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01. 悪夢



 細い月が空に浮かぶ夜、王都は暗く静まり返っていた。

 城壁に囲まれた王都の外はなお暗く、時折唸り声のような風が吹いている。

 そんな暗闇の中で、小高い丘にぽつんと明るく浮かび上がる場所があった。

 そこには大きな屋敷があり、ガラス窓から漏れた光と、園庭のあちこちに灯された明かりが、周囲の森を仄かに照らしている。


 広い庭で夜の散歩を楽しむ人がいれば、楽団の奏でる音楽と笑い声が聞こえることだろう。

 王家が所有するこの屋敷では、今宵、舞踏会が開かれていた。




 会場となったホールは、色とりどりのドレスを身に纏う貴婦人達と、彼女達に寄り添う男性で華やかに賑わっていた。

 その中心には一際豪華に着飾った美しい少女と、彼女をエスコートする王子の姿もある。


 招待客が揃ったところで音楽が止み、金の装飾が輝く大きな扉から国王と王妃が入場した。

 国王の短い挨拶の後、合図と共に人々は移動を始め、少女と王子は会場の中央へと進んだ。


 二人は向かい合ってお辞儀をすると、手を取り合って優雅に踊り始めた。

 お互いを見つめて微笑み合う様からは、特別な親密さが感じられる。

 ぴたりと寄り添ったかと思うと、すれ違うように離れてまた近づく。

 王子のリードで少女が回るたびに、ドレスがふわりと広がった。

 その光景はお伽噺の終わりのように美しく、誰もが夢心地で眺めていた。




 異変が起きたのは、曲の終盤だった。


 始めは、微かに震える食器が音を立てた。

 人々は徐々にその音と揺れに気づき、やがて演奏が止まった。

 細かな揺れが起こす物音だけが響くホールで、皆不安そうに辺りを窺う。


 その揺れがしばらく続いた後、遠くから迫るような地鳴りと激しい揺れが会場を襲った。

 屈強な騎士すら膝をつくほどの揺れに、あちこちから悲鳴が上がり、中央で踊っていた少女と王子も抱き締めあってその場にしゃがみこんだ。

 建物が軋む音や、何かが割れる音が悲鳴に混じって聞こえてくる。

 人々は為す術もなく、ただ身体を丸めて災いが過ぎ去るのを待った。


 長く感じた揺れは、実際のところ数十秒で収まった。

 じっと様子を伺っていた人々が動き出し、倒れこんだ人がようやく身体を起こし始めた時、王子と少女の頭上では、シャンデリアが大きく揺れていた。


 騒然とするホールで、そのシャンデリアが不気味に軋む音を立てたことに数名が気付いた。

 そして、彼らが声を上げる間もなく、シャンデリアは支えを失った。


 宝石が散りばめられた壮麗な灯火は、炎を揺らして乱反射しながら落ちていく。

 音もなくゆっくり落ちていくように見えたシャンデリアの一番下、連なる宝石が磨き上げられた床に触れた瞬間、耳をつんざく不快な音が鳴り響いた。


 真下にいた二人を下敷きにして、巨大なシャンデリアは光が弾けるように四散した。

 近くで破片を浴びた数名が相次いで倒れ、大理石の床にじわりと血溜まりが広がる。


 一瞬の静寂の後、ホールは悲鳴に包まれた。


 下敷きになった二人を助けようと動く者がいる一方で、恐慌状態に陥った数百人が我先にと逃げだし、そのほとんどがたった一つの出入り口に押し寄せた。

 押し合う人々のうち誰かが倒れ、それに躓いた人がまた倒れた。

 それでも人の流れは止まらず、倒れた人を踏みつけにして人々は逃げた。

 倒れた人はやがて、ピクリとも動かなくなった。




 庭園へ飛び出した人々の髪は乱れ、所々服が破れているものさえいた。

 しかしそれを気にする者は、一人もいなかった。


 目に飛び込んできた光景に、彼らは逃げることも忘れて立ち尽くしていた。


 ほんの一年前まで、丘の上にあるこの屋敷からは、夜でも明るく煌めく王都が見えた。

 だが今、眼下に広がる王都は、夜空を赤く照らして燃えていた。

 数時間前まで壮麗な姿を見せていた王城も、その半分ほどが抉りとられたように崩れ果てている。


 燃え上がる炎が照らし出すのは、夜より暗い闇色の生き物。

 鋭い鉤爪を備えた大きな足が街を踏み潰し、長い尾の一振りで石造りの建物が土埃を上げて崩れ去る。

 大きな翼の羽ばたき一つで炎は一層燃え上がり、重い瓦が砂のように撒き散らされた。

 肋の浮いた身体には黒く光る鱗が並び、頭には不気味に捻れた角が二本、光る金の目には狂気が宿る。

 それはまるで、絶望が姿を表したようだった。


 王都の民は、その巨体と飛び散る瓦礫から逃げ惑い、炎は逃げ遅れた人々と都をあっという間に飲み込んでいった。

 城壁の内側に密集していた家屋は殆ど燃えて、竜巻のような炎が夜空に立ち上る。



「……この国はもう、おしまいだ……」



 そう呟いたのは一体誰だったのだろう。

 その小さな声が聞こえたとは思いたくないが、燃え上がる王都を背に咆哮をあげていた竜の目が、屋敷に向けられた。


 この場所は、暗闇の中で一際目立つ。

 まずいーー、と誰もが思った時、竜が翼を広げて姿勢を低くした。

 次の瞬間、突風が吹いた。


 反射的に閉じた目を開ければ、すぐそこに金色の目が光っていた。

 辺りが急に暗くなったのは、大きな翼が星屑の瞬く空を覆い隠したせいだ。


 それを理解する間も無く、翼は無情にも振り下ろされ、全ては黒く塗り潰された。



***




「ーーいや……!!」



 少女は自分の悲鳴で目を覚ました。


 早鐘を打つ心臓の音と、乱れた呼吸がいやに大きく聞こえたが、開けたはずの目に映るのは暗闇ばかりだった。


 自分が夢から覚めたのか、それとも竜に襲われて死んだのか分からず、少女はその身を震わせた。

 身体を抱え込めば、着古した夜着に触れる。

 すがるようにそれを握り締め、彼女は暗闇を見つめた。

 

 やがて、雲の間から月明かりが差し込んだ。

 見慣れた部屋がぼんやりと浮かび上がって、少女は大きく息を吐き出した。

 広いベッドで小さくなっている少女の髪は、月の光を集めたような銀色だ。

 月明かりに照らされた少女の名は、イルザといった。

 白く滑らかな頬には髪が乱れかかり、透き通る紫の目は伏せられているが、薄暗い室内でも輝くような美しさだ。


 イルザは強張る身体を動かして、きつく握り混んだ指をぎこちなく開いた。

 まだ小さな手は、ぶるぶると震え続けている。

 今年十歳になったばかりのイルザは、それでも泣かなかったし、誰かを呼ぶこともなかった。

 ゆっくりと深呼吸をして身体を丸め、肩まで上掛けを引き寄せて窓の外を見つめた。

 イルザはいつも、そうやって夜明けを待つのだ。


 部屋の中も外もしんとして、イルザの悲鳴を聞き付ける者もいない。

 夜空に浮かぶ三日月だけが、震えるイルザを照らしていた。




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