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50. 舞踏会



 その夜、王宮はあちこちに灯された明かりに照らされ、幻想的な雰囲気に包まれていた。


 薄明かりの中を、着飾った少女達とエスコートする男性達がひそひそと語らいながらゆっくりと移動していく。

 彼女らが動く度、身に付けている宝石や金銀の飾りが光を弾いて輝いていた。


 向かうのは白い大理石の階段を登った先、白い扉の向こうにある王宮で最も絢爛豪華なホールだ。

 高い天井からはいくつもシャンデリアが吊り下げられ、白い壁や柱は植物をかたどったレリーフと金で装飾されている。


 広いホールは色とりどりのドレスで着飾った招待客で溢れ、今か今かと主役を待ちわびていた。

 今宵は、王太子の婚約者が初めて御披露目される舞踏会である。



***



 大騒ぎをしているわけではないのに熱気に満ちたホールの隣は、控え室になっている。

 大きな鏡や肖像画が飾られたきらびやかなその部屋に、ミランとイルザがいた。


 ミランは十九歳になり、背がずいぶんと伸びた。

 毎日訓練を続けている身体は引き締まり、均整の取れた体つきに王太子の白の正装が良く似合う。

 整った眉の下のくっきりとした二重、長いまつ毛の下の澄んだ瞳には知性が宿り、すっきりとした輪郭が以前より精悍で、大人びた印象だ。


 緊張した様子もなく悠然と出番を待つミランの隣には、白のドレスを身に纏うイルザが立っていた。

 いつもよりしっかりとメイクしたイルザは神々しいほどの美貌で、長い首や手首を飾る貴重な真珠に、光沢のあるシルクのドレスが上品だ。

 ドレスの形はシンプルだが、後ろに長く伸びる裾のレースが美しく、背中が見えるデザインはイルザの大人びた色気を引き出している。



 うっすらと笑みを浮かべたイルザは、知らない人が見れば堂々として見えるだろう。

 しかし実際には、先ほどからずっと手足が震えており、アルマやマリーが心配するほど表情も堅い。


 扉の向こうから漏れ聞こえる喧騒に、イルザの緊張は一気に高まっていた。




 王宮に来てから既に五年、礼儀作法は考えずとも体が動くようになった。

 今では王妃が太鼓判を押すほど所作は美しい。

 国中の貴族達の名前はもちろん、その家族構成や治める領地の気候や産物などあらゆることを覚え、会話もそつなくこなせる。


 それでも広いホールを埋め尽くすほどの人を前にするのは、イルザには初めてのことだ。

 これによって王太子が選んだ婚約者の印象が決まると思えば緊張した。


 加えて、イルザにとって舞踏会は、憧れの場所というだけではなかった。

 美しいシャンデリアと凄惨な死が、今でもイルザの脳裏に焼き付いて離れない。

 当然、ありとあらゆる可能性を考慮して対策し、イルザも立ち会って何度も点検を行った。

 だが、不安を拭い去ることはできなかった。



 目が回るような気がしてきたイルザの手を、ミランがそっと掴んだ。

 以前より大きなその手を辿って見上げれば、ミランがいつものように微笑んでいた。

 少し長くなった髪を軽く後ろへ流していて、イルザは思わず見とれた。



「イルザ、大丈夫だ。何度も一緒に確認したし、万が一があっても、貴女を抱えて避けられる。イルザが転びそうになっても支えるし、視線が怖いなら私だけを見ていればいい。いつも通りで大丈夫だよ」



 ミランの碧の瞳をじっと見つめたイルザは、一度目を閉じて深呼吸した。

 それからゆっくりと目を開けると、美しく微笑んでみせた。

 完璧な笑みに、ミランはかつて表情を失っていたイルザの努力を思う。



「――はい、殿下。……殿下さえいてくだされば、私は大丈夫です。殿下の為ならば、なんだってできるのですから」



 自分に言い聞かせるように言ったイルザの言葉に、ミランは思わず顔を赤らめた。

 赤くなった顔を、イルザの手を握るのとは逆の手で覆う。



「殿下?」



 イルザが尋ねると、ミランはしばし沈黙した後、どこか困ったような顔でイルザに笑いかけた。

 目をしばたたかせるイルザの手をそっと持ち上げると、甲に口付ける。

 そのまま更に一歩近付き、イルザを抱き寄せながら手のひらにも口付けた。

 その温かく柔らかな感触に、今度はイルザが顔を赤らめる番だった。



「……唇へ口付けるのは、我慢するよ」



 いつもより赤く染められた自分の唇を意識して、思わずミランの唇を見つめたイルザは赤い顔で俯いた。


 その時、控えの間に置かれた時計がボーンと鳴って、同時に、扉の向こうでミランとイルザの名が呼ばれた。

 そっと身体を離して差し出しされた腕に、イルザは手を添える。

 未だに頬は熱く、イルザは少しミランを恨めしく思ったが、上機嫌なミランと目が合うとどうでもよくなった。


 見つめあってどちらともなく笑うと、開け放たれた扉に向かってゆっくりと歩き始めた。




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