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39. 対峙




「……そうでしたか」



 イルザは特に表情を変えず、しかしエルガーの話をよく聞いてくれた。

 隣にいるアレクシアの方がよっぽど怒り、度々話を遮るので、イルザが時折宥めていた。



「すまない。イルザ様にとっては不快な話です。……リーヒェンは頭は良いんだか、考えすぎてしまうから……」


「いいえ。懸念されるのは当然です。悪い噂のあった伯爵令嬢など、殿下にとって何の益もありません。優秀で、殿下のことを昔からよくご存知なリーヒェン様こそ殿下に必要な方だと、よく分かります」


「イルザ! 根も葉もない噂を鵜呑みにするリーヒェンなんかより、あなたの方が大切に決まってるわ! だって、……あ、愛されてるもの……」



 アレクシアは勢いよく言い出したものの、最後は照れて聞き取れないほど小さな声になった。

 赤くなった顔を俯けた彼女はとても愛らしく、エルガーの頬が思わず緩む。

 何気無く視線を上げれば、アレクシアに同じような目を向けていたイルザと目が合った。

 ほんのりと口角を上げたイルザと、そっと笑い合う。

 それから少し考えて、イルザは口を開いた。



「……エルガー様、リーヒェン様と私がお話しする場を設けることはできますでしょうか?」


「……リーヒェンは、素直に応じないだろうな」


「では、偶然を装ってお話できる機会をつくらなければなりませんね。……ご協力いただけますか?」


「……! 勿論だ。ありがとうございます、イルザ様」




***



 それから一週間ほどたった晴天の日、エルガーはリーヒェンを学園の裏庭に連れ出した。


 普段使われない旧校舎の裏にあり、華やかな花を咲かせる草木がないので不人気で、都合がよかった。

 いぶかしむリーヒェンに内心焦りながら辺りを見回すと、庭の中央に植えられた古木の、ひび割れた太い幹の根元に座るイルザを見つけた。

 一人きりでは危ないとエルガーは止めたが、イルザの希望でアレクシアはこの場にいない。

 代わりに裏庭から見えない場所に警備員を配置していたが、イルザに異変がなくてエルガーはほっとした。

 そして隣のリーヒェンに逃げられないようにがっちり腕をつかんでから口を開いた。



「……ああ! あれはイルザ様じゃないか? イルザ様!」



 エルガーは一生懸命やったが、かなりわざとらしかった。

 リーヒェンは明らかに気分を下降させた。



「……エルガー、余計なことを」



 舌打ちしそうなリーヒェンを引っ張り、イルザの側へ向かう。

 声を掛けられたイルザは、膝の上に広げていた本を閉じて、流れるように優雅な所作で立ち上がって礼をした。



「リーヒェン様、エルガー様、ごきげんよう」



 微笑むイルザに返事もせず、リーヒェンはエルガーの手を振り払った。



「魔女と話すことなど何もない」



 そう言って立ち去ろうとするリーヒェンを、大きくはないがよく通る声でイルザが止めた。



「お待ちください」



 止まらないだろうというエルガーの予想に反して、リーヒェンは止まった。

 どこかぎこちなく振り返ったその表情は険しい。



「私には、リーヒェン様にお話があります。私を貶めるような発言は、今後お控えください。殿下の評判に差し障ります」



 エルガーはイルザのはっきりとした物言いに少し驚いた。

 彼女に対しては、いつも控えめで大人しい印象だったからだ。



「……承服できないな。魔女が殿下と婚約している事の方が問題だ。分かっていただけるまで言い続ける」



 リーヒェンはイルザを睨み付けたが、イルザは全く動じなかった。



「私が魔女だという証拠はありますか? 証拠もなく人を裁けたのは百年も前のことですよ」



 挑発的な言葉に、リーヒェンは語気を強めた。



「証人がいるだろう。お前の家族や私がお前の妄言を聞いている」


「本気でおっしゃっていますか? 子供が語った夢を真に受ける大人が、どれ程おりますでしょうか?」


「……!」



 イルザは皮肉な笑みを浮かべた。



「――ですが、貴方様のご実家の権力と財力があれば、証言などいくらでも作れるでしょう。そうやって罪無き人を貶めるのですね」



 リーヒェンは家名を重んじる。

 家に対する侮辱にも繋がるイルザの発言に、顔色が変わった。



「私は卑怯なことはしない! 詭弁を弄しても無駄だ! 私は誤魔化されないし、お前を認めない!」



 怒鳴るリーヒェンにも、イルザの表情は一切変わらなかった。



「認めないからなんだというのですか? 貴方のような子どもが何を言っても、只の戯れ言です」


「何だと……!」



 リーヒェンが足を踏み出したので、エルガーはイルザを庇うように一歩前へ出た。

 それに構わず、イルザは言葉を続けた。



「貴方は、婚約破棄を進言して殿下にお叱りを受け、今や殿下に近づくことすらできずにいる。拗ねて自分から避けている節さえある。私を魔女と罵り、危険と言いながら、殿下のために何もしていないではないですか。そんなちっぽけな忠誠心しか持ち合わせていない貴方の言葉を、一体誰が信じるのですか?」



 リーヒェンは怒りのあまり震えた。



「……いい気になるなよ! お前は殿下に愛されていない! いつか目が覚めて、お前なんぞ見向きもされなくなるはずだ!」



 リーヒェンは完全に頭に血が上っているが、イルザは冷静に答えた。



「……それが、何だというのですか? 愛のない結婚なんていくらでもあります。まさかリーヒェン様が、そのような甘いことを仰るとは思いませんでした」



 ついにリーヒェンは何も言えなくなったようだった。

 怒りに顔を赤らめて、歯を食い縛っている。

 イルザはその場から動けないリーヒェンに一礼すると、背を向けて歩きだした。


 エルガーはリーヒェンの事が気にかかったものの、イルザを一人にするわけにいかず後を追う。




 暫く無言で歩いていたイルザは、リーヒェンの姿が完全に見えなくなった所で立ち止まり、突然座り込んだ。



「イルザ様!」



 エルガーは慌ててイルザの側に膝をついた。

 顔色は悪く、身を守るように肩を抱え込んだ手は震えている。

 それもそうだろう。

 イルザはまだ十三歳だ。

 長身のリーヒェンに睨まれ、怒鳴られれば恐ろしいに決まっている。



「――イルザ様。なぜ、あんな無茶をされたのです……いや、私がお願いしたことですね……申し訳ありません」



 眉尻を下げて項垂れたエルガーに、イルザは首を振った。



「……私が、リーヒェン様に()()()をした所で、聞き入れてもらえるとは思えませんでした。挑発されたまま引き下がるような方ではないですし……殿下の為に、私ができることをしたまでです」



 貴族のご令嬢は優雅なだけではないと知っているつもりだったが、リーヒェンを言い負かすとは思わなかった。

 気が強いとは思えないイルザが、無理をしてまでやり遂げたのは、きっとミランのためだ。



「……殿下の事が、好きなのですね」



 エルガーは、思わずそう口にしていた。

 イルザは一瞬息をのんだように見えたが、表情は変えなかった。



「……恋愛感情ではありません。殿下は、私を救ってくださったのです。だから私は、私の全てを懸けて、お仕えするのです」



 エルガーは、その言葉を鵜呑みにできなかった。

 かといって否定もできず沈黙した。


 今、イルザの顔には何の感情も浮かんでいない。

 リーヒェンと話している間は、まるで仮面のように感情が見えなかった。

 しかし、“愛されていない”というリーヒェンの言葉に、イルザはほんの一瞬押し黙った。

 あの時、イルザは傷付いていたのではないかとエルガーは思う。

 今も、泣いていないのが不思議な気がしている。



 イルザが入学した日、愛なんてくだらないと言いきったミラン。

 だからイルザも認める事ができないのかもしれない。

 だとすれば、未だに震える細い身体がやるせなく、エルガーは思わずイルザの背中をさすっていた。



 イルザは少し驚いたようにエルガーを見上げた。

 エルガーはその美しさに思わずどきりとしたが、何とか微笑みを浮かべて取りつくろう。

 ありがとうございます、と小さく言ったイルザはしばらくそのままうずくまっていた。



(ミランに見られたら、視線で殺されそうだ)



 愛ではないといいながら、イルザがエルガーと親しげに話しているだけで、ミランは冷静さを失う。

 ただの世間話で、隠しきれない程に苛々しているのは嫉妬だろう。

 常に感情を押し隠し、作り物のような笑顔を浮かべているミランが、イルザといる時は心から笑っているように見えるし、リーヒェンに婚約破棄を進言されたとき怒りを顕にしたのも、イルザを大切に思うが故ではないのか。

 立とうとするイルザに手を差し出して支えながら、エルガーは考える。



(――その感情を、“愛しい”と言うのではないのか?)



 あの時の反応を考えれば、今それをミランに伝えても無駄なのだろう。

 ただ、何事も無かったかのように背筋を伸ばして歩くイルザが悲しく、エルガーはミラン態度にもどかしさを感じていた。



***



 教室に向かった二人は、程なくして落ち着かない様子で歩き回るアレクシアを見付けた。

 アレクシアもこちらに気づいて駆け寄ってくる。



「お疲れ様です、イルザ。エルガー様も。お話はどうでしたか?」



 青い瞳が心配そうにイルザを見つめる。

 イルザはつい先ほどまでうずくまって震えていた事を微塵も感じさせない、完璧な笑みを浮かべた。



「うまくいったと思います。まだ、どうなるか分かりませんが……。アレクシアには心配を掛けてしまいましたね」



 いつもと変わらない様子に、アレクシアはほっと息をついて、にっこり笑った。

 それを見たエルガーは、イルザがアレクシアに自身の動揺を隠しきった事に素直に感心した。



「それはよかったですわ。……ですがエルガー様、このような事はこれで最後ですよ。イルザの身に何かあれば、許しませんわ」



 宝石のような瞳でエルガーを睨み付け、不満げに唇を尖らせるアレクシアは年相応に可愛らしいばかりだ。



「……そうですね、本当に」



 呟くように応えて、エルガーはその場に膝をついた。



「あなたの親友を傷つけるような真似は、二度といたしません。どうかお許しください、アレクシア様。――イルザ様、この度はご協力頂き、ありがとうございました。しかし、あなたを巻き込むべきではなかった。私自身で何とかすべきだったと反省しております。お許しください」



 エルガーはそう言って二人に頭を下げた。

 慌てる二人に笑顔を返しつつ、エルガーはこの二人を守ろうと心に誓った。




 それから二日後、リーヒェンはミランに頭を下げて許しを乞い、以前と同じようにつき従うようになった。

 にこりともしないリーヒェンのおかげか、やたらと話しかける者が減り、エルガーはほっとした。



 リーヒェンがミランの側にいれば、自然とイルザと顔を合わせる機会も増える。

 どうなることかと思ったが、互いに目を合わせることも、会話することもない。

 かといって、以前のようにリーヒェンがイルザに突っかかったりすることもなく、平穏な日常が過ぎていった。




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