阮咸
話の着想は『世説新語』任誕篇十より。
当時七月七日に虫干しをするために衣装を外へ出し、同時にどれほど豪華な衣装を持ってるか見せびらかし自慢する風習があったようです。そのとき阮咸はふんどしを出してみせ、「衣装を見せびらかしたいという俗気がまだあるから、負けじとやってみたのさ」と竹林七賢ジョークを言ったとか。
また阮咸と阮籍は道の南側に住み貧乏で、道の向こうの北側には金持ちのほかの阮一族が住んでいました。対比も明らか、阮咸のやったことはよく映えたことと思われます。
ちなみに阮咸の出身である陳留阮氏は周の文王(紀元前一二世紀~紀元前一一世紀ごろ)の時代に起源をもつとされる名門貴族であることを踏まえると、阮籍や阮咸のふるまいの異端さがよくわかります。
阮咸が秦琵琶に精通し、秦琵琶を阮咸と称するようになったという話は『旧唐書』志第九 音楽二より。
「阮咸,亦秦琵琶也,而項長過於今制,列十有三柱。武太后時,蜀人蒯朗於古墓中得之,晉竹林七賢圖阮咸所彈與此類,因謂之阮咸。咸,晉世實以善琵琶知音律稱」。
「今制」より「項」が「長過」するというのは、『旧唐書』が書かれた五代十国時代の後晋のときには、月琴に近くなり竿がだんだん短くなっていたから……なんでしょうか。
阮咸は奈良の正倉院にも二つ保存され、うちひとつの螺鈿紫檀阮咸は聖武天皇の愛用の品と伝わります。
名前の通り胴の前面以外はすべて紫檀で作られており、随所に螺鈿細工が象眼されています。胴の背面には紫檀の黒くつややかな地に、螺鈿の銀のオウムが二羽飛んでいる、豪華絢爛な逸品です。
去年(二〇二一年)の第七三回正倉院展で目玉の一つとして展示されたので、実際にご覧になった方もいるかもしれません。
月琴についてはコトバンクを参照しました。
前述の通り月琴は阮咸の竿が短くなり弦や柱(竿の上で弦を支え音を調節する部分のこと)の数が変化した楽器で、特徴は胴が満月のような丸型をしていることです。
宋、明、清と時代が下った後も一般的に広く用いられ、中国だけでなく周辺諸国にも広まりました。
日本には江戸時代に長崎を経由して伝来、ともに伝わった明清楽と呼ばれる声楽中心の音楽で、おもな伴奏楽器として奏でられるようになります。
家庭音楽のひとつとして明治まで親しまれしたが、日清戦争後は徐々に洋楽にとって代わられたそうです。