25. 王太子の婚約者
アレクシアがぼんやり庭を眺めていると、先程外に連れ出してくれた侍女が小走りでやってきた。
ミランと例の婚約者がこちらへ来るとの知らせだった。
アレクシアが出席できなかったお茶会で、ミランに見初められたという婚約者。
彼女がすぐそこにいると聞いて、むくむくと興味が湧いた。
別の場所に移動するように勧める侍女を適当な理由を付けて先に戻らせると、アレクシアは日傘を閉じて草影に隠れた。
かくれんぼに最適な場所はよく知っている。
(万が一にもミランがだまされているのなら、幼なじみの私が助けてやらなくては寝覚めが悪いし。もう王家に入らないのだから、多少のお転婆には目を瞑ってほしいわ)
心の中で言い訳しながら、アレクシアは膝をついて草の向こうを覗きこんだ。
「何してるの?」
突然後ろから声を掛けられて、アレクシアの心臓は止まりかけた。
慌てて振り返ると、そこに立っていたのはミランの護衛騎士、クラウスだった。
見知った人物に内心ほっとしながら、アレクシアは何食わぬ顔で身を起こし、スカートについた草を払う。
「ごきげんよう、クラウス卿」
胸を張って優雅に挨拶すれば、クラウスは声を立てて笑った。
苦い顔のアレクシアは、昔からこの男が苦手だった。
「殿下の婚約者殿を見たいの? まあ、見るくらいならいいんじゃない? こっちの方がよく見えるよ」
そう言ってクラウスはアレクシアの手を引くと、こんもりと繁った低木の陰に座らせた。
ここで静かにしてなよ、と耳元で忠告すると、直ぐに何処かへ行ってしまった。
アレクシアはその場に座り込み、赤い頬を押さえた。
「……ひとの気もしらないで」
ぽつりと溢した言葉は、繁る葉に遮られて誰にも聞こえなかった。
***
その場で大人しく待っていると、程なくしてミランの声が聞こえた。
アレクシアは声のする方から身を隠し、植え込みの後ろから覗きこむ。
葉と葉の間に、見慣れたミランの顔が見えた。
その隣に淡いブルーのドレスが見えたが、白い日傘で顔が見えない。
それにしてもミランが彼女を見つめる表情が甘く、アレクシアは何となく気恥ずかしい。
同時に、ミランにあんな顔をさせる婚約者を益々見たくなった。
(……もう少しずれたら見えるかも)
アレクシアは足を一歩動かした。
すると、パキッと音を立てて靴の下の枝が折れた。
咄嗟に息を止めて、そろりと顔を上げれば、ミランと目が合った。
離れた場所に立つクラウスは肩を震わせて笑っている。
この状況から逃れる方法は無いものか、数秒じっと考えてみたが思い付かず、アレクシアは仕方なくその場で立ち上がった。
植え込みの陰から現れる羽目になったが、アレクシアはできるだけ上品に頭を下げた。
久しぶりだねとミランに声をかけられると、開き直って堂々と顔をあげる。
苦笑するミランの後ろに、傘を閉じて頭を下げる婚約者がいた。
「紹介しよう。イルザ、彼女は昔からの友人でバトラー家のアレクシアだ。アレクシア、もう知っていると思うが、彼女が私の婚約者になったメルジーネ家のイルザだ」
アレクシアは頭を下げて俯く少女をじっくり見つめた。
白金というより青みがかった銀色の髪は、一筋の乱れもなく真っ直ぐ胸元に落ちて輝いている。
髪と同じ色の長い睫が白い頬に影を落とし、すっと通った鼻梁の下、薔薇色の唇から高すぎない澄んだ声が紡がれた。
「はじめまして、アレクシア様。イルザ=メルジーネと申します。お会いできて光栄です」
丁寧な仕草で顔をあげたイルザに、アレクシアは思わずぽかんと口を開けた。
(ーーちょっと顔がいいだなんて、誰が言ったの?)
そう問いただしたくなる程、イルザは完璧な美貌だった。
そばかす一つない白く透き通る肌、珍しい紫の目は潤んで宝石のように輝き、顔を構成する全てのパーツが寸分の狂いなく整って完璧に配置されている。
精霊と言われたら納得してしまいそうな、この世のものとは思えぬ美しさだ。
返事も忘れてまじまじとイルザを見つめたアレクシアだったが、ミランの咳払いが聞こえて、慌てて声を発する。
「ーーご紹介に預かりました、アレクシア=バトラーと申します。どうぞよろしく……」
声が不自然に途切れたのは、イルザの手が震えていることに気付いたからだ。
緊張しているのだろうかと顔色を窺えば、ひどく青白い顔で呼吸も乱れている。
アレクシアが言葉を切ったので、ミランもイルザの様子に気付いた。
「イルザ? どうした?」
問い掛けられたイルザは涙目でミランを見つめ返すばかりで、声が出ない。
細い指で首を押さえて、見るからに苦しそうだ。
直後、イルザの足がふらついた。
アレクシアはイルザを支えようとして咄嗟に日傘を放り出すが、先に彼女を支えたミランに止められる。
「……!」
もしかして自分のせいでこうなったのかと青ざめるアレクシアに、ミランは首を振った。
「アレクシア、君のせいじゃないよ。すまないが、日を改めて話をしよう」
「……わかりました」
アレクシアが頷くと、ミランはイルザを抱き上げた。
ぐったりするイルザを足早に運ぶミランは、アレクシアが見たことがない程慌てていた。
呆然とその姿を見送るアレクシアは、投げ捨てた傘を拾う気にもなれなかった。
見るからに儚げなイルザを驚かせてしまったか、もしかして自分が婚約者候補だったことを知っていて、嫌な気分にさせてしまったのだろうか。
アレクシアの目に、じわりと涙が浮かんだ。
突然現れたミランの婚約者を、少し脅かしてやろうかと言う気持ちが、確かにあった。
どうしようもない悔しさを、イルザにぶつけて晴らしても良いのではないかと。
実際に何かしたわけではないのだが、自分が悪いのだとアレクシアは思った。
(……いつもこうだわ)
バトラー家はつり目の者が多い。
アレクシアも例外ではなく、眼差しが鋭いとよく言われる。
好き嫌いがはっきりしており、物言いもきついようで、以前も怒っていると誤解されて泣かれたことがあった。
悪意はないのに、周りから責めるような視線を浴びた時、アレクシアはどうすればいいのかわからなかった。
二人が去った方向を見つめて立ち尽くしていると、頭にそっと触れる手を感じた。
アレクシアは唇を噛んで俯いた。
纏う香りで分かっていたが、今にも涙が溢れそうで、クラウスの顔が見れない。
クラウスは落ちていた日傘を拾い上げると、アレクシアの手に握らせた。
「……アレクシア、悪かった。俺のせいだから、気にするな」
そう言って去る背中が見えなくなるまで、アレクシアはその場から動けなかった。




