ゾンビ令嬢は王子を幸せにしたい
春の柔らかい日差しが降り注ぐ王宮庭園で、ゾンネは注目を浴びている。
「まあ、日の当たるところを歩かないと言われている、ゾンビ令嬢ですわ」
「バケモノ一家、ラングレーヴェ公爵家の長女でしたかしら」
「ああ、あの、どうやって爵位を得たのか謎な貴族家ですわね」
ゾンネはヒソヒソささやく令嬢たちの耳元につぶやいた。
「ゾンビではなく、ゾンネですわ。古代語で太陽を意味しますの。光り輝く子になってほしいという、両親の願いがこめられてますの」
突然そばにやってきて、小声で告げられ、令嬢たちは悲鳴を上げた。
「ひっ、お許しを。悪気はございませんのよ」
「殺さないでくださいまし」
令嬢たちは震えながら去っていく。
「あら、逃げてしまいました。やはり腐臭がするのでしょうか。それとも、ドレスの型が古臭いかしら」
なにせ、数百年前の流行ですからね。ゾンネはむむむと顔をしかめながらドレスを見る。
今日は、マルクス・クルツレーヴェ第三王子の婚約者候補、大選定会だ。ゾンネはこの日を楽しみに、指折りに待っていたのだ。もしかしたら、ゾンネの大事な誰かの片鱗が、マルクス王子に入っているかもしれない。
とっておきの、お気に入りのドレスを衣装部屋から引っ張り出し、お日様に当てて虫干しをしてきた。
「今はフワフワフリフリのドレスが流行っているのね。まあ、いいでしょう。私にフリフリは似合わないもの」
月の光を集めたような、不思議な光沢のあるしなやかなドレス。昔々の最先端だ。流行は何度も巡るので、そのうちこれも再評価されるでしょう。ゾンネは気軽に考える。
「さて、マルクス殿下はどうかしら。兄ふたりは違ったけれど」
ゾンネはソワソワしながらマルクスの登場を待つ。
「皆、待たせてすまないね。マルクス・クルツレーヴェだ。堅苦しいことを抜きに、楽しんでくれたまえ。直答を許すからね、気軽に声をかけてくれ」
爽やかな声と共に、マルクスが現れた。柔らかそうな金髪の巻き毛が春風に吹かれて乱れた。のぞいた淡い灰色の瞳は、キラキラと楽し気だ。
スンスン ゾンネは風に乗って漂うマルクスの匂いを確かめる。これは、もしや。ジリジリと気配を消してゾンネはマルクスに近づく。目立たないように、護衛の後ろに陣取った。
高位貴族の令嬢たちが、頬を赤らめてマルクスに挨拶をする。
ゾンネは全ての令嬢の名前を覚えた。
「マールは節操がなくて、なんでも拾い食いして、よくお腹を壊していました。動くものにはなんでも飛びつくウカツなところもありましたわね。それとなく、注意してあげましょう」
過保護はよくないから、遠巻きに。何百年も心配性の家族に見守られているゾンネ。そのうっとうしさは、誰よりも知っている。
***
輝く子犬系王子とひそかに言われているマルクス・クルツレーヴェ第三王子。私室に戻ってホッとひと息吐いた。堅苦しい礼装を脱ぎ、気楽な室内着に着替える。
「ああー、疲れる」
マルクスはゴロンと長椅子に横になった。
「お気に召すご令嬢は見つかりましたか」
「うーん、みんなかわいいよねー。卒なく受け答えするし、品もいいし。誰を選んでも大差なさそう」
「選んでから後悔されることのなきよう、じっくりとお考えください。次回のお茶会は、規模を縮小し、一人ひとりとの対話時間を増やします」
侍従はマルクスの隣の机にドサッと書類を置く。
「突出したご令嬢がいなかったのであれば、つながりを深めるべき貴族家からお選びください。印をつけております」
令嬢たちの履歴書の右上に、赤丸がついている。
「この赤丸がついているご令嬢を中心にご確認ください。ひとまず、二十人ほどお選びいただけますか」
マルクスは起き上がって書類を順番に見ていく。
「そうだね、どの子も素敵だから、問題ないかな」
マルクスは赤丸のついた書類を上から二十枚数え、侍従に渡す。
「はい、できた」
「殿下、早ければいいというものではございませんよ」
「この二十人でピンと来なかったら、そっくり入れ替えて次のお茶会をすればいいよ。最終的に五人に絞ればいいんだよね。なんなら五人とも娶ったらいいんじゃないかな」
「殿下、それでは国民からがっかりされてしまいます。民は、ひとりの女性と愛を育む純愛が好きですから。側妃は、正妃との間で子どもが生まれなかったときに考えることです」
「つまらないな。第三王子なんて、いてもいなくても一緒なんだから、好きに生きたいのに」
「殿下は人気抜群ですから。王家の人気を支えるためにも、自重してください」
侍従は慇懃にマルクスをたしなめて、招待状を手配しに部屋を出た。
***
二回目のお茶会はしっとりとした雰囲気で始まった。高位貴族令嬢が中心なので、浮ついたところがない。上品に牽制しあい、結果盛り上がりに欠ける。マルクスは気にすることもなく、まんべんなく令嬢たちに声をかける。
「君は、ラングレーヴェ家のゾンネ嬢だな」
「さようでございます。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
こんな女性、赤丸書類にあったかな。マルクスは不思議に思うが、しっかり者の侍従が間違えるわけがない。
「ゾンネ嬢は確か学園には通っていないのだったか。家庭教師がついているのか?」
「そうですね。家庭教師は得意です。ひと通り、なんでも教えることができますわ。殿下がお嫌いな歴史も、あたかも見てきたかのように、おもしろおかしくお話しすることができます」
「ほう、それは興味深い。あのスミレ戦争のところが、ややこしすぎて苦手なのだ」
なぜ歴史が苦手と知っているのだろう、チラリと浮かんだ疑問は、ゾンネが話し始めるとどこかに消えた。
「あれは、ひとりの女性を巡る、王子ふたりのケンカですよ。盛りのついた犬が、雌犬を取り合ってキャンキャンしているとお考えくださいませ」
ゾンネは、それから、生き生きと下世話な恋物語を語り始めた。
「甘やかされて、望むものは全て手に入る王族。なびかない女性を見ると、それだけでその女性がとんでもない美女に見えてくるのです。男の狩猟本能をくすぐるのですわ」
冷めた目で見ていた令嬢たちが、少しだけ身を乗り出した。
「落ちそうで落ちない。おいしそうなのに、手が届かないブドウ。摘み取られてお皿に乗ったブドウは、退屈ですもの」
「そう、なのかな」
マルクスは首を傾げている。令嬢たちはじわりと椅子をゾンネに近づけた。
「埋没しないことも大事です。目立たないことには、花を見慣れた王子に気づいてもらえませんから。淑やかな令嬢が多いなら、少しはすっぱに、もしくは妖艶に。差別化戦略ですわ」
令嬢たちはさりげなくお互いの容姿を見比べ、心持ち胸を張ったり、巻き毛を片側にまとめてうなじを見せたりし始めた。
「歯を見せずに笑うことをよしとする時代なら、逆に全開で笑ってみせるのです」
ゾンネが真っ白な歯を見せて笑うと、マルクスは目を丸くする。
「悪い女だったのだな。ふたりの王子をもてあそんで争わせるなんて」
「それが、実はそうではないのですよね。よく分かっていなくて、あわあわしていたら、ああなったというか。私もあれから学びました。気軽に人前に出てはいけないぞって」
ゾンネがしんみりと言う。
「結局、悪女はどっちを選んだのだ」
「どちらも選んでいませんわ。自分の起こした騒動に恐れをなして、洞窟にこもってしまったのですわ。出てきたのはなにもかもが終わってからですわ。もう王子はコリゴリですわ」
ふうーとゾンネはため息を吐き、マルクスの顔を見てひと言つけくわえる。
「と書いてある手記を読みましたの」
「それは、ぜひ読んでみたいな」
「どちらで読んだのだったかしら。王宮図書館だったかもしれませんわ」
マルクスはゾンネの紫色の瞳を興味深げに見つめた。
***
「ゾンネ、三十年戦争も悪女が原因か?」
「あれは違いますわ。単純なる王位継承争いですわ。当時、王族は五人ほど妻を持っておりましてね。結果、王族の血を引く子どもが増えたのです。少ないパイを取り合って、奪い合うことになりますでしょう」
途端にマルクスがつまらなさそうな顔になる。
「なんだ、それなら歴史書に書いてある通りではないか」
「書いてない裏話がお聞きになりたいのですわね」
困った子だこと、そんな祖母が孫を見るような目で、ゾンネがマルクスを見つめる。
二回目のお茶会以来、ゾンネはマルクスの歴史の教師を務めているのだ。
「そうですわねえ、あの当時から、王にふたつ名をつけるのが流行ったのですわ。王族は似たような名前が続きますから。見分けるために」
「狡猾王とか慈悲王とか。あれだな」
「ええ。王位継承者は、こんなふたつ名がほしいとよく話しておりましたわね。例えば、氷血王と呼ばれたがっていた王子は、酒豪王になりがっかりしていました。手っ取り早くすぐ酔えるお酒を飲んで、早死にしましたわ」
ゾンネは懐かしそうに言って、肩をすくめた。
「端麗王はどんな人だったのだろう?」
「ああ、端麗王は実は男装した女性なのです。とても優秀な王女でしたので、父王が男装させて王位を継がせたのです。秘密を守るのが大変でしたわね。特に妊娠されたときなんかは。ツワリは二日酔い。お腹が大きくなったのは酒を飲みすぎたと」
「王族に酒飲みの逸話が多いと思っていたが。そんな事情も中にはあったのだな」
マルクスが机の上で頬杖をつく。
「王族はたいてい大酒飲みですわね。国の頂点に立つというのは、大変な責任ですから。飲まなければやってられないのかもしれませんわ」
「僕は王位から遠いところにいるから。お酒はほどほどにするよ」
「マルクス殿下は、ミルクがよろしいと思いますわ」
「背が低いからか」
「まだお若いですもの。これから伸びますわよ」
マルクスがブスッとした顔をするが、ゾンネは柔らかく受け流す。
「短躰王と呼ばれるのはごめんだ」
「彼は、背が低くはなかったのですけれども。前王があまりにも大柄だったので、対比でそう呼ばれただけですわ。宮廷改革を熱心にした傑物でいらしたわ」
「ゾンネなら、僕にどんなふたつ名をつける」
マルクスがまっすぐにゾンネを見た。
「子犬王」
マルクスは机の上の紙をまるめてゾンネに投げる。ゾンネは軽くかわして、クスリと笑った。
「よろしいではございませんか。子犬を嫌う人はおりませんわ」
「ゾンネもか」
「ええ、もちろん」
ゾンネは優しい目でマルクスを見る。
「僕が成犬になるまで、そばにいてくれる?」
「いいですわよ」
「僕の子犬を産んでくれる?」
「子犬、は分かりませんわ。産んだことがありませんもの」
ゾンネは首を傾げる。
「比喩だよ」
「ふふふ」
マルクスは立ち上がってゾンネの隣に立つ。
「僕と添い遂げてくれる?」
「添い遂げる。そうですね、殿下を見守ることはできますわ。一緒に老いることはできませんの」
ゾンネは寂しそうにつぶやく。
「おじいさんになった僕を見るの、辛い?」
「慣れていますから。大丈夫です」
マルクスはゾンネの手を取った。
「次は長生きできる種族に生まれてくるよ」
「命は短いからこそ、鮮やかに輝くのですわ」
ゾンネとマルクスは、お互いをまぶしそうに見つめる。
***
「母上、また父上の絵を眺めていらっしゃるのですか?」
すっかり大きくなった息子のカールが、ゾンネの肩を後ろから抱いた。
「寂しいんだもの」
「父上が亡くなって、もう十五年ですよ。そろそろ旅行にでもいかれては。母上はまだまだお若いのですから」
「年を取れないタチなのよね」
ゾンネは残念そうに口をつぐむ。ゾンネの血を引き、いつまでも若々しい息子は、前に回ってゾンネの腕をひっぱる。
「さあ、せめてお茶会ぐらい行きましょう。異国から珍しいお客様がみえているとか」
渋るゾンネを侍女が手際よく飾り立てていく。
「アクセサリーはどれになさいますか?」
「このままでいいわ。気に入っているもの」
ゾンネは小さな紫水晶のスミレの耳飾りをそっと触る。カールはゾンネをエスコートして屋敷を出る。
「今日はどういう設定?」
「母上は、従妹ということに」
「分かったわ」
ふたりで王宮に向かうと、いつぞやの庭園に案内された。既に数人が席についている。ゾンネが近づくと、ひとりが立ち上がった。獣人なのだろう、犬のしっぽが見える。しっぽがパタパタと動き、テーブルの上に飾られた花びらがハラハラと落ちた。
子犬みたいだわ。思わずゾンネはクスッと笑みをこぼす。
「太陽のようにまぶしく、スミレのような目の神秘的なレディ。自己紹介する機会をいただけますか」
子犬みたいなその人は、ゾンネの前にひざまずいた。パタパタのしっぽが、地面を掃除し、砂埃をまきおこしている。
「ゾンネ・ラングレーヴェと申します」
「マリオット・フンデスランドです。末永くよろしくお願いしたい」
マリオットはゾンネの手に丁寧に口づけをした。フワッと懐かしい匂いがゾンネの鼻をくすぐる。
マリオットはスッと立ち上がると、ゾンネの耳元でささやいた。
「お待たせ。今度は一緒に長生きできるよ」
「ああ、あなたなの、マール」
「ゾンネ、会いたかった」
ゾンネはマリオットの手を握りしめる。
「僕もいるんだけどな」
後ろからカールが笑いながら声をかける。マリオットは笑いながら、カールとゾンネを抱きしめる。
十五年ぶりに、王宮の庭園にゾンネの笑い声が響いた。
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