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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

騎士と悪女と第四王子と真実の愛

作者: さ田

「汝、病める時も健やかなる時も〜」


 神父が読み上げる宣言文をどこか他人事のように聞いていた。



 ああ、神様。



 彼女を初めて目にした瞬間を、彼女の眼差しを、仕草を、唇を。僕は生涯忘れられないのだろう。








 フィービーとグレースに初めて出会ったのは母に連れられて行ったお茶会で、僕は八歳で彼女達は七歳だった。二人はコインの裏表のように何もかもが正反対の魅力を持っていた。

 フィービーは意志の強そうなつり上がった眉に垂れた瞳で、よく笑う褐色の肌の健康的な少女だった。運動神経がとても良く、出会った頃より馬を乗り回し、後に入学した王立学院の騎士科では女ながら幾人もの男を相手に勝利を収め、卒業を控える頃には学院三本の指に入る実力者となるほどだった。

 グレースは頼りなく下がった眉に反して蠱惑的なつり目の美人で、病弱で肌は抜けるように白く、目を離すと消えてしまいそうな儚げな少女だった。年を重ねる毎にその危うげな美しさも増していったが、僕とフィービー以外の前ではまったく笑わない愛想のなさで、王立学院では「氷の君」と囁かれていた。


 僕が十一歳、二人が十歳になる年に公爵令嬢のグレースは第四王子と婚約し、僕はフィービーと婚約した。

 第四王子は僕の二歳上の美男子で、社交的な性格からいつも女生徒に囲まれていた。フィービーとはまた違った方向でグレースと正反対だったが、足りないところを補い合うと思えば似合いの二人だった。なにより美貌の二人がダンスを踊る姿はどんな絵画より美しかった。

 グレースとフィービーは正反対なのに仲がとても良く、その仲の良さは二人が卒業を控える年まで続いた。


 二人の仲を引き裂いたのは他でもない、僕だ。


 二人が卒業するのと同時にグレースは第四王子と、フィービーは僕と結婚することが決まっていた。何年もそれを前提に僕達は生きてきた。

 ところが卒業、すなわち結婚を控えた一ヶ月前にグレースは僕の館を訪れたのだ。


「ずっと好きだったの。こんな気持ちのまま結婚なんてできない。お願い、一度だけ抱いて」


 初めて見るグレースの涙だった。触れれば壊れそうな、しかし目眩がしそうなほどの色香に喉が鳴った。


「駄目だ。グレース、それは‥許されない」


 声が掠れた。


「ジェイク、私、苦しいの。許されないのはわかってる。ずっと、許されない罪だと知っていたから何度も諦めようとして、でもどうしてもこの気持ちを消せないの。どうしても愛してるの。どうすればいいの?いっそ死んでしまいたいくらい、好きで、苦しい‥」


 限界だった。

 僕だって、僕のほうがグレースをずっと愛していた。一目惚れだったのだ。初めて目が合った瞬間、儚げなグレースに暴力的に心を奪われた。親の決めた婚約を心底恨み、どうすることもできない無力な自分を憎み、無我夢中で剣を奮った。剣を握っている間は現実を忘れられたが、それ以外でグレースを忘れることなんてできなかった。僕達の前では笑顔を見せるのに、第四王子にはにこりともしない様に優越感を覚え、フィービーの誕生日プレゼントを二人だけで相談する時間が何より幸せだった。十年間ずっと、その細い肩を抱きしめたい衝動を、抑えて、堪えていたのだ。ずっと。


「グレース‥!」


 夢に見るほどに焦がれていたグレースはどこまでも甘美だった。柔らかい唇も、白い肌も、蜜壷も、貪れば貪るほど脳髄が甘く痺れた。十年もの間抑えこんでいた欲望という名の飢えは、グレースが気を失っても止められないほど底がなかった。


 グレースの乙女を奪ってしまった責任はしっかり取るつもりだった。母に泣かれても、父に殴られても、妹のように大切なフィービーを傷つけても心は揺るがなかった。グレースが共にいてくれるなら平民になってもいいし、地獄に行ったってよかった。それが甘い幻想にすぎないと知ったのは謹慎が明けた後だ。

 僕が邸宅で謹慎を受けている間に、社交界では「親友から婚約者を奪った悪女」「第四王子の婚約者でありながら他の男を誘惑した悪女」としてグレースの名が広まっていた。第四王子とグレースの婚約は破棄され、グレースは学院の卒業を待たずして国外追放されていた。

 

 僕は国外に出ることを生涯禁じられ、第四王子の婚約者を穢した代償に、辺境に配属される使い捨ての兵士となった。

 学生の頃、グレースへのままならない恋心を糧に磨いた剣の腕が幸いして勝利を重ね、王国騎士団に移動し、何故か上官の娘に気に入られて今に至る。








「〜〜夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

「‥誓い、ます」


 そしてグレースではない彼女に愛を誓っている。僕は何をしているんだろう。

 ベールを巻くった彼女の潤んだ瞳になんの感情も湧き上がらない。ひどく強引に結婚を決められた時は嫌悪感があったが、今はそれすらない。


 ただただグレースが恋しい。


 大勢を傷つけ、今なお神の御前で妻となる彼女にキスをしながらグレースを想う僕は、きっと地獄に墜ちるだろう。地獄に墜ちても僕はグレースを恋しがるのだろう。



 僕の心を奪って狂わせ続けるグレースは、なるほど確かに悪女なのかもしれない。







◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「‥ジェイクが貴女と愛し合ったって言うんだけど、そんなの嘘よね?」


 私の大切な美しい親友は、動揺する素振りもみせなかった。


「愛し合うという表現は間違っているけれど、私の純潔を捧げたのは本当よ」

「どうして?!どうしてそんなッ‥他でもないあなた達二人が私を裏切ったの?」


 涙が溢れて頬が濡れた。伸びてきた華奢な白い手を払った。傷ついたような顔をされたけれど、謝る気はなかったわ。だって私のほうが傷ついている。


「ジェイクを愛してるの?」

「いいえ、違うわ」

「じゃあどうして!」

「‥誰でも良かったの。レオナルド様って色んな女性に手を出してるじゃない?そんな人に私の初めてを捧げたくなかっただけ」

「そんな‥そんなに嫌なら婚約破棄を望めば良かったじゃない。どうしてジェイクを、私の婚約者を誘惑したの?」


 グレースは笑った。初めて見るイヤらしい微笑みだったわ。


「何度も言うけど誰でも良かったの。一番手近だったのがジェイクだっただけ。安心して。二度とジェイクと同じベッドで眠る予定はないし、ジェイクが本当に愛してるのはフィービー、貴女だけよ」


 だけどジェイクはグレースを愛していると言っていた。

 誰よりも大切にしていた二人に裏切られた私は、一体何を信じればいいの。








「やっぱりグレースってとびきり美人だわ」


 第四王子のレオナルド様が卒業する年の卒業パーティーで、ドレスアップしたグレースは、彼女だけがスポットライトに照らされたように美しかったわ。ダンスホールの中央で踊るレオナルド様とグレースは物語の王子様とお姫様みたいで、皆が二人にうっとりと見惚れていたもの。

 

「僕の婚約者も中々美人だけどね」

「あら、是非お会いしてみたいわ」

「鏡を持ってこようか?」

「ふふっ、結構よ」


 婚約者のジェイクは、いつだって私を気分良くしてくれたわ。


「グレースのドレス、とっても素敵でしょ?私が一緒に選んだの。グレースは何でも似合うから選ぶのが大変だったわ。肌が白いとどんな色も似合うのよね。私もせめてパーティーの間だけでも、肌が白くならないかしら?なんて思っちゃった」


 ママから受け継いだ褐色の肌は似合う色が限られていて、普段は気にならないけれどドレスを選ぶ時だけは、いつも親友の白い肌を羨ましく思っていたもの。


「グレースは確かに何でも似合うけれど‥君のドレスは君が誰よりも似合ってるよ」

「そうかしら?」

「いつも言ってるだろ。グレースはグレース、フィービーはフィービーにしかない魅力があるって」

「そうだった」


 子供の頃から周りの人間はグレースと私を比較した。風が吹いたら攫われそうに可憐で、淑やかで美しい私の自慢の親友。乗馬と剣が好きで刺繍は苦手で、生傷が絶えない男みたいな私。

 女らしいことが苦手な私を周りがどんなに否定しても、ジェイクとグレースだけは、それがフィービーの魅力だっていつだって私を肯定してくれたの。二人がいなかったら私は私らしくいられなかったかもしれない。部屋で苦手な刺繍をしながら乗馬や剣を羨ましく眺める人生なんてゾッとするわ。ジェイクとグレースが私の一番の味方でいてくれたから、私も何があっても二人の味方でいようって決めていたの。


「レディ、僕と踊っていただけますか?」

「喜んで」


 何度も聞いた曲が演奏されて、何度も一緒に踊ったパートナーとステップを踏んだ。

 不思議なことに、婚約して何年も経つジェイクのことを私は年々好きになっていた。もっとも昔から大好きな友達ではあったので、子供の頃は友情だったものが恋に変わっていったというのが正しいのかもしれない。

 ジェイクは同年代で私が唯一勝てない剣士だった。学院で一番の剣の腕を誇示することはなく、黙々と鍛錬を積む努力家で、性格は冷静で落ち着いている大人っぽい人。ジェイクが大人びているのは一歳上だからではなく、彼の人間性によるものだと知ったのは学院に入学してからよ。同年代の男の大半は下品だし、女の私が剣を握るのに良い顔をしなかったわ。誰に対しても紳士で、婚約者が男に紛れて剣を握ることを、許してくれるジェイクが私の婚約者で本当に良かったと何度思ったかしら。

 どこか達観しているような、時折寂しそうな顔をするジェイクに、私は夢中で恋をしていた。




ーーー私から誘惑したの。一度きりの気の迷いだからジェイクを許してあげて。全部私のせいだから、私を許さないで。


 親友だった彼女はそう言って国を出ていったわ。彼女の言葉に免じて私はジェイクを許すことにしたの。


「今どき貴族の男なら婚外子がいたっておかしくないもの。たった一回の浮気くらい目をつむるわ。ただし、二度目はないわよ」


 その時私は、ありがとうと笑顔で抱きしめられるのを待っていたのに、ジェイクはこの世の終わりのように項垂れたままだった。


「‥浮気じゃない。本気でグレースを愛してる。君は僕を許さなくていい」

「ッ、グレースはもういないのよ?」

「例え二度と会えなくても、グレース以外を愛せない」

「それでもいいわ!結婚すればきっと忘れられる、私が忘れさせてみせる!」

「‥ごめん」

「私のことを愛してないの?これっぽっちも?十年間、ただの一度も私を愛せなかったの?」

「ずっと妹みたいに愛していた。友人として大切だから君とは結婚できない。僕は君を幸せにできない。勝手なことを言うようだけど、君には幸せになってほしい」

「私は貴方と幸せになりたいの‥」


 何度流したかわからない涙を溢した。それでもジェイクは。


「僕は、グレースじゃないと幸せになれない」






 身を切られるような失恋をして、引き込もっていた私を心配してくれたのは第四王子のレオナルド様だった。何度も二人でお話をして、食事をして、街でお忍びデートをする頃には私の心も回復して、レオナルド様からの求婚を受けたの。


「週末は帰ってくるのよね?」

「あぁ。俺が留守にしている間、よろしく頼む」


 大勢の使用人の前でもかまわずキスをされて、甘やかな気持ちでレオナルド様を見送った。

 臣籍降下で授かった公爵領を統めるためにレオナルド様は多忙で、あまり公爵邸にいらっしゃらない。学生時代は色恋の噂が絶えない方だったので「もし外で子供を作ったら引き取ってきてね。貴方の子は妻として私が育てるわ」と釘を差したら「俺が望むのは君との子だ」と言われて激しく愛されたわ。

 長年仲良くしていた婚約者と親友に裏切られ、第四王子に見初められた私の恋物語は、町で人気の大衆劇となっているみたい。思えば波瀾万丈で、死んでしまいたいほどの辛い思いもしたけれど、私は今とっても幸せ。

 ジェイクはもうすぐ騎士の娘と結婚するという噂がある。行方がわからないグレースは今どこで何をしているのかしら。

 大衆劇でグレースは私を裏切った悪役令嬢にされていたけれど、実際に裏切られたのはジェイクを奪われた一度きりで、私達の友情は本物だった。楽しかった思い出は忘れないし、私は今幸せだし、グレースを恨む気持ちは無くて、とっくに許している。もう二度と会えないかもしれないけれど、グレースもどこかで幸せに暮らしているといいな。







◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「どうしてジェイクを、私の婚約者を誘惑したの?」


 悲しみに打ちひしがれ、ぐずぐずと涙を流すフィービーはあまりにも可哀想で可愛らしくて、ジェイクを受け入れた下腹の奥が甘く疼きました。その涙を舐めとって赤い果実のような唇を味わってみたい。はしたなく涙を流す姿をもっと見てみたい。私には叶わないそれをジェイクは容易く手に入れてしまうのです。


「何度も言うけど誰でも良かったの。一番手近だったのがジェイクだっただけ。安心して。二度とジェイクと同じベッドで眠る予定はないし、ジェイクが本当に愛してるのはフィービー、貴女だけよ」


 本当は誰でも良かったわけではありません。フィービーと結ばれるジェイクでなければ意味がなかったのです。フィービーがどんな風に愛されるのか知りたかった、ただそれだけなのですから。








 幼いころの私は今よりも病弱で、一日のほとんどの時間をベッドの上で過ごしていました。つまらない私の人生において、外で駆け回り風の音や草の匂いを教えてくれるフィービーは私の宝物でした。勇敢で凛々しくて強いのに心は誰よりも乙女で、表情が豊かで見ていて飽きない。フィービーより可愛らしくて愛しい人なんて存在しなかったのです。

 フィービーへ向ける感情がただの友情ではなく、神に背いた罪であると知ったのはいつ頃だったのでしょう。正確には覚えていません。お互いの婚約が決まった時、なんとなく残念に思ったことは覚えています。

 年を重ねるにつれて「なんとなく残念」が「フィービーと婚約しているジェイクが羨ましい」に代わり、いつしかフィービーの好意を当たり前のように享受するジェイクに、憎悪に近い嫉妬心を抱くようになりました。

 もっとも私のジェイクへの嫉妬は、彼には何の否もないことを理解していました。ジェイクは婚約者としてきちんとフィービーを大切にしていましたし、フィービーへのプレゼント選びは毎回私にアドバイスを求めてくるほど熱心でした。そして私の身勝手な嫉妬心を抜きにすれば、ジェイクはフィービーの次に大切な友人で正しく親友だったのです。

 今思えばあの時の私の行動は、半分は狂った欲望で、半分は親友への甘えだったのでしょう。




「グレース、ウエディングドレスはどのデザイナーに頼むの?」

「誰だったかしら?母が適当に決めたデザイナーだと思うわ」

「もう、グレースってば相変わらず着飾ることに無頓着なんだから。せっかく綺麗なのにもったいないわ」

「私よりフィービーのほうがずっと綺麗だし魅力的よ」

「えぇ?バカね、そんなこと言うのグレースくらいよ。グレースは自分がどれだけ美人かもう少し自覚するべきだわ。パーティーではいつも視線をひとりじめしてるじゃない」

「気のせいよ」

「気のせいじゃないわ。貴女って本当に美人なんだから。私が男だったら間違いなく結婚を申し込んでるもの」

「‥私が男だったらフィービーに結婚を申し込んでるわ」

「ふふっ、私たち相思相愛ね」


 フィービー、どうして貴女はそんなに無邪気に笑いながら私の心をかき乱すの。

 結婚を目前に控えて、長年抑えていた恋心が這いずるように私の全身を蝕みました。

 次に満月が空に浮かぶ頃、フィービーはジェイクに抱かれてしまう。私の可愛くて純粋なフィービーがジェイクのものになってしまう。その事実がどうしても嫌で、頭がおかしくなりそうなくらい嫉妬しました。嫉妬にかられた先にどんな風にフィービーが抱かれるのか知りたくなり、全てを手に入れる親友にねだったのです。


「私を抱いてほしいの」

「グレース‥?」


 ジェイクとはフィービーと同じくらい長い付き合いでしたが、ジェイクのこれほど驚いた顔は初めて見ました。


「ずっと好きだったの。こんな気持ちのまま結婚なんてできない。お願い、一度だけ抱いて」


 告白ではなく懺悔でした。

 フィービーへの想いを初めて言葉にして涙が流れました。誰を、とは言えませんでした。私の本当の気持ちを知られて気持ち悪がられるより、結婚を前にジェイクに言い寄った淫らな女として嫌われるほうがマシだったのです。

 ジェイクは誠実なので断られる確率のほうが高いと思っていましたが、私に同情して望みを叶えてくれました。

 勝手なことに、私は自分から誘ったくせにフィービーを裏切ったジェイクに失望しました。自分が食べものになったような錯覚がするキスも、反射的に押し返してもビクともしない厚い身体も、獣のような瞳も息づかいも、普段のジェイクとは別人のようで恐ろしくなかったといえば嘘になりますが、それ以上にフィービーはこうして抱かれるのかと思うと、ジェイクが私になり私がフィービーになったような幻覚がして恍惚となり、凶器のような肉棒もこれでフィービーを穢すのだと思えば愛しささえ覚えました。


 一夜限りの過ちは、善良なジェイクが抱えるには負担が大きすぎたようです。自分の行動に後悔はありませんが、ジェイクには悪いことをしたと今も心を痛めています。もちろんフィービーにも。

 誓って私は二人の仲を割く気はありませんでした。むしろフィービーと結ばれるのはジェイク以外考えられません。しかし善良なジェイクは、私の純潔を奪った責任を感じて私と結婚するなどと言い出しました。ありえません。私は急いで「私ことグレースが無理に親友の婚約者であるジェイクに迫って誘惑した」と記者から世間に広めました。たまたま私は公女であり第四王子の婚約者だったので、社交界では大きなゴシップとなりました。

 意外なことに第四王子のレオナルド様は婚約継続を提案されました。ゴシップは嘘だと表明して予定通り結婚してしまえばいいじゃないか、と。レオナルド様が私との結婚を望んだのは意外だった気も、意外じゃないような気もしました。

 レオナルド様にとって私は都合の良い婚約者だったのでしょう。

 見目麗しく、人の機微を読み取る力に優れ、コミュニケーション能力の高いレオナルド様は学院でファンクラブができるほどに人気がありました。レオナルド様は多情な方なので、学院内はもちろん市井の飲み屋から城内のメイド、隣国の貴族にいたるまで愛人がいらっしゃるようでした。愛人がどれだけいても公的な場や記念日は婚約者として私を尊重してくださいましたし、愛人が私に危害を加えようとすれば容赦なく制裁されていたので、愛人がいることについて小言を言ったことはありません。

 レオナルド様にとって、私はおそらく結婚しても愛人を囲うことに文句を言わない都合の良い伴侶だったのでしょう。結婚したらその通りだったとは思いますが、せっかく私と婚約破棄したのですから、レオナルド様にも神に背いてでも求めてしまうほどの、真実の愛が見つかることを祈っています。







「シスター、今日も早いですね」


 振り向くと司祭様がいらっしゃいました。


「おはようございます。ゆっくりと神に祈りを捧げたいので」

「おはようございます。熱心なのは良いことですよ」


 神様。私は悪女です。


 同性の友を愛し、大切な友にいらぬ罪を背負わせた悪女です。そして私を穢した友が、私が愛した友を、私と同じように穢していることに恍惚を感じ、私を許さない限りあのコの胸に私が存在すると思うと幸福な悪女なのです。





 フィービー、愛しているわ。愛しているから絶対に私を許さないでね。

 









◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 皆なにもわかってないのだ。





 足を下ろしただけでベッドがギシッと軋んだ。安っぽいベッド特有の軋みが俺は好きで、もしかしたら女よりベッドの軋みを目当てにここに来ているのかもしれないほどだった。


「帰るの?」

「あぁ。週末は帰るって約束してるからな」

「あら、愛妻家じゃない」


 鼻で笑って愛人の家を出た。

 公爵邸に帰る途中で花を買った。おそらく妻は花に興味はないが、花束を贈られること自体には喜ぶはずだからだ。反対に、花が好きなくせに花束は喜ばなかった元婚約者を思い出す。

 元婚約者のグレースは口数が少なく、表情もあまり変わらないので氷のような女だと囁かれていたが、よく観察すればわかりやすい女だった。

 何人かいた婚約者候補の中からグレースを選んだのは、年下のわりに口元のホクロが色っぽくて俺好みに育ちそうだったのと、会話に煩わしさがなかったからだ。女を武器に媚びてくるわけではなく、王家に恐縮してビクビクするわけでもなく、見合いを嫌がる失礼なじゃじゃ馬でもなかった。

 なにしろ表情が固いので最初こそ面白味のない女だと思っていたが、王宮の庭園を案内すれば瞳をキラキラさせて珍しいらしい花や薬草を興味深そうに眺めていた。薄っぺらい言葉より雄弁なグレースの瞳に興味がわいた。貴族令嬢のわりによく気が利き、ロマンティックな会話やプレゼントより実用性のあるもののほうが嬉しそうで、思えば女っぽい見た目に反してさっぱりした性根だった。妻のフィービーは己を男っぽいと自称しているが、運動が好きなだけで性根はわりと女っぽい。つくづく正反対な二人だったのだ。

 グレースは幼馴染二人の前でだけ表情が緩んだ。そのうちの一人を見つめるグレースの瞳に熱が宿っているのを、俺以外に気づいた者はいただろうか?少なくとも善良で鈍感な幼馴染二人は最後まで気づいていないようだった。

 婚約者の心が別の者に奪われていることは面白くはなかったが、怒るほどでもなかった。なぜならグレースは気持ちを伝えるような真似はしないと確信していたし、俺も女遊びをしていたからだ。グレースは俺に興味がないから結婚しても自由に遊べるだろう。賢いから上手く公爵夫人として立ち振る舞うはずだし、俺もグレースも美形だから綺麗な子供が産まれるはずだ。そんな考えでグレースとの未来を想像していた。

 

 まさかグレースが、不貞を働いて修道院に入ると言い出すなんて考えもしなかった。


 結局のところ俺もわかっていなかったのだ。


「なかったことにすればいい。予定通り結婚すれば、噂なんかそのうち風化するだろう」

「‥いけません。私は貴方を裏切ったのですから」

「お前の心はとっくの昔から俺を裏切っていただろう。今更だ」

「え?」

「そもそも彼女の婚約者を奪っても、彼女がお前に振り向くことはないだろう」


 グレースは一瞬目を見開いたが、すぐに穏やかに目を細めた。


「奪うつもりはありませんが‥レオナルド様にはお見通しだったんですね」

「お前は意外とわかりやすいからな」


 目を丸くしたグレースがほどけるように笑って、俺は息を飲んだ。

 初めて俺に向けた、愛想笑いではない笑顔だった。花が咲いたように美しく可憐で、俺はずっとこれが欲しかったのだと唐突に理解した。


「そんなことを言うのはレオナルド様くらいです」

「‥そうか」

「ええ。そういえば、私が兎の肉があまり好きではないのをご存知なのも、レオナルド様だけなんですよ?何度も一緒に食事した両親も友人も気づいてないのに、たまにしか食事をご一緒しないレオナルド様だけ。プレゼントも不思議なくらい、いつも私が欲しいものをくださいました」


 一瞬、喉の奥が熱くなった。届いていたのだ。笑顔がみたくて尽くした心が。いつしか諦めたそれも、グレースの瞳を観察するのはクセになっていた。


「レオナルド様は心が読めるんですか?」

「見ればわかる。他が愚鈍なだけだ」

「いいえ、貴方の観察力が特別なんです。だから沢山の女性が虜になってしまうんでしょうね」


 そう言うなら何故お前は俺の虜になっていない。グレースを愛しく思う気持ちに比例するように苛立った。


「他の女とは手を切る。俺がしてきたことに比べれば、お前の一度の過ちくらい目を瞑ろう。グレースは純潔だったと俺が証言する。誰にも文句は言わせない」

「レオナルド様にそこまで言っていただいて申し訳ないんですが、私はすでに公爵家を破門になっているので、レオナルド様とは結婚できません」

「破門申請を出したのはいつだ?取り消させる」

「レオナルド様」


 グレースが首を振り、絹のような髪がサラサラと細波を打った。


「私はフィービーと同じように抱かれた記憶を、誰にも上書きされたくないのです」


 









「おかえりなさい、旦那様」

「ただいま。起きていて大丈夫なのか?」


 出迎えてくれた妻に花束を渡すと、少女のように頬を染めて喜んだ。


「むしろ一日中ベッドに横になっていたら病気になっちゃうわ」

「それでも今は一人の身体じゃないんだから気をつけてくれ」

「わかってるわ」


 妻のフィービーは慈愛に満ちた笑顔で膨らんだ腹を撫でた。

 フィービーには知らせてないが、グレースがどこの修道院に入ったかは把握してある。




 なぁ、グレース。


 お前が人生を棒に振ってまで愛した女は俺に抱かれている。俺とフィービーの子供に会わせたらお前はどんな顔を見せてくれるんだ?悪女らしく俺を誘惑してくれる日が待ち遠しくて仕方ない。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ストーリーの構成がとても良かったです。 [気になる点] 結局、みんなフィビーを裏切ってるような…、解せないです。 [一言] 面白かったですが、少しモヤモヤします。でも、それが、このストーリ…
[良い点] グレースは思いを遂げ、フィービーは新たな愛を信じ、王子は仮初めとはいえ愛も自由も手にした上、全てを握っている。 ジェイクだけがグレースを渇望し、ずっと満たされないまま。 そんなシニカルなス…
[良い点] 第四王子だけが現実に折り合いつけられず、グダグダ言ってるところ フィービーはジェイクを許したところ、第四王子の浮気に気づかないところ、明らかに男脳だと思う 結局グレースのことが好きで言い訳…
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