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04. メルジーネ家



 イルザの生家であるメルジーネ伯爵家の初代は、リュートを弾いて王に仕えたといわれている。

 恐らく元々は、国に属さず各地を渡り歩く流浪の民だろう。


 彼らは蔑まれる事も多かったが、音楽や舞踊に優れていたため祭りの時などは歓迎され、勝手に国を超えても黙認されてきた。

 初代メルジーネはそれを利用して、一人の若者が国を越えるのを手助けした。

 その若者が、後のリントブルム王国の初代国王である。


 建国記によると、初代の王は西方にあった大帝国の皇子であった。

 後継者争いに敗れた元皇子は命を狙われており、メルジーネは彼を助けた功績により世襲爵位を与えられたそうだ。

 以来、メルジーネ家は主に宮廷の宴や儀礼で音楽を奏でる宮廷楽団の長や文官などを輩出してきた。

 さほど重要な地位に上り詰めることはなかったが、建国の時代から今まで続く家は数少ないため名家といわれる。




 決して目立たず、細く長く続いてきたメルジーネ家だが、一つだけ大きな秘密があった。

 それは、およそ百年に一度直系に生まれる、銀髪の美しい子どもだ。


 美しいだけならよかったが、その子は魂の抜けた入れ物のように産声もあげずに生まれた。

 そして直ぐに亡くなるか、かろうじて命を取り留めたとしても一言も口をきかないまま寝たきりとなり、幼くして世を去った。


 これは王家も知らない、メルジーネ家がひた隠しにする“呪い”だった。




 伯爵夫妻が結婚したのはイルザが生まれる五年前だ。

 政略結婚だが仲が悪いわけではなく、健康にも問題がなかったが、子ができなかった。

 いよいよ諦めて養子を迎えようという時、夫人の妊娠がわかった。


 手放しで喜べなかったのは、その年が前に銀髪の子どもが亡くなってから、ちょうど百年目だったからだ。




 伯爵夫妻は不安を抱えながら臨月を迎え、吹き付ける雪が窓を叩く夜、難産の末に女児が産まれた。

 産まれた赤子は顔立ちが美しく、髪は銀色だった。


 夫からメルジーネの呪いを聞かされていた夫人は、それを見て絶望した。

 産婆は手を尽くしたが赤子は泣かず、呼吸も鼓動も止まっていた。


 夫人は涙を流し、産婆は冷たくなっていく赤子を布でくるんだ。

 産まれた子のためにと、夫人が綿を詰めて針を指した柔らかな布だ。

 それにくるまれた小さな姿を見て、ますます夫人が泣くので、産婆はそっと布で赤子の顔を覆い隠そうとした。


 ーーすると突然、確かに死んでいたはずの赤子が激しく泣きはじめたのだ。


 メルジーネの呪いを受けた子が産声をあげたのは、伯爵家の長い歴史の中で初めてのことだった。



 伯爵夫妻はようやく授かった子が無事に生まれた事に安堵し、“呪い”はただの偶然だったのだろうと、大層喜んだ。

 そして無意識に、喜びの影に潜む不安からは目を背けたのだった。



***



 イルザと名付けられた子は、すくすくと成長した。

 美しい娘はより良い婚姻をもたらし、家を栄えさせる。

 子どもながらにはっとするほど美しいイルザへの期待は否応なしに高まり、伯爵家の明るい未来を誰もが信じていた。


 しかし、夫人には一つ気がかりがあった。

 それはイルザのひどい夜泣きだった。

 夜泣き自体は赤子に良くあることだが、それが毎日、二年近く続いていた。

 まず寝付くのに時間がかかり、ようやく寝たと思ったらすぐに起きて泣く。

 夜の眠りが浅いため、日中も起きていられなかった。

 食事も取れないイルザを心配して、夫人はあらゆる手を尽くした。


 試行錯誤が身を結んだのか、三歳を過ぎてようやく夜中に起きる回数が減った。

 夫人はほっと胸を撫で下ろしたのだが、それも束の間のことだった。

 イルザはこの頃から、不思議な夢の話を繰り返すようになったのだ。


 こことは違う世界だという夢の話は、子どもにありがちな空想だろうと結論付けたが、夫人の戸惑いは少しずつ大きくなっていった。

 イルザは早熟な子供だったが、それにしても知るはずもない難しい言葉を使い、自分の見た夢を理路整然と話した。

 見た目は愛らしい子どもなのに、その時は大人と話しているような気分になった。

 伯爵は天才だと喜んでいたが、夫人は得体の知れない不安を感じはじめていた。


 どこかおかしいと感じながらも、待ち望んでようやく産まれた子どもに周囲の大人たちは大層甘かった。

 嫌な事は一切やらず、望めば何でも手に入る生活を続ける内に、イルザは怠惰で傲慢な少女になっていった。

 自分の思い通りにならなければ気が済まず、気に入らなければ癇癪を起こして侍女や下女に当たり散らす。

 人を人とも思わぬ暴言を吐き、時には物を投げつけて暴力を振るう少女は、美しい外見とは裏腹に醜悪な性格だった。




 そんなイルザが、四歳になったばかりの冬のことだ。


 しんしんと雪が降る真夜中の伯爵邸に、子供の悲鳴が響いた。

 伯爵夫妻が慌ててイルザの私室へ駆け付ければ、イルザは広すぎるベッドの隅で布団にくるまって泣いていた。

 震えるイルザにどうしたのかと尋ねても、歯の根が合わず口を利く事が出来ない。

 怯えて泣きじゃくり、下の子を身籠っていた夫人に抱きついて離れようとしなかった。


 明くる朝から、天使のように愛らしいと言われた笑顔は消えた。

 それ以来、イルザは“王国の滅亡”を繰り返し語るようになったのだった。




 始めは皆、子供の戯れ言と思って聞き流していた。

 しかしイルザの語る夢は、あまりにも生々しく残酷だった。

 大人達は詳細に語られる夢を徐々に恐れるようになり、彼女の口を閉ざそうと躍起になった。


 夫妻は何人もの医者を呼び、怪しげな祈祷師まで呼んだが、おぞましい夢の原因は分からなかった。

 イルザの"病"は治らず、医者達はいつも、愛情不足だとか甘やかしによってイルザが嘘をついているという結論を出した。

 そのうちに、伯爵夫妻もイルザが嘘をついていると思うようになった。


 夫妻の態度が厳しくなると、使用人達も徐々に態度を変えていった。

 イルザの酷い態度に耐えることをやめ、ご機嫌を伺うこともない。

 話を聞いてもらえないことに怒り狂うイルザから、益々人は離れていった。


 伯爵はイルザの話を一切信じていなかったが、それを王家に知られる事を恐れた。

 イルザに仕えていた侍女達には金を渡して口止めし、他の奉公先を紹介した。

 イルザの周りには、もう誰もいなかった。


 加えて、歳を重ねる毎に美しく成長するイルザの血筋に、伯爵は疑問を抱くようになっていた。

 メルジーネ一族の誰にも似ていないイルザが、本当に自分の子なのかと疑いはじめればきりがない。

 妹のエミリアが伯爵夫妻によく似て、至って普通の愛らしい子どもだっただけに、イルザの異常さが際立っていた。




 そのうちにイルザは五歳になったが、未だに夢の話を繰り返していた。


 伯爵は春に体調を崩してからというものすっかり痩せて、ため息を付いては頭を抱えて座り込む姿がよく目撃されるようになっていた。

 普段が楽観的で明るい人物であるだけに、それは彼に何か恐ろしい事態が降りかかっているのではと噂になるほどだった。




 暖かな陽射しが、花盛りの庭に降り注いでいる日のことだった。

 伯爵は庭に面したお気に入りの部屋に一人で座っていた。

 その部屋の南側は、足許近くまで大きなガラス窓になっていて、春の花が咲き誇る自慢の庭がよく見える。

 しかし伯爵は窓の外に一瞥もくれず、暗い顔で俯いていた。



 しばらくして、伯爵は何気なく顔を上げた。

 かと思うと、短い悲鳴をあげて椅子から転げ落ちた。

 目の前の庭にイルザが立っていたからだ。

 足音にも気配にも気付かなかった伯爵は、驚きのあまりぶるぶると震えた。

 床に座り込んだまま、ただぱくぱくと口を動かすことしかできない。

 そんな伯爵を、イルザは冷やかに見つめていた。


 この時から、伯爵はイルザが自分の子だと全く思えなくなった。

 同じ頃、夫人もまたイルザに対して恐怖心を抱くようになっていた。

 あれほど溺愛していたイルザを、夫妻すら避け初めたのだ。

 二人の目にうつるイルザは、子どもの皮を被った得体の知れない()であった。

 



 それから間も無く、伯爵は屋敷の北の離れにイルザの部屋を移した。

 離れに通じる扉には鍵をかけ、イルザが人と接触する事を禁じたのだ。


 これ以上イルザの話が広がれば、王家に反意を疑われるのではないかという不安、そしてイルザ自身に対する疑念と恐れの結果であった。




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