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40. 秘密



 学園は夏と冬に長期の休みがある。

 日射しがジリジリと肌を焼くその日は、夏休み前日だった。


 ミランは翌日の公務のため、早々に学園を発った。

 付き添うのはクラウスなので、一人手持ち無沙汰になったエルガーはイルザ達に一声かけようと、一学年の教室に足を向けた。


 長い廊下の向こうにアレクシアの姿が見えて、ちょうど良かったと思ったのも束の間、アレクシアのひどく慌てた様子に緊張が走った。



「アレクシア様!」



 エルガーから声を掛ければ、振り向いたアレクシアは少し泣きそうな顔をした。



「一体どうしたんです? イルザ様はどこに?」



 アレクシアには珍しく、早口で告げた言葉に、エルガーは直ぐに駆け出した。




 あちこち走り回って辿り着いたのは、先日の裏庭だった。

 そこで、リーヒェンとイルザは向かい合って立っていた。

 エルガーがイルザを庇うように二人の間に入ったのは、以前の事を考えれば無理もないことだろう。



「――ここで、何をしている」



 思ったより低い声が出たが、それを気遣う余裕はエルガーにはなかった。

 リーヒェンが硬い表情で一歩下がったので、剣を抜いた時のように殺気立っているのだろう。

 そこへ、遅れてアレクシアもやってきた。



「……イルザ! よかった……心配したわ……」



 息を切らしたアレクシアは、イルザに抱き付いて安堵の表情を浮かべた。

 イルザには特に変わったところはなく、少し困った様子で口を開く。



「エルガー様、アレクシア、……大丈夫です。リーヒェン様と……平和的に、お話しをしていただけです」



 イルザが言葉を濁したのを、リーヒェンが補足した。



「私が、イルザ嬢に謝罪をして、受け入れてもらったところだ」



 アレクシアとエルガーは驚いてリーヒェンを見つめた。



「……イルザ、本当に……?」



 リーヒェンは、どうやらよっぽど信用されていないらしい。

 思わず問い掛けたアレクシアに、イルザは頷いた。

 ため息をついたリーヒェンは、イルザに向き直る。



「……お引き留めして、悪かった。王宮へ帰る準備がおありでしょう。また、新学期にお会いしましょう」



 まだ困惑しきりのアレクシアと、硬い表情のイルザが立ち去ると、エルガーはリーヒェンを問い詰める。



「一体、何があった?」



 リーヒェンは黙って周囲を窺い、少しエルガーに近づいて囁くように聞いた。



「エルガー。今、周囲に誰か居るか?」


「……? ……いや、居ないと思うが」



 リーヒェンはエルガーを見つめて声を潜めた。



「……お前は、イルザ嬢に関する噂をどれ程知っている? 彼女の、夢に関する噂を聞いたことがあるか?」



 唐突な質問だったが、エルガーは生真面目に答えた。



「昔、メルジーネ家の上の娘は呪われていて、屋敷の外に出せないとか、性格が悪いとかいう話を聞いた気がするが。夢については、先日リーヒェンが殿下に話した時に耳にしたのが初めてだ」


「……そうか。エルガーはこれまで社交より武芸に力をいれていたから、その程度かもしれないな」



 リーヒェンは少し考えてから、また話し始めた。



「……二年前、俺が隣国へ留学するのが決まった頃、イルザ嬢の評判は最悪だった。呪われた魔女、嘘つきの悪女と呼ばれていた。彼女を嘘つきだと言った俺にも原因はあるが……彼女は恐れられていたといってもいい」



 確かに噂に疎いエルガーすら知っていたのだから、その高が知れる。



「だが、それが今やどうだ。たったの二年で、彼女に関する噂は真逆だ。殿下の婚約者という地位に、手のひら返しも当然あるだろうが、魔女どころか聖女のような扱いではないか」


「……それだけイルザ様が努力したのではないか? 人の評価など、変わりやすいものだ」


「彼女の実家は、特に地位も権力もないメルジーネ伯爵家だ。彼女を蹴落としてでも王太子の婚約者になろうとするものも多かった筈だ。現に、当初の魔女の噂は、彼女の美貌を警戒した貴族たちが積極的に広めた節がある。にも関わらず、なぜ今に至るまでイルザ嬢は理想的な殿下の婚約者であり続け、彼女の悪い噂は消えたのか」


「……」



 たしかに、エルガーの父もこんなに評判の良い婚約者は聞いたことがないと、何故か自慢気に話していた。

 王太子の婚約者は、結婚するまで、あくまで妃候補である。

 いつでも口さがない噂の的で、彼女らは相当な気を使うと聞いたことがある。

 たかが噂で婚約者という立場を追われる者もいたし、婚約者の地位を守れなかった者の末路は悲惨の一言に尽きる。

 だが、最初から悪い噂ばかりだったはずのイルザは、何故その座から引き摺り下ろされていないのか。



「覚えているか? 俺が殿下に婚約破棄を迫った時だ。殿下は、イルザ嬢の不吉な夢を知っていた。たかが夢と言っていた。つまり、知っていてなお、彼女を側においたんだ。……考えてみれば、王太子の婚約者を決めるとき、その令嬢の過去や身辺を調べないはずがない。国が滅びるなどと物騒な事を言っていた令嬢を、普通、王族には迎えいれないだろう? なのにイルザ嬢は王宮に入った。それどころか王家は彼女の噂を消して、守っているように見える」



 エルガーはリーヒェンの言いたいことが分かったが、声にならなかった。



「……この裏庭で、話をせずに立ち去ろうとした俺に、イルザ嬢は“待て”と声を掛けた。……あの時俺は、止まらないつもりだったんだ」



 いつも堂々として自信に満ちたリーヒェンが、寒そうに身体を抱えて青ざめていた。



「……だが、身体が勝手に、彼女の声に従ったんだ」



 あの時のリーヒェンの強張った表情が恐怖だったのだと、エルガーはようやく理解した。



「イルザ嬢は、魔女だ。……だが、最早そんなことはどうでもいい」



 リーヒェンは暗い目でエルガーを見据えた。



「俺は、間違っていた。……あの夢は、現実になるかもしれない」



 まさか、とは言えなかった。

 校舎の壁に囲まれた裏庭に風はなく、誰の声も聞こえず、あまりにも静かで冷たかった。



***



 夏休みに入ってすぐ、エルガーとリーヒェンの元に手紙が届いた。

 差出人はミランで、二人は同じ時に王宮へ招かれた。


 登城した二人を出迎えたのはミラン一人だった。

 王宮に暮らすイルザも一緒だろうと思っていたエルガーとリーヒェンは目を見合せる。



「イルザは今日、王妃陛下とお出掛けだ。ドレスを見に行くと言っていたから、夕方まで帰らないよ」



 リーヒェンは少しほっとした様子だった。



 通されたのは壁一面が本棚になっているミランの執務室だ。

 机や椅子に本が積み重なり、壁に納められた本にはたくさんの栞が挟まれていて、それらがただの飾りではないことが分かる。


 二人は勧められるままソファに座り、お茶を飲んだ。

 注いでくれたのは侍女のマリーだ。

 昔から殿下の側にいるこの侍女が只者ではないと気付いたのはいつだったか。

 昔から見た目の変わらない彼女は、気配を消して壁際に控えた。



「……こうして三人で集まるのは久しぶりだな。幼い頃は、よく庭を駆け回って遊んでいたのに」



 ソファに移動したミランは懐かしそうに言った。



「ああ……俺が留学する前に、一度集まって以来だろうか?」


「あの時は慌ただしかったな」



 ひとしきり話すと会話は途切れた。

 開け放たれた窓から、ぬるい風が吹き込む。

 風を辿るように窓の外を眺めていたミランは、ついと視線を二人に戻して沈黙を破った。



「リーヒェン、エルガー。王太子として聞く。生涯、私に忠誠を誓うか?」



 感情のない平坦な声だった。



「当然です。そのために生まれたようなものです」



 迷いなく応えたリーヒェンに、ミランは苦い顔をした。



「エルガーは?」



 少し考えてから、エルガーは真っ直ぐミランを見た。



「俺は、大切な人と、この国を守るためにこの身と剣を捧げます。殿下が人の道を外れない限り、貴方の命令に従い、貴方を守ります。」



 それを聞いたリーヒェンは思わず腰を浮かせた。



「エルガー! それは……!」


「いいんだ、リーヒェン。エルガーはそれでいい」



 ミランはリーヒェンの言葉を遮ると、少し笑って二人を見つめた。



「……ありがとう。二人とも、頼りにしている」



 しかし言葉とは裏腹に、ミランは自分たちを頼らないだろうとエルガーは思った。


 ミランは笑みを消して口を開いた。



「これから話す事は王国の機密だ。決して他言してはならない。――これは、命令だ」



 そしてミランは、リーヒェンとエルガーにイルザの夢の詳細と、それを王家が信憑性有りと判断して、イルザを婚約者として保護していることを告げた。 


 他に誰もいないと思っていた裏庭で話した内容が、ミランに伝わっているのだと二人は理解する。

 王家の諜報部隊が存在する事は知っていたが、その手腕に背筋が冷たくなるのを感じた。

 


 一通り話し終わると、黙って聞いていたリーヒェンが問い掛ける。



「王家はなぜ、イルザ嬢の夢を信じたんだ? 理由が分からない」



 ミランは首を横に振った。



「それは話せない。それに完全に信じているわけではない」


「では竜は? 竜が現れるなんてお伽噺も信じるのか?」



 ミランは難しい顔になった。



「それについては私にも判断できない。厄災については、イルザが王宮に入ってすぐに災害の可能性が高い地域や危険箇所を徹底的に調べるように王命が下った。その調査結果とイルザの夢を参考に、ライノアが中心となって整備を進めている。だが、竜に対処する方法なんて誰も知らない。信じるか否かは別として、やれることが殆どないんだ」


「……大砲でも準備しますか?」



 エルガーは海の向こうの帝国に有るという兵器を思い出して言ってみたが、実際に見たことはない。



「あまりしたくないな。今は平和な時代だから、国防費を増やすのは難しい。それに戦の準備をしていると隣国に誤解されれば要らぬ軋轢を生む」


「金髪金目の少女については? 竜と会話できるなんて、それこそ眉唾物だが」


「探してはいるが、未だに見つからない。表立って探せないし、充てられる人員も少ないから難航しているんだ。来年学園に入学するとイルザは言っていたが……私は、入学しないのではないかと思っている」


「イルザ様は、何と言っているのですか?」


「……イルザは、何も言わないよ。彼女自身、悪夢について懐疑的だしね」


「そうなのか?」



 リーヒェンは驚いて思わずそう口にしたが、エルガーはそんな気がしていた。



「ああ。……イルザは悪夢も、自分自身のことも、信じていないんだ」



 ミランは視線を落として、ぬるくなったカップを見つめた。




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