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13. 別れ



 伯爵夫人が王妃に呼び出された翌日、イルザは朝から王宮に呼ばれていた。

 挨拶もそこそこに始まったのは、婚約式の衣装決めだった。


 案内された広い部屋には大きな鏡と椅子、そしてところ狭しとドレスや宝飾品が並べられていた。 

 ベルタ王妃がゆったりとソファに腰掛け、イルザがその正面の椅子に座ると、マリーの他、数名の侍女が代わる代わるドレスをイルザにあてがった。

 次々にドレスが運ばれてきて、それに合わせるアクセサリーもベルタが指示する。

 時には実際に身に付けて王妃に見せていくのだが、何しろその量が尋常ではない。

 休みを挟みながらいつしか日は傾き、終わったのはすっかり日が落ちた頃だった。




 夜道を揺られ、疲れきって帰宅したイルザは、馬車を降りてすぐに異変に気付いた。

 本邸の執事や侍女が玄関に居並び、イルザを待ち構えていたからだ。

 出迎えなど初めてだったうえ、皆の表情が固く、空気は重苦しい。


 娘が王太子の婚約者に選ばれるのは家門にとってこの上ない名誉である。

 ここ最近は屋敷中が浮かれていたのに、一体どうしたことだろうと、イルザは戸惑いと不安を抱えたまま急いで夕食の席に向かった。




 ミランの招待を受けて以来、本邸の食堂で家族と一緒に食事をとるようになっていたイルザは、息を整えてから食堂へ入った。


 長テーブルの奥に伯爵夫妻、すぐ側にエミリアが座り、イルザの席はその向かいだ。

 同席しても会話はなく、イルザはいつも三人の話を聞いているだけだったが、今夜はエミリアがイルザに声を掛けた。



「遅かったですね、お姉さま。……殿下とのご婚約はおめでたいことですけど……何だか慌ただしいですね」



 口の端を上げて微笑むエミリアの目は笑っていない。

 そしてこれ見よがしに大きな溜め息を付いた。



「……大丈夫なんでしょうか? 私、心配ですわ。だってお姉さまは嘘つきですしーー」


「エミリア!」



 突然、夫人の鋭い声がエミリアの声を遮って響いた。

 エミリアもイルザも驚き、体を強ばらせて夫人を見た。



「口を慎みなさい! イルザ様は、王妃陛下にも娘と認められた殿下の婚約者。そのような口を利くなどもっての他。部屋に下がって、許しがあるまで部屋から出てはいけません」



 厳しい表情のまま、夫人は深々と頭を下げた。



「私の指導が至らず、申し訳ありません。どうかお許しください」



 イルザとエミリアが動けずにいると、伯爵も頭を下げた。



「……私からもお詫び申し上げます。どうか、お許しを」



 苦い顔をした伯爵がエミリアを見据えた。



「エミリア。早く下がりなさい」



 夫人がエミリアに声を荒くするのを、イルザは初めて見た。

 叱責されたエミリアは、大きな青い瞳にみるみる涙を溜め、しゃくりあげながら退室した。

 エミリアはいつも通りだったのだから無理もない。


 伯爵夫妻は未だに頭を下げ続けていた。

 それを呆然と見つめたイルザは、張り詰めた空気に身震いした。



「……私は、気にしていません。どうか、顔を上げてください」



 イルザの声は静かであったが、内心ひどく動揺していた。

 王太子の婚約者になるということを、その態度でようやく自覚した。

 なんの力もない十一歳の娘に、許しがなければ顔もあげられない。

 イルザに与えられる立場を、だから皆が欲しがるのだと、その危うさにイルザはぞっとした。



 顔を上げた夫妻は、暗い表情のままのろのろと食事を再開した。

 そのまま最後まで、イルザと目が合うことはなかった。


 静かすぎる食卓で、この人達とはもう普通の家族にはなれないのだとイルザは悟った。



***



 婚約式当日、イルザは日が登る前から身支度を整え始めた。

 あれこれと忙しない侍女達に囲まれて、イルザは一言も喋らず人形のように支度が終わるのを待った。


 以前より丁寧な化粧や髪のセットが終わると、王宮から届いたドレスが部屋に運ばれてきた。

 鮮やかな青い生地の美しいドレスだ。

 元々王妃が嫁いで来たときに身に付けていたドレスを作り直したもので、生国の海の色だと言って、ベルタは懐かしそうに目を細めていた。


 隣国の姫であった王妃のドレスは、その生地や刺繍、縫い付けられた宝石など全てが最高級品だ。

 婚約式まで時間がない中、流行を取り入れ、イルザの体型に合わせて作り直されたドレスは、侍女が感嘆の溜め息をつくほどの出来映えだった。

 ドレスにあわせたアクセサリーも届き、侍女達は緊張した様子でイルザに着付けていく。




 昼過ぎに身支度を終え、緊張で落ち着かない数時間が過ぎた頃、伯爵家の前に絢爛豪華な馬車と近衛騎士が到着した。

 決まりきった作法で伯爵家に別れを告げ、いよいよ馬車に乗り込もうという時、夫人がイルザを呼び止めた。



「……どうか、こちらを」



 頭を下げたまま差し上げた夫人の手のひらには、伯爵家の紋章入りの白い封筒が乗っていた。



「……私に?」


「……はい。……ご不快でしたら、捨ててください」



 イルザが不快になるものとは一体何なのか分からなかったが、迎えの騎士達を待たせたくなくてそっと受け取った。

 イルザは見送りに立つ父と母とエミリアを見つめたが、目は合わなかった。



「……どうか、お元気で」



 イルザは他に何と言えば良いのか分からなかった。

 期待していなかったが、返答はない。

 少しだけ胸が痛んだが、イルザは伯爵家に背を向けて、騎士の手を取り馬車に乗り込んだ。



 扉が締まると、馬車はゆっくりと動き始めた。

 窓から見た伯爵は俯き、夫人は頭を下げ続けていた。

 エミリアだけが、俯けていた顔を上げてイルザを見ていた。

 怒っているような、それでいて泣きそうな顔だった。


 ずっと昔、幼いエミリアと遊んだ時も、時々あんな顔をしていたとイルザは懐かしく思った。



 この国では、王家に嫁入りした娘は二度と生家に戻らない。

 死ぬまで、生家の敷地に足を踏み入れることは許されない。

 恐らく妃の実家に余計な力をつけさせないための決まりなのだろう。

 イルザはもう二度と、ここには帰らないのだ。


 馬車の中で、イルザは少しだけ身を乗り出した。

 窓枠に掛けた指先がぴくりと震えたが、手を振ることはできなかった。

 イルザはそのまま、瞬きも忘れて遠ざかる姿を見つめ続けた。



***



 イルザを乗せた馬車は徐々に速度を上げて、屋敷の角を曲がって見えなくなった。


 蹄の音が遠く小さくなると、頭を下げていた夫人がぺたりと地面に座り込んだ。

 伯爵が慌てたのは、淑女としての振る舞いや身だしなみに十分に気を使ってきた夫人には、まずあり得ない行動だったからだ。


 伯爵に支えられた夫人は、肩を震わせたかと思うと、堰を切ったように大声で泣いた。

 人目を気にする余裕もなく、嗚咽の合間にイルザの名を呼び、ごめんなさいと繰り返した。

 最初は驚いていた伯爵も、夫人の肩を抱いて項垂れた。


 エミリアは、座り込む両親を睨み付けてわなわなと震えた。



「……泣くくらいならなんで?! なんでなの!!」



 叫ぶように問うエミリアに、誰も返す言葉を持たなかった。


 エミリアは、自分が父や母と同罪だとわかっていた。

 けれど、言わずにはいれなかった。




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