表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歴史小説のためのノートブック  作者: 久志木梓
さとうきび・そーど
17/26

着想元について――さとうきび・そーど

※小説本編はこちら

https://ncode.syosetu.com/n6608ex/


この話の着想は主人公である曹丕(そうひ)の自伝「自叙(じじょ)」に書かれたエピソードから得ました。


歴史にふれると感じるのは「人間って変わらないなあ」という共感か、「どうしてこんなことを……なぜ……意味わからん」という疑問のどちらかが多いと思います。


そして「自叙(じじょ)」のこのエピソードは「意味わからん」のほうではないでしょうか。なんでこのエピソードを自伝に書こうと思ったの……?


このエピソードを自伝に書いた曹丕(そうひ)の動機や理由は残されていないのが残念です。


自叙(じじょ)」には他にもさまざまなエピソードが載っています。


三国志の当時に生きた曹丕(そうひ)自身が語る、三国志の時代の話はとても魅力的です。


董卓(とうたく)黄巾賊(こうきんぞく)張繍(ちょうしゅう)といった勢力との戦いの日々、人物との交流や個人的な趣味の話などがつづられています。 




曹丕(そうひ)の自伝「自叙(じじょ)」は曹丕(そうひ)が書いた論文『典論(てんろん)』のなかの一篇です。


典論(てんろん)』は中国における初期の文学論のひとつです。


「文章は経国(けいこく)大業(たいぎょう)にして、不朽(ふきゅう)盛事(せいじ)なり」という一文が有名です。


(訳「文章は国政にかかわりを持ち、永遠に朽ちることがない偉大なる営みである」。訳は伊藤正文、一海知義訳『漢・魏・六朝・唐・宋散文選』より。以下同じ)


この一文は『典論(てんろん)』の「論文」篇に書かれています。


「論文」篇の内容は大きく三つにわかれます。


最初は作家論です。


文学の形式にはいろいろあり、文人それぞれ得意な形式は異なると述べます。


そして文人はお互いを軽蔑し相手の不得意な点をあげつらい、自分の不得意からは目をそむけがちだと指摘します。


実例として曹丕(そうひ)は同時代に活躍した七人の文人をあげ、美点と欠点を批評します。


この七人がのちに当時の年号をとって「建安七子(けんあんしちし)」と呼ばれるようになりました。


また曹丕(そうひ)本人と、曹丕(そうひ)の父である曹操(そうそう)曹丕(そうひ)の弟である曹植(そうしょく)もすぐれた文人だったため、この三人を「三曹(さんそう)」と呼びます。


三曹(さんそう)」と「建安七子(けんあんしちし)」を中心としたこの時代の「建安文学(けんあんぶんがく)」は、中国文学における黄金時代のひとつとして歴史に残りました。


典論(てんろん)』の「論文」篇にもどると、次に得意・不得意は文人個人の生まれつきの資質によるものだと、曹丕(そうひ)は述べます。


資質は後天的にどうこうできるものではなく、誰かに伝授できるものでもないと述べます。


そして最後に「文章は経国(けいこく)大業(たいぎょう)にして、不朽(ふきゅう)盛事(せいじ)なり」、「文章は国政にかかわりを持ち、永遠に朽ちることがない偉大なる営みである」と述べます。


そして「人間の寿命には尽きる時があり、栄耀(えいよう)栄華もその享受は当人自身に限られる。後の後者(筆者注・寿命と栄華のこと)には必ず訪れる終末があり、文章が永遠の生命を保つことに比すると、及ばぬものがある」と文章の価値とその永遠性を論じました。


文章の価値をここまで高く評価した考えは中国文学の歴史において画期的でした。


典論(てんろん)』の「論文」篇は曹丕(そうひ)の生きた時代からおよそ三百年後にできた、傑作を集めたアンソロジー『文選(もんぜん)』にも収録されています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ