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02. 魔女イルザ



 雲ひとつなく晴れたその日、深い森と美しい湖で有名なリントブルム王国の宮殿に、着飾った子どもたちが続々と集まっていた。

 彼らは皆、王家が毎年開く春のお茶会の参加者だ。


 お茶会の招待を受けるのは、七歳から十三歳までの貴族と決まっている。

 今年は十三歳になる王太子が最後の参加とあって、ほとんどすべての子どもが参加する予定となっていた。

 例年より一層華やかな令嬢達の装いは、未だ婚約者のいない王太子のためだ。


 会場となったのは薔薇が見事に咲き誇る園庭で、丸いテーブルがいくつも並び、真っ白なクロスに色とりどりの花や菓子が美しく飾られている。

 王家主催なだけあって、その豪華さは言うまでもない。




 付き添いの母親達と別れて会場に入る子どもは、皆緊張の面持ちだ。

 庭の入口で母親にしがみついて離れない子や、不安げに辺りを見回す子の姿も見受けられる。


 園庭の中央では、落ち着かない様子の子ども達が列をなしていた。

 先頭の子は正面に座る少年に頭を下げ、ぎこちない挨拶をしている。

 挨拶を終えた子は、ほっとしたような顔で下がり、また次の子が深々と頭を下げる。


 延々と続く挨拶の相手は、輝く金の髪に透き通る湖のような翠の瞳の少年だ。

 その容姿と高貴な装いを見れば、彼がこの国の王太子であることは子どもでも分かる。


 現国王のたった一人の子である王太子ミランは、学業や武芸など様々な分野に優れた天才と呼ばれ、公正で誠実な人柄として知られている。

 今も子どもたちに取り囲まれて長時間席を立つこともできずにいたが、にこやかに対応し続けていた。




 緊張していた子も挨拶が終われば肩の荷が下りるようで、友人と楽しそうに話し始めたり、席についてずらりと並ぶ菓子に目を輝かせる。


 普段は目にすることもない芸術的な菓子にかぶり付き、広い庭を駆け回る子までいたが、叱る者はいない。

 格式張らずに楽しく交流することが目的だからだ。


 間も無く定刻になろうという頃には、園庭は子ども達の笑い声に満ちていた。



***



 時計の長い針が十二時を指し、お茶会の始まりを告げる鐘が鳴った。

 子ども達は鳴り響く鐘の音を気にも留めず、園庭は騒々しかった。


 しかし鐘の音が小さく消えていく時、ふいにその場が静まり返った。




 突然の静寂を不思議に思ったミランは、顔を上げて辺りを見回した。

 どことなく緊張感が漂う中、何人かの令嬢と令息が顔を寄せ合って囁き、ちらちらと庭の隅の方を見ている。


 視線を辿った先に、一人の令嬢が座っていた。


 顔は見えないが、珍しい銀色の髪だった。

 その令嬢は誰とも交流せず、一番端のテーブルで本を読んでいるようだ。


 特徴的なその髪色に見覚えがなかったミランは、隣に座る侯爵家の嫡男に尋ねた。



「……ああ、あの娘。メルジーネ伯爵家のイルザ嬢ですよ。見た目は妖精のように美しいけど、嘘つきで意味のわからないことばかり言うから嫌われています。全然笑わないし」



 焦げ茶色のくっきりした眉を心底嫌そうに歪めてそう非難したので、ミランは翠の瞳を何度か瞬かせた。

 礼節を重んじる彼が、同じ年頃のご令嬢をはっきり謗るのを初めて聞いたからだ。




 メルジーネ家は歴史ある伯爵家だ。

 子は女子が二人だったとミランは記憶している。

 長女のイルザは十一歳だが、このお茶会にさえ一度も出席したことがなかった。

 病弱のため屋敷から殆ど出ないということだが、彼女は貴族たちの間で有名だった。


 曰く、"呪われた魔女"、"嘘つきで傲慢な悪女"などと、年端もいかぬ少女を形容するにはあまりに不穏な名で呼ばれていた。

 謎の多い彼女の姿を偶然目にした者が、この世のものと思えぬ美貌だと評したことも噂に拍車をかけた。


 ミランはその噂にさほど興味がなかったので知らなかったが、子ども達はイルザが銀髪だと知っていたようだ。




 今年七歳になり、初めてこの茶会に参加したエミリア=メルジーネは彼女の妹で、栗色の髪に大きな青い目が印象的な令嬢だった。

 彼女達は両親を同じくする姉妹のはずだが、言葉を交わすどころか目も合わせないのが奇妙だ。


 向けられる視線に気付いていないのか、それとも無視しているのか、当のイルザは背筋を伸ばして本を捲り続けている。

 時折真っ直ぐな銀の髪が風に揺れ、陽の光を弾いた。



(ーー髪の色が珍しいくらいで、魔女には見えないな。社交の場で本を読む変わり者なのは間違いないが……)



 しばらくイルザを見ていたミランは、彼女が何を読んでいるのか気になった。

 手元の本をよく見れば、大人の拳程の厚みがあり、年頃の少女にはどうにも不釣り合いだった。

 更にその本のページを捲るのが驚く程早く、内容に興味を持っているというよりは、何かを探しているように見えた。



(魔女と呼ばれる彼女が、一体何を探しているのだろうーー?)



 迷ったのは一瞬だった。

 ゆっくりと立ち上がったミランは、イルザの方へ足を踏み出した。



「……やめた方がいいですよ」



 侯爵家の令息は抑えた声で止めようとした。

 しかしそれには気付かぬ振りをして、彼はまっすぐイルザの方へ向かった。



***



 本に影が射して、イルザはようやく本から顔を上げた。

 傍らに立つ王太子を認識すると、彼女はわずかに目を見張り、慌てて立ち上がった。

 その拍子に本がばさりと音を立てて地面に落ちたが、お構い無しに深く頭を下げる。


 普段なら落ちた本をすぐに拾い上げるであろうミランも、驚きで身体が動かなかった。




 噂というのはあまり当てにならないものだが、イルザの容姿を讃える噂は真実だった。


 化粧をしていない肌は透き通るように白く滑らかで、唇は薔薇のようなに赤い。

 文句のつけようもなく整った目や鼻や口が、小さな顔に完璧に配置され、銀の髪は煌めきながら胸元へ流れ落ちていく。

 伏せられた目にかかる長い睫毛の一本一本まで美しいーー


 そんな感想が頭の中に一瞬で浮かび、我を忘れたのは数秒。

 ミランは不自然になるかならないかのぎりぎりのタイミングで声を発した。

 


「ーーはじめまして。私はミラン=リントブルム。貴女の名前は?」


「……メルジーネ伯爵家長女、イルザと申します。……王太子殿下に、ご挨拶叶い……大変光栄に存じます」



 初めて耳にするその声は澄んでいて、緊張しながら挨拶を返す様子は普通の少女にしか見えなかった。



「会えて嬉しいよ。顔を上げて」



 ミランに言われてイルザはゆっくりと頭を上げたが、青ざめた顔に表情はなく、目は伏せたままだ。


 イルザの手が震えている事に気付き、ミランは少し申し訳ない気持ちになる。

 彼女が噂通りの悪女で、これが全て演技だとしたら驚くほかない。




 冷静さを取り戻したミランは、不躾にならない程度にイルザを見て、ほんの僅かに眉を潜めた。

 震える指が握り締めるドレスがあまりにも古くさく、丈も合っていなかったからだ。

 靴も傷だらけで、装飾品は一つもつけていない。


 ここにいる令嬢たちは皆、これ以上ない程に着飾っていて、その中にはイルザの妹も含まれている。

 二人の父であるメルジーネ伯爵は宮廷楽団長の任に付いており、経済的に困窮しているとは聞いていない。


 ミランは姉妹間のあからさまな差別がひどく不快だったが、胸の内を隠してイルザに柔らかく声をかけた。



「今日は子どもだけのお茶会だから楽にして」



 しかしイルザは顔色悪く視線をさ迷わせただけだった。

 この会場に居る誰よりも位の高いミランに緊張するのも無理はないし、社交に慣れていないのであれば尚更だった。


 ミランはそれ以上は言わず、先ほどイルザが落とした本を拾い上げた。

 それは王家の紋章が押された王宮の図書室の本だった。

 貴族であればだれでもその図書室を利用でき、王宮内であれば持ち出せるようになっている。

 その本は王宮に勤めていた学者が書いた専門書で、ミランも以前に読んだことがある。

 難しい用語が多く、堅い文章はかなり読みにくい。



「随分難しそうな本だね。どんな内容なの?」



 ミランが知らない振りで尋ねれば、イルザは先程の挨拶よりよっぽど饒舌に答えた。

 十一歳の少女には難しいであろうその本の内容を、きちんと理解しているようだった。


 見るまでもなく内容は覚えているが、ミランは本を捲った。

 読むふりをしながらそれとなくイルザを観察しようとしたのだが、イルザもまたミランを見ていたようで、目が合いそうになる。


 反射的ににっこり笑ったミランを見ることなく、イルザは目を反らした。



「……君は、みんなと話さないの?」


「……申し訳ありません。……人と話すのが、苦手なのです」



 イルザは視線を外したまま答えた。


 ざわざわとしていた庭は、いつの間にか静まり返っていた。

 周囲の子ども達は息を詰めてミランとイルザの様子を伺っている。


 ミランはこれ以上は無理だと判断した。

 静かに本を閉じてイルザに差し出す。

 礼を述べて本を受けとったイルザの手を、ミランは少しだけ引き寄せた。

 耳元へ顔を寄せると、イルザはびくりと震えた。



「……私は君と話してみたい。また今度」



 ミランは潜めた声でそう告げるとすぐに離れた。


 初めてまっすぐミランを見つめたイルザの顔に、わずかに表情が浮かんでいた。

 それは驚きと困惑、そして恐怖だった。



(一体、何をそんなに恐れているのだろう)



 不思議に思って見つめ返したイルザの瞳は、珍しい紫色をしていた。

 瞬きもせずにミランを見つめる紫の光彩は、息をのむ程美しい。

 闇に染まる間際の空のような瞳から、ミランは暫く目が離せなかった。




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