 イルザが初めてその声を聞いたのは、最初の地震の日だった。

 ミランと共に王妃の元へ向かっていたイルザは、数名の護衛とアルマを連れて東宮から王妃の宮へ通じる渡り廊下を歩いていた。


 ふと、どこからか声が聞こえた気がして、イルザは足を止めた。

 空は今にも雪が降りだしそうな曇天で、庭にも廊下にも自分たちの他に人影はない。

 気のせいかと思って歩き出そうとすると、また聞こえた。

 それは男の声のようだったが、扉の向こうで話しているように遠かった。

 再び足を止めたイルザを振り返ったミランの声ではない。

 辺りを見回すが、ミランを守るように囲んだ護衛達も口を引き結んでいる。


 途切れ途切れに聞こえていた声が、徐々にはっきりとした言葉になり、イルザの顔色が変わった。

 呻くようなその声と連動するように、頭が痛み始めていた。



(――、――許さない。殺してやる!)



 そう聞こえて、身の毛がよだつ。

 強い憎しみの籠るその声が、竜の声だとイルザは直感した。


 細々と聞こえているだけだった声は、すぐ隣にいるかのようにはっきりと、その声以外の全ての音をかき消して頭に響く。

 耳を塞いでも声は聞こえ続け、締め付けられるようなひどい頭痛に平衡感覚を失ったイルザは、その場に座り込んだ。



「もう、やめて……!」



 イルザが小さく呟いた途端、



(……誰だ!!)



 叫ぶような声が頭に響き、殴られたような衝撃を感じた。

 繰り返し誰何する声は、頭から首、背中まで割られるような痛みをイルザに与えた。

 苦痛と恐怖のあまり涙が出て、もはや自分の声すら聞こえない。




「……ルザ! イルザ!!」



 どれくらいそうしていたのか、強く抱き締めるミランの腕と声がイルザを正気に戻した。

 頭の中を反響していた声は唐突に消失し、頭痛が跡形もなく消えた。

 息をついて呼吸を整えたイルザが、きつく閉じていた目を開けると、険しい顔のミランに抱き抱えられていた。



「……殿、下………今……」



 言いかけて、イルザは地面が小さく揺れている事に気付いた。

 カタカタという微かな音と揺れに息を呑む。

 直後、唸るような轟音と共に、大きな揺れに襲われた。

 激しい揺れに騎士も含めた全員が体勢を崩し、床に倒れ込む。



「殿下!!」



 イルザは咄嗟にミランの頭を胸に抱え込んだ。

 その後すぐにアルマがイルザに覆い被さったので、ミランは身動きが取れなくなった。

 騎士達もミランとイルザを守るように固まるが、立つことはできない。

 廊下に懸かる屋根からは砂埃が落ちてきて、あちこちで建物が軋む音や、何かが割れる音がする。

 


 地面に這いつくばっていた時間は数十秒だろうか。



「――イルザ」



 背中をそっと叩かれて、イルザはようやく揺れが収まっている事に気付いた。

 震えながらもがっちりとミランの服を掴んでいたイルザの手から力が抜けた。

 そのまま座り込んだイルザは、真っ白な顔でミランを見つめて、唇を震わせた。



「……どうぞ、陛下の元へ……」



 ようやくそれだけ言ったイルザに頷き返したミランは、護衛とともに国王の元へ駆け出した。

 足に力が入らないイルザは、同じく腰が抜けたアルマと一緒に、残った騎士の手を借りて立ち上がる。

 頭痛はすっかり消えて、声も聞こえなかった。



 イルザ達がいる渡り廊下からは、遥か遠くの山脈まで見渡す事ができる。

 イルザは恐る恐る、竜が眠る湖の森を視界に捉えた。

 何事もなかったかのような、いつもと変わらぬ光景だった。

 止めていた息を吐き出したイルザは、騎士に促されるまま王妃の部屋へと急いだ。



***



 それ以来、イルザには時折竜の声が聞こえるようになっていた。

 日によって声の大きさはまちまちで、何を言っているのか全く分からない日もあれば、そこにいるかのようにはっきり聞こえる日もあった。


 声が聞こえる時には、決まってひどい頭痛に悩まされた。

 表情に出さないようにしていたが、アルマやマリーには不調を悟られてしまった。

 過労だと思われたようで、もっと休んで欲しいと懇願された。

 心配してくれる二人に本当の事を言えないのは心苦しかった。

 そしてミランにも、声の事は言えずにいた。


 お互いに忙しく、ゆっくり話す時間もなかったうえ、日に日に顔色が悪くなるミランに、これ以上の負担をかけたくなかった。




 厄災は次々と王国を襲った。

 事前に準備していなければ、早々に国は大混乱に陥っていただろう。

 ぎりぎりのところで持ちこたえながら季節は巡り、また冬が訪れた。



 噴火の影響で、灰色の雪が降りしきる夜だった。

 いつもより大きく聞こえた竜の声に眠ることができなかったイルザは、私室の窓から真っ暗な外を眺めた。



(……竜は、もうすぐ目覚める)



 夢の中でも、竜の乙女が声を聞くようになってから一年後に竜は目覚めた。

 今は夢うつつの状態の竜が完全に覚醒すると、湖の底から這い出して、憎悪のままにこの国を滅ぼしてしまう。


 異常な寒さや食糧不足で、死者と病人は増え続けている。

 王宮は休みなく対応に追われており、激務に体調を崩す者も多い。

 先だってはライノアが倒れ、昨日倒れたミランも高熱で動けない。


 誰もがとっくに限界だった。

 このうえ竜が出現して暴れまわれば、間違いなく国が崩壊するだろう。


 竜を何とかするとミランに言ったが、その方法をイルザは知らない。

 夢で見たと言ったが、嘘だ。

 いつものミランであれば、騙されるはずがなかった。




(……竜の乙女がいないなら、私が竜を止めなくては)



 イルザは、震える手を握り締めた。

 寒くて怖くて、仕方がなかった。




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