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12. 二人の母



 ミランとの婚約を了承した日から数日後、イルザは王妃に拝謁していた。


 元々、ミランと宰相を交えて夢の詳細を説明する予定だったのだが、馬車を降りたイルザは申し訳なさそうな顔をしたミランに予定変更を告げられた。




 心の準備もできないまま、赤い絨毯と金の装飾がきらびやかな部屋に案内されると、深呼吸する間も無く王妃が入室した。


 あわてて頭を下げるイルザの前、一段高い場所にある豪奢な椅子に、さらさらと衣擦れの音を立てながら王妃はゆったりと腰掛けた。



「面を上げよ」



 声を掛けられたイルザがぎこちなく頭を上げると、まっすぐにイルザを見つめる琥珀色の瞳と目があった。


 艶やかに波打つ亜麻色の髪に、つり上がり気味の大きな瞳、はっきりとした目鼻立ちからは異国の血を感じる。

 隣国の王女であったベルタ王妃は、堂々とした振る舞いにも気品があり、想像していた以上に美しいとイルザは思った。


 短い挨拶の間もじっとイルザを見つめていたベルタは、やがてにんまり笑った。



「でかした、息子よ。なんて愛らしい。近うよれ、イルザ。私はずっと娘がほしかったのだ。男はつまらぬ」



 独特の癖がある喋り方は、少し低い王妃の声や雰囲気に妙に合っている。


 ベルタはちらりと隣に立つミランを見たが無反応だ。

 ふん、と鼻を鳴らしたベルタは一転、にこやかにイルザに向き直る。



「イルザ。今日からそなたは私の娘。私のことはお母様と呼びなさい。ほら、こちらにおいで」



 ベルタに手招きされて、イルザは内心かなり動揺していたのだが、周りの大人達と、何よりミランが無言で頷いたのを見て、しずしずとベルタに歩み寄った。

 段の手前で止まるが、更に手招きされ、イルザは恐る恐る壇上に一歩足を踏み入れた。


 ベルタはイルザが口を開くのを待っているようで、暫し沈黙がおりる。



「………お母様………どうぞ、よろしくお願いいたします」



 何とかそう口にした途端、ベルタに抱き締められてイルザは硬直した。

 そのまま頭を撫でられたイルザは、間近で微笑まれ、慣れないことに顔を赤らめた。

 意思の強そうな、どちらかというときつい顔立ちのベルタは、微笑むと驚くほど優しげだとイルザはこの時知った。




 ミランはイルザの戸惑いを理解していたが、止めなかった。

 嫌がっているわけではない事が分かっていたからだ。

 ミランそっちのけでベルタばかり見ているのが少し気に食わなかったが、一生懸命な様子が微笑ましく、自然と笑みが浮かぶ。


 謁見の場には他にも数名の大臣と宰相が同席していたが、彼らはイルザと王妃の様子を見て密かに目配せし合った。

 この時、ミランとイルザの婚約はほぼ確定したのだった。




 それから二週間後、ミランの婚約が貴族議員達に知らされた。


 予想通り、伯爵家の令嬢では格が低いとか、悪い噂がある令嬢は相応しくないと反発があった。

 特にミランと年近い令嬢がいる家の反対は大きかったのだが、ミランの相手として最有力候補であった侯爵家当主は()()()()不在であった。


 侯爵がいないことで反対派は勢いを保てず、王がミランの判断に任せると明言したこともあり、思ったよりあっさりとイルザは婚約者に決定した。



***



 議会で王太子の婚約が承認された日、イルザの母である伯爵夫人はベルタ王妃に呼ばれて王宮に来ていた。

 婚約確定の報せと、王妃からの呼び出しを受け、伯爵夫妻はこの上ない名誉だと舞い上がっていた。

 喜ばしい言葉をかけられるものと思い、夫人は着飾ってこの場に来ていた。


 しかし、約束の時間を過ぎても王妃は現れない。

 一体どうしたことかと困惑しながら待つこと一時間、ようやく重い扉の向こうから王妃が現れた。


 

 深々と頭を下げた夫人に、頭を上げることを許さないまま、よく通るベルタの声が告げた。



「メルジーネ伯爵夫人。そなたの長女、イルザは王太子の婚約者に決定した。三週間後には婚約式を執り行い正式に婚約する。同時に国内外に王太子の婚約を公式発表し、その日からイルザは王宮に住まいを移すこととなった。必要なものは全て此方で準備するから、イルザの私物を整理して運び込むだけでよい。急ぎ準備せよ」



 聞かされた内容に驚き、夫人は思わず顔を上げて聞き返してしまった。



「三週間ですか? それは、あまりに……」



 夫人の言葉を遮って、扇を閉じる音が部屋に響いた。

 苛立ちを隠す気もない王妃の行為に夫人は青ざめ、すぐさま口を閉ざしてもう一度頭を下げた。


 先ほどより鋭く大きな声が、部屋の空気を震わせる。



「夫人。王の耳は優秀でな。イルザの持ち物を整えるなら、三週間で十分であろう? そなたの下の子なら、そうもいかぬであろうが」



 はっきりと侮蔑が込められた声音に、夫人はイルザへの冷遇が全て知られていることを悟った。


 端から応えなど求めていない王妃は、夫人に口を開く機会も与えず話を続けた。

 これは命令なのだ。



「三週間だ。それ以上は待たぬ。息子の婚約者となったイルザは、もはやわが娘と心得よ」



 夫人は一度も顔を上げることを許されず、ベルタが退出するまで深く頭を下げ続けるしかなかった。

 上辺だけ丁寧に王宮から追い出され、夫人は逃げるように馬車に乗り込んだ。

 着飾った自分が惨めで、恥ずかしかった。




 屋敷に戻る馬車の中、夫人はイルザが王太子妃となり、ゆくゆくは王妃となる事で降りかかる不幸にようやく思い至った。

 普段から能天気過ぎる伯爵はともかく、夫人は自分がどれ程浮かれていたかを自覚した。



「なんて事……」



 夫人は青ざめながら呟き、頭を抱えた。


 いずれ女性として最高の権力を持つイルザに、貴族達はあらゆる方法で取り入ろうとするだろう。

 本来ならこぞって生家におもねるだろうが、イルザは伯爵家で蔑ろにされてきた。

 色々な噂はあったものの、イルザは目立たない伯爵家の一令嬢にすぎなかった。

 そのためイルザが冷遇されていようがたいした問題にならなかったが、その事実を知るものは多い。

 先日のお茶会でもドレスすら用意しなかったのだ。

 エミリアとイルザの扱いの差は明白だった。

 かえって伯爵家を貶める者が出てくる可能性すらあった。


 イルザに恨まれているであろう夫も自分もエミリアも、どれほど肩身が狭い思いをするだろうと想像して、愕然とした。



「……どうしてこんな事に……」



 呟いた夫人の声は弱々しい。



(イルザさえ、いなければ……)



 一瞬浮かんだ考えに、夫人は身震いした。


 彼女自身、幼子が”嘘”をついたくらいで、あまりにひどい仕打ちだとわかっていた。

 イルザは間違いなく自分が産んだ子で、夫である伯爵の子で、エミリアの実の姉だ。

 誰よりも夫人がそれを知っていた。


 イルザが家族からの拒絶に傷ついていたことも知りながら、恐怖と嫌悪の感情が先立ち、見て見ぬふりをしたのだ。


 その結果が、痩せ細り、表情を失ったイルザだった。

 夫人はその光景を、今でも鮮明に覚えている。

 我が子を死の淵まで追い詰めたという罪悪感と供に、死ぬまで忘れられないだろう。


 夫人とて、隔離した北棟であんなに酷い仕打ちをするつもりはなかった。

 死んだように眠るイルザを看ながら、また一緒に生活する前にイルザに謝って、エミリアと同じように可愛がらなくてはと思っていた。


 しかしイルザは本邸に戻らなかった。


 憎むのも当然だろうと思いながら、イルザにどんな顔をすれば良いのか分からなくなって避け続け、今まできてしまった。

 夫がなにもしてくれなかったから、イルザがなにも言わないから、そんな思いが浮かんでは消えた。

 誰かのせいにしたかった。


 がたんと音を立てて馬車が揺れ、夫人は顔を上げた。

 窓の外はいつの間にか日が落ちて、薄暗くなっていた。


 宵のはじめの紫に染まる空は、イルザの瞳の色だ。

 イルザの瞳は暗い場所では青にも見えるが、光が当たると紫に輝く。

 美しいその瞳を見ていると、吸い込まれるように目が離せなくなった。

 赤ん坊の頃、よくのぞきこんでいたその目が、いつしか苦手になっていた。

 幼い声で繰り返される不吉な夢が恐ろしく、知るはずのない難しい言葉で滅亡を語る度にぞっとした。

 まるで見てきたかのように語る残酷な夢に耳を覆い、袖口を掴む小さな手を乱暴に振り払ったのは一度や二度ではない。



(あの頃の私はきっと、悪魔のような顔をしていたでしょうね……)



 すっかり暗くなった馬車の窓に、疲れ果てた蒼白い顔が映った。

 イルザと似たところが一つもない平凡な顔だ。

 並んで歩いたとしても、親子には見えないだろう。



(イルザ……あなたは今、何を考えているの?)



 突然お茶会に出たいと言い出し、そうこうしているうちに王太子の婚約者となっていた。

 ずっと北の離れで隠れるように暮らしていたのに、一体何があったのか。

 夫妻は知るはずもなく、知ろうともしなかった。


 イルザの表情が喪われてから数年。

 その間、彼女が何を思っているのか、考えたことすらなかったと夫人はようやく気付いた。

 

 イルザの願いが復讐なら、それは間も無く成就するだろう。

 握り締めた夫人の手のひらに、整えられた爪が食い込み、血が滲んでいた。




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