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38. 怒り



 アレクシアとエルガーがいるため、イルザは夢の話を誤魔化さなければならなかった。

 なるべく客観的にかいつまんで話すと、アレクシアは憤慨した。



「イルザの悪い噂はあいつのせいじゃない! 足を踏んでやればよかった……!」



 憤るアレクシアに、イルザは慌てた。



「むしろ私が不快な発言をしたせいですから、リーヒェン様は悪くないのです」



 それでも怒りが収まらないアレクシアに、ミランとエルガーは苦笑した。



「まだ幼かったんだろう。……それにしてもリーヒェンらしからぬ行動だと思うけど……。さっきの様子を見ると、まだわだかまりがあるようだ」



 エルガーは納得いかない様子で首をひねり、ミランは溜め息をついた。




 リーヒェンの目には、憎しみさえ宿っているようだった。

 その目を思い出して、イルザは胸を押さえた。


 もう会うことはないと思っていた少年だった。

 最後に見たリーヒェンも、今日のようにイルザを睨み付けていた。

 けれどそれまでは、ろくに笑うこともできない少女に対して、彼は優しかった。

 イルザに笑いかけ、色々な話をしてくれていた。

 悪夢の話をするまでは、イルザの唯一の友人だったのだ。



***



 雲一つない青空が広がる穏やかな日に、部屋の空気は凍てついていた。


 困り顔のエルガーは、生徒会室の机に座るミランと、その机の前に立つリーヒェンに挟まれていた。



「……リーヒェン。今日は忙しいから、また後日にしないか?」



 ミランはほとんど無表情でそう言った。

 連日のやりとりに、さすがに我慢の限界が近いようだ。



「殿下、私は忠心より申し上げているのです。今日こそ、逃げずに聞いて頂きたい」



 表情は変わらないが、逃げるなと言われたミランの首に青筋が立つ。

 リーヒェンは身を乗り出した。



「イルザ=メルジーネ……厚かましくも殿下の隣を占領するあの女は魔女です。美しい容貌に騙されてはなりません。あの者は、幼き頃より国が滅びるとまことしやかに語り、人々を恐怖に陥れていました。人心を惑わし、国家転覆を狙っているに違いありません。殿下の御婚約は、白紙にすべきです」



 エルガーもイルザに関して悪い噂があることは承知していたが、そんな物騒な話は初耳で、思わず口を挟んだ。



「国が滅びるとは、どういうことだ?」


「そのままの意味だ。イルザ嬢は私に、数年後にこの国が滅びると告げたんだ」



 よく意味が分からず重ねて聞こうとするが、ミランが先に口を開いた。



「リーヒェン。子供の悪夢を未だに恐れているのか? 聞けば七歳のイルザが、夢の内容を語っただけのことじゃないか」



 リーヒェンは眉を跳ね上げ、目を見開いた。



「あれが只の夢などではないと、殿下も実際にお聞きになればわかります! 悪夢などと、そんな生易しいものではないのです!」 


「リーヒェン……!」



 エルガーが諌めると、興奮気味のリーヒェンはエルガーをぎろりと睨みつつも姿勢を正した。



「……あの魔女は、幼い時から異常でした。実の親にすら恐れられ、屋敷の離れに隔離された程です。不安を煽り、国を傾けようとしていたとしてもおかしくはない」



 あまりの言い様に、エルガーは反論しようとした。

 短い付き合いだが人を騙すようには見えなかったし、イルザが悪く言われるのは不快に思うくらいには親交がある。


 しかしその言葉は、ミランが机に拳を叩きつけた音で掻き消された。



「リーヒェン!! 無礼なその口を閉じろ!!」



 ミランが怒りに声を荒げる姿など、エルガーもリーヒェンも初めて見た。



「全てお前の思い込みだ! これ以上、証拠もなく我が婚約者を侮辱することは許さない! 両陛下が認められたこの婚約に異を唱えるなら、それなりの覚悟をしろ。私の言葉を理解したなら、私が剣を抜く前に下がれ!」



 エルガーは、思わずミランの後ろの壁に飾られた剣を確認した。

 万が一の時どうすべきか考えながら、護衛として腰に下げることを許された剣の重みを感じる。


 驚いた様子で立ち尽くしていたリーヒェンは、唇を噛み締め、黙って部屋を出ていった。

 最悪の事態は避けられたがどうしたものかとミランを見れば、溜め息をついて椅子に深く座り、片手で目元を押さえていた。


 怒りを何とか抑えようとしているようだった。



「……イルザが幼い頃の、夢の話だ。その悪夢のために、イルザがどれ程苦しんだか……」



 ミランのその呟きは、静まり返った部屋に消えていった。




 それからリーヒェンとミランは距離を置いた。

 リーヒェンがミランの側に居ないことに最初は皆が戸惑ったが、次第に有力貴族の子息達がミランにすり寄るようになった。

 これまで誰もがミランの一番の側近はリーヒェンであろうと思っていたので、今のようなあからさまな行動をとることはなかった。


 しかし彼がミランの怒りを買ってそのポストが空いたとなれば話は別だ。

 ミランは無難にかわしているものの、内心かなり辟易しているように見えた。


 エルガーは何度か二人に仲直りをすすめたが、変化はない。

 どうしたものか悩んだ末に、エルガーはイルザに相談することにした。




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