03. キルシェの花
お茶会から一週間後、ミランはイルザを王宮へ招く手紙を出した。
すぐに承諾の返事が届き、当日、伯爵に付き添われたイルザは昼過ぎに登城した。
前回よりかなり気合いの入った姿で現れたイルザは文句無しに美しかったが、とても疲れているように見えた。
大方、娘が王太子に気に入られたと思った伯爵がはりきったのだろうとミランは思う。
イルザの父である伯爵は、単純で能天気な男だ。
不器量ではないが丸々とした親しみやすい顔で、イルザと似ても似つかぬ容姿のせいか、血縁を疑う噂もある。
無表情なイルザとは対照的に満面の笑みをうかべ、そわそわと落ち着きがなく、ちらりと寄越す視線からは隠しきれない期待が滲み出ていた。
話したがっているのは分かっていたが、ミランは早々に彼を追い払った。
前回のお茶会で感じた不快感はまだミランの胸の内に燻っていて、多少冷たい対応になってしまったのは仕方がないだろう。
有無を言わさぬ笑顔で伯爵を見送ると、ミランはイルザに向き直った。
「今日は来てくれてありがとう。とてもきれいだ」
「……は……はい。あ、いえ……」
もごもご言って少し顔を赤らめたイルザは、この容姿でありながら誉められることに慣れていないようだった。
「イルザと呼んでもいい?」
「はい。……光栄です」
「イルザも私のことはミランと呼んでいいよ」
「……畏れ多いことにございます。殿下」
生真面目な返事にミランは少し笑った。
当たり障りない話をすれば、真面目で大人しいという印象が強くなった。
余計なお喋りはせず、いつも一定の距離を保ってミランに近付こうとしないし、殆ど目も合わない。
先のお茶会で会ったイルザの妹は、ミランにも臆することのない活発そうなご令嬢だったが、イルザは消極的で、避けられていると感じるほどだ。
(……このまま話をしていても、イルザが心を開くことはないな)
しばらく会話を続けたミランは、花が見頃だからとイルザを庭へ誘った。
二人が向かったのは王宮の奥まった場所にある庭だ。
王族の私的な空間である内宮に近く、ひっそりと静まり返るその庭にあるのは、キルシェという花木だ。
王国の気候に適し、好んでよく植えられるため、この国を象徴する花とされている。
この木は春になるとほんのりと紅色がかる小ぶりな花を一斉に咲かせ、最後は雪のように花びらを散らす。
今は散り始めで、奥といえども広い庭をキルシェの花が埋め尽くしていた。
美しい光景にもイルザは声をあげることもなく無表情のままだったが、ひらりと落ちてきた花弁にそっと手をのばしているので、興味はあるようだ。
二人は話もせずに花を眺めていた。
ミランにとってその沈黙は不快なものではなく、むしろ心地よく感じた。
終わらせたくはなかったが、目的を果たさなければならない。
ミランは付き従う騎士達に視線を送った。
彼等が離れた事を確認して、口を開く。
「イルザ。君の話を、聞かせてくれないか」
花びらを追っていたイルザの手が動きを止め、ゆっくりと下ろされた。
何も言わない彼女に構わず、ミランは言葉を重ねる。
「君は、この国が滅びるとまことしやかに語り、皆を怯えさせているそうだね」
お茶会の後、ミランは直ぐにイルザについて調べあげた。
調べれば、彼女の“嘘”はすぐにわかった。
イルザは幼い頃、王国が滅亡すると周囲に語っていたのだ。
それが、彼女の悪評の始まりだった。
王族であるミランが知らないのも無理はない。
子供の言うこととはいえ、王家に反意ありと取られかねない話だ。
周囲の大人は必死に隠したのだろう。
イルザがこれまでほとんど社交の場に出なかったのも、おそらく彼女の“嘘”を隠すためだ。
情報を売った者達も、少なくない金を渡されて口止めされていた。
時が経ち、今となってはイルザが語った内容はほとんど忘れ去られたが、"嘘つきな悪女"などと言う渾名だけが残ったのだ。
ミランはこれを知って、子供の戯れ言と捨て置く気はなかった。
イルザは、"何か"を知っている。
「なぜ、この国が滅びるの?」
ミランが更に問い掛けたその時、強い風が吹き抜けた。
辺りに無数の花びらが散り、イルザの銀の髪が舞い上がる。
風が止むと、辺りは花の散る音すら聞こえそうな静けさだった。
淡い紅色の花びらがひらひらと落ちていく中、イルザはゆっくりと振り返った。
蒼白い顔からは僅かな表情すら抜け落ちて、紫色の瞳がひたとミランを見つめた。
イルザは深く息を吸い込み、それを吐き出すように話し始めた。
その声は決して大きくないのに、頭に刻まれるようだった。
「……恐れながら、殿下にお願いがございます」
「なに?」
「……私が今から申し上げることは、決して殿下を侮辱するものではなく、嘘でもないのです。もし、私の発言がご不快でも、どうかご容赦いただき、この場限りに収めていただきたいのです」
ミランが頷くのを見届けると、イルザは語り始めた。
「ーー今から六年後、この国に大きな災いが起こります。一つではありません。いくつもの災いが、殆ど同時にこの国を襲うのです。……多くの民が犠牲になります。災いによって田畑は荒れ地に、都は瓦礫となり……この国は、滅亡するのです」
透き通るような彼女の声だけが響く庭で、キルシェの花びらが一枚、また一枚と音もなく散っていた。