41. 罪
「――殿下、申し訳ありません………もう一度、おっしゃってください」
イルザとミランしかいない生徒会室は静まり返っていた。
冬休みが近づく学園で、イルザは震える手を胸の前で握りしめながら何とかそう口にした。
「……竜の乙女は、来年の入学者の中には、いない」
ゆっくりと繰り返したミランに、言葉を返そうと口を開いたイルザは、しかし何も言えなかった。
イルザはすでに十五歳。
夢では来年の春、竜の乙女が入学するはずだった。
だが、受験者の一人一人を確認しても、それらしき人物はいないという。
言葉を失うイルザに、ミランが声を掛ける。
「あまり気を落とさないで。まだ時間はある。諦めずに探そう」
「………はい」
イルザはそう答えながら、これまで漠然と感じていた不安が、いよいよ無視できない程はっきりと目の前に現れたと思った。
心臓の鼓動が、嫌に大きな音で体に響いていた。
***
そこからどうやって寮に帰ったのか、イルザは覚えていない。
気付けば鉄格子の嵌まる自室の窓の前に立ち、ぼんやりと外を眺めていた。
傾き始めた太陽が山の稜線を輝かせ、学園の庭と、塀の向こうに広がる街を赤く染めている。
迷路のような街並みには、多くの民が暮らしている。
王都と比べるとこじんまりとして雑多だが、大通りは忙しそうに大声を上げながら働く人でいつも賑わっていた。
細い路地にも荒んだ所は無く、手を繋いで歩く恋人や走り回る子どもたち、それを見守る老人まで、皆が笑顔で明るい。
誰もが今日と代わらぬ明日があると信じて、平和な日常を享受している。
ぽつりぽつりと明かりが点り始めた街に、夢の光景が重なった。
夜空を赤々と照らし、炎が天を衝くように燃え盛る。
街を飲み込む炎を漆黒の鱗に映し、月のような金の瞳を光らせた竜が、街を瓦礫に変えていく。
逃げ惑う人々に、竜は容赦なく襲いかかり、悲鳴や泣き声、うめき声が火炎と共に夜空にのぼり、やがて消えていく。
不気味に静まり返った夜が更けて、明くる朝には、屍と血と灰にまみれた瓦礫しか残らない。
空気を震わせて、街の中央にある教会の鐘が鳴った。
夢の光景は消えて、いつもと同じ、美しい街がそこにある。
(このまま、主人公が現れなかったら……)
夢の通りに竜が目覚めた時、一体誰が彼を止められるのか。
止められなければ、この国は滅びるだろうか。
(――私のせいだ……)
イルザは、夢の中の自分と、今の自分が全く違う人生を歩んでいるという事実から、ずっと目を反らしてきた。
そうかもしれないと疑いながら、気付かない振りを続けてきた。
挙げ句の果てが、竜の乙女が居ないという今の現実に繋がったのだと、イルザは確信していた。
つまり、イルザが夢の中の物語と違う行動をとり、違う選択をし、死ぬこと無く生きているために、もはやこの世界は夢とは違う道を進んでいる。
(私のせいで、竜の乙女が存在しないのだとしたら、そのために国が滅びるのなら……なんて罪深いことか……)
『――私より、あなたの方が罪深いのではないかしら?』
耳元で、麻の服を着たイルザが囁いた。
「……消えて……私は、あなたのようにはならない……!」
『でも、殿下が愛した乙女が、いなければいいと願ったでしょう?』
「……そんなこと、望んでないわ!」
輝くシャンデリアの下で、ミランと手を取って踊っていた美しい少女。
夢の中のミランが、唯一愛した竜の乙女。
『彼女さえいなければ、私はずっと殿下の側にいられる。主人公は皆に愛されるのに、私は誰にも必要とされない。不公平だと思わない? 私は殿下だけを望んでいるのに』
「殿下は、主人公しか愛さないわ……」
『殿下は竜の乙女を愛してはいけないのよ。待っているのは破滅だわ……だから私は何も悪くない』
「……違う。殿下は愛する人と、幸せになるの……竜の乙女が現れたら、身を引くつもりだった……」
『嘘よ。アレクシアの時も、そうだった』
イルザは窓の下に置かれた椅子に力無く座り込んだ。
竜の乙女がいないと言われて、イルザは一瞬安堵した。
そんな自分が、許せなかった。
初めは、自分が生き残るためだった。
婚約者になれば、死ななくて済むかもしれないと思った。
それがいつの間にか、ミランに惹かれていた。
私を側に置いてほしい。
私を選んで欲しい。
その願いが叶わぬのなら、せめて要らないと言われるまで、隣にいたいと願った。
ミランすら騙し、処刑の夢はひた隠しにした。
最初からずっと自分勝手なイルザの欲が、国を救うはずの少女の存在を喪失させたのなら。
イルザのせいで国が滅び、何万人もの人の命が奪われるのなら。
イルザは青ざめながら自分の浅はかさに震えた。
(厄災はもう、一年後に始まるというのに――)
厄災が起きるのなら、イルザは存在してはならなかった。
災いがただの夢であれば、イルザがミランの婚約者である意味はなかった。
どちらにせよ、イルザはミランの側にいてはいけなかったのだ。
「……殿下……」
灯された明かりに照らされた街が、暗闇の中に浮かび上がっている。
ミランが大切に思うこの国と民が、このままでは全て失われてしまう。
街の明かりが、涙で滲んで見えなくなった。
(……今ならまだ、間に合うでしょうか――)
暗い部屋で明かりもつけず、イルザはその場から動けずにいた。




