35. イルザの入学
開け放たれた窓から微かに花の香りを纏う風が入る部屋で、真新しい制服に身をつつんだイルザは鏡の前に立っていた。
ミランが通う王立学園に、今日からイルザも通うのだ。
出発を前に、着慣れない制服におかしなところがないか何度も確認するイルザを見て、アルマはくすくす笑った。
照れてうつむき、胸のリボンを触るイルザは十三歳。
その姿にはまだ幼さが残るが、以前にも増して美しい。
同じ年頃の少女達と比べれば背は高い方だが、華奢なので大きいという印象はない。
艶のある銀髪が縁取る顔は以前より大人びていて、ふとした瞬間に見せる表情には色香が漂う。
気持ちを落ち着かせるためか、深呼吸を繰り返すイルザにアルマは言った。
「心配は無用ですよ。イルザ様はいつも通り完璧で、女神のようにお美しいです」
大げさな誉め言葉に、イルザはちょっと困った顔をする。
そんな様子をにこやかに見つめるマリーが言葉を継ぐ。
「殿下にお会いするのは三月ぶりですね。イルザ様が入学されれば、きっと喜ばれます」
「……お会いできるかしら。お忙しいでしょうし……」
自信無さげに俯くイルザに、アルマが明るく声を掛ける。
「間違いなく会いに来ますよ。這ってでも」
アルマが冗談を言ったと思ったイルザは、すこし笑った。
出発を前に、イルザは王と王妃に謁見した。
入学にあたり、イルザも王宮を離れて学園寮に入るため、これまでのお礼と暇乞いだ。
王妃は、特にミランが学園に入ってから、多忙な合間をぬってイルザとの時間を設けた。
それは頑張りすぎるイルザの休息のためでもあり、王妃としての振る舞いを教えるためでもあった。
そして別れ際には必ずイルザを抱きしめて、頭や頬にキスをした。
それはイルザにとって、夜の海で見つけた灯台の明かりのような、温かな記憶となっている。
制服姿をひとしきり褒めた王妃は、寂しく笑った。
「……かわいい私の娘よ、どうか体に気を付けて」
王妃の声と表情に胸を詰まらせながら、イルザは深く頭を下げた。
馬車へ向かうと、そこには見送りの人々が大勢集まっていた。
泣きじゃくるアルマ、つられて涙ぐむマリーのほか、王宮で既知になった人々や、多忙なライノアまで見送りに出てきたので、イルザは少し泣いた。
皆に何度も礼を言い、抱擁や握手を交わしてから馬車に乗り込む。
ゆっくりと動き出した馬車の窓から彼らが見えなくなるまで、イルザは手を振り続けた。
城壁を越えて、見慣れた城の姿もほとんど見えなくなると、イルザは俯いて手元を見つめた。
その手は、膝の上で小さく震えている。
その手をぎゅっと握りしめて顔を上げたイルザは、一度深呼吸した。
それから背筋をぴんと伸ばして窓の外を見つめた。
馬車はもう間も無く、二番目の城門を抜けるところだった。
***
王都とはまた違う雑然とした活気に満ちた街の中央に、周囲を高い塀に囲まれた学園がある。
正面には大きな門が聳え立ち、門のすぐ脇では貴族達の馬車が入れ替わり立ち替わり新入生を降ろしては去っていく。
緊張した面持ちの新入生達が門を仰ぎ見ながらくぐると、門の先には赤茶色のレンガ造りの校舎と在校生が待ち構えていた。
校舎へと続く広い道には新入生と在校生が入り乱れ、賑わう道の両端にはキルシェの花が満開に咲いている。
そこへ、六名の騎士に護衛された白い馬車が現れた。
門のすぐ脇にゆっくりと止まったその馬車には、金で象られた王家の紋章が輝いている。
騒々しく浮わついていた空気はさざ波のように引いた。
その馬車に乗っているのが、王太子の婚約者だと誰もが知っているからだ。
皆が固唾を飲んで見守る中、金の装飾が施された馬車のドアが静かに開けられた。
流れるように優雅な仕草で降りてきたのは、珍しい銀髪の少女。
伏せられていた目が正面を向けば、神秘的な紫の瞳が現れる。
艶やかな薔薇色の唇は微かに弧を描き、透き通る肌は白磁をおもわせるほど滑らかだ。
噂には聞いていたものの、それをはるかに上回る美貌に、誰もが言葉を失った。
時が止まったような空間でただ一人動いたのは、黒い髪につり上がり気味の青い瞳が美しい少女だ。
「イルザ!」
笑顔で手を降るアレクシアに応えるように、イルザはふわりと笑った。




