失踪した元婚約者に再会しました。グーで殴っていいですか?
レイリア・ハルディオス伯爵令嬢は20歳。金髪碧眼ではあるが、美人でもなければ、かといって不細工でもない。
そこらへんに普通にいるような令嬢だ。彼女は幸せ一杯だった。
2週間後にミルヘルト・ラセイル伯爵令息と結婚するのだ。
ミルヘルトは背が高く茶髪のそれはもう、整った顔の美男子だった。
歳は同い年。学園卒業と同時に両家の取り決めで婚約を結び、それからは定期的に
ミルヘルトにデートに誘って貰い、完璧なエスコート、楽しい会話、時には熱い愛を耳元で囁いてくれて。レイリアはミルヘルトにもう、惚れ切っていた。
ラセイル家の両親も、彼の姉も、とてもレイリアの事を気に入ってくれて、
ラセイル家の屋敷にミルヘルトに連れていって貰い、共に食事をする度にレイリアの事を可愛がってくれて、
「このような素敵なお嬢さんがうちの息子の嫁になってくれるだなんて。」
ラセイル伯爵夫人がそう言えば、
ラセイル伯爵も頷いて。
「そうだな。我が伯爵家に嫁いできてくれるのが楽しみだよ。」
ミルヘルトの姉のメリーナも、
「わたくしも素敵な義妹が出来て嬉しいですわ。レイリア。仲良くしましょうね。」
ミルヘルトは嬉しそうに微笑んで、
「我が家は君を大歓迎している。よろしく頼むよ。レイリア。」
「はい。わたくし、一生懸命頑張らせて頂きますわ。」
レイリアはなんて自分は幸せなのだろう。そう思っていたのだが。
結婚式一週間前、突如、ミルヘルトが失踪してしまったのだ。
ラセイル伯爵夫妻がすっ飛んできて、ハルディオス伯爵夫妻に頭を下げて詫びる。
「申し訳ございません。息子が失踪してしまいました。」
「あの子は、嫌な事があると、昔から姿をくらます事がありまして。」
レイリアはその言葉に固まった。
「嫌な事だったんですか?わたくしとの結婚が。」
ラセイル伯爵夫妻は言葉を濁して、答えてくれない。
ハルディオス伯爵夫妻である両親は激高して、
ハルディオス伯爵は、
「結婚式は中止だな。中止にかかる金はそちらで払って貰う。」
伯爵夫人である母は、レイリアを抱き締めてくれた。
「可哀想なレイリア。ミルヘルトとの結婚を楽しみにしていたのに。」
レイリアの瞳から涙がこぼれる。
そこへ、弟のアゼルドが現れて、
「結婚しなくてよかったんじゃないですか?姉上。失踪癖がある男は何度でも繰り返しますよ。結婚前に解ってよかったじゃないですか。」
「でも、わたくしは…」
優しかったミルヘルト。一緒にデートした時はそれはもう幸せで。
耳元で、「愛しているよ。レイリア。共に幸せになろう。」
だなんて熱く囁かれた時は胸がドキドキして。
「ああ、わたくしは、ミルヘルト様と結婚しとうございました。ミルヘルト様…」
母の胸に縋って、泣くレイリア。
こうして、レイリアは結婚一週間前に、婚約者が失踪するという大きな傷を心に負ったのであった。
1年経ち、2年経ち、ミルヘルトは行方不明のままだった。
レイリアはあまりにもミルヘルトとの事がショックだったので、結婚したくはない、わたくしは、仕事に生きるわ。だなんて思っていたのだけれど。
あのアホ野郎、失礼、ミルヘルトと偶然会うなんて…レイリアは思いもよらなかったのである。
レイリアは運良く王宮にある事務局で働く事が出来た。それはひとえに頼りになる弟アゼルドと、ミルヘルトの姉メリーナの尽力のお陰である。
メリーナとはミルヘルトの件があったとはいえ、個人的にすっかり仲良くなり、時折会って、お茶したりしていた。
職を探していると言ったら、メリーナが自分が勤めている王宮の事務局で働いたらどうかと紹介してくれたのだ。弟のアゼルドは第二王子付で側近を勤めている。
だから、アゼルドからも、事務局に働きかけてくれて、二人のお陰でレイリアは事務局で働く事が出来た。
王宮の事務局とはいえ、結構仕事が大変である。
時には事務局長に付き従い、数人の事務官が王家の直轄地である地方に出向いて、王家への納税の状況を調べなくてはならない。そこにレイリアもメリーナと共に同行する事になった。
事務局長アレックスは、30歳過ぎの仕事に生きる、仕事の鬼局長である。
しかし、事務官達には時には厳しく、特には優しく良い上司だった。
その日も馬車でアレックスと数人の事務官と共に、直轄地へ出かけたのである。
木の葉の舞い散る秋深い紅葉の綺麗な時期であった。
民家が立ち並ぶ直轄地に着いて馬車から降りた途端、見覚えのある男性を見てしまったのだ。
自分を捨てて失踪してしまったミルヘルトが可愛い赤ちゃんを抱っこして、綺麗な女性と歩いている姿を。
一緒に来たメリーナが、レイリアよりも早くミルヘルトに駆け寄って。
「ミルヘルト?あんたミルヘルトよね?」
呼び止められたミルヘルトは真っ青な顔をしながら、
「姉さんっ??何故ここへ?」
「こっちが聞きたいわ。どういう事よ。結婚式を前に失踪して。どれだけレイリアが悲しんだか。わたくし達が心配したか解っているの?このスットコドッコイ。」
レイリアは幻を見ているのではないかと思った。
あれだけ好きだったミルヘルト。ミルヘルトが赤ん坊を抱っこして、他の女性と幸せそうにしているだなんて。
ミルヘルトはレイリアがいる事に気が付いていないようで、
「だって、姉さん。あのままレイリアと結婚するのが嫌だったんだ。
平凡な女と結婚して家を継いで、平凡な貴族の人生を送る。
俺はもっと熱くて激しい生き方をしたいって。そうしたらここにいるマリアが、駆け落ちをしないかって。でもって、駆け落ちをして、今、俺達はこの村で生活をしているんだけど。
丁度よかった。最近、生活が苦しくてね。少し金を融通してくれよ。頼むからさ。」
あああ、なんて事…あんな男に惚れていただなんて、レイリアは、怒りで身が震える。
これはもう、殴るしかないでしょう。出来ればグーで殴りたい。
ツカツカと近寄って行って、足を踏ん張る。
ミルヘルトはレイリアを見て驚いたように口をぽかんと開けた。
マリアは赤ん坊をミルヘルトから受け取って抱っこし、震えながらこちらを見ている。
メリーナがにっこり微笑みながら、
「足を踏ん張って腰を落として、思いっきり右腕を後ろに引いて、勿論、手はグーで
殴ってよろしくてよ。レイリア。」
「勿論。そうさせて貰うわ。でも、ごめんなさい。貴方の弟でしょう。」
レイリアが確認すると、メリーナが、
「こいつはわたくしの弟でもなんでもありませんわ。では、レイリア。殴ってOK。」
事務局長のアレックスがニヤニヤ笑いながら、ミルヘルトを背後からガシっと羽交い絞めにして、
「これで逃げられないぞ。」
マリアが悲鳴を上げて、
「大事な私の旦那様ですうっ。だから勘弁してくれませんっ?」
レイリアはハァとため息をついた。
ミルヘルトはブルブルと震え、なさけない顔をしている。
何でこんなんに惚れていたの?私…???
殴る価値もない奴だと解った…
「事務局長、メリーナ。もういいですわ。こいつに触れたくもありません。」
きっぱりそう言うと、アレックスもメリーナも頷いて。
メリーナは宣言する。
「貴方はラセイル伯爵家と縁も所縁もありません。伯爵家はわたくしが婿を取って、継ぐから心配しなくて結構。消えて。」
ミルヘルトはマリアの手を引っ張って、そそくさと走り去って行ったのであった。
レイリアはメリーナに感謝した。
「有難う。メリーナ。すっきりしたわ。」
「こちらこそ、弟がごめんなさい。まったく、あのスットコドッコイ。野垂れ死ねばいいのに。」
事務局長のアレックスがハハハと笑って、
「メリーナ。婿の貰い手が無くなるぞ。」
「失礼いたしましたわ。オホホホホホホホ。」
それからレイリアとメリーナは、事務局長と他の同僚と共に、今回の訪問の目的である仕事をてきぱきとこなすのであった。
あれから、再びラセイル伯爵家にミルヘルトがマリアと赤子を連れて、現れたらしいが、メリーナが追い払ったと言っていた。ラセイル伯爵夫妻は息子はともかく、孫は可愛いから、受け入れようとしていたみたいだが。
メリーナがきつく両親を叱ったらしい。
レイリアと、メリーナはしばらく結婚しなかったが、
結局、メリーナは弟のアゼルドと歳が離れているのにも関わらず、親しくなって、アゼルドはラセイル伯爵家に婿入りしてしまった。
ちょっとハルディオス伯爵家はどーなるのよ。
と思っていたら、アレックス事務局長といつの間にか、良い雰囲気になり、彼が婿入りしてくれることになった。
結婚なんて一生しないと思っていたのに、今、レイリアは有能なアレックスと共に幸せな家庭を築いている。伯爵領はアレックスとレイリアの手腕のお陰でさらに発展した。
ミルヘルトとマリアがどうなったか…
風の噂では、酷い貧乏生活を地方で送っているとかいないとか…
ミルヘルトがどうなろうが、今のレイリアには知った事ではない。
年上の旦那様に甘やかされて、レイリアは幸せを満喫しているのだから。
レイリアは過去は振り返る事は二度とないだろう。