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泣けないの

 



「おかえりなさい。お疲れ様です」


「・・・クローディア、昨日はっ・・」


「急なお仕事だったんでしょう?仕方がありませんわ」




 帰宅したジルベルトを出迎えたクローディアは彼が言葉を紡ごうとしたのを遮った。


 言い訳も、謝罪も聞きたくはなかった。


 クローディアの言葉にジルベルトの瞳が揺れる。それに、思わず笑いだしたくなった。


 薄々感づいてはいた、彼が約束に乗り気でなかった事を。

 仕事であったというのは嘘でないだろう、だけどそれは彼が変わらなくてはならない仕事だったのだろうか、そんな疑問があったけれどわかりやすく跳ねた肩と揺れる瞳にクローディアは答えを知る。


 本当になんて嘘の下手な人なんだろう。せめて仕事ですらなくて無意味にすっぽかされるならば彼を罵る事も出来たかもしれないのに。





 正直で、誠実で、なんて残酷な人だろうと思った。







「昨日は本当に」


「必要ありませんわ」


 クロードにコートを預け、此方に踏み出そうとした彼の言葉を再度妨げた。




 紺碧の瞳を真っすぐに見上げる。



「謝罪も、言い訳も不要です。だってわたくしは貴方を赦さないもの。




 一生貴方を赦さないわ」



 息を呑む音が聞こえた。大きく見開かれた紺碧の瞳に何をそんなにショックを受けているのだろうと可笑しくなった。


 だって彼はそれを望んでいた筈だ。




 全て赦すと言った私の言葉を拒んだのは自分の癖に。






「お疲れでしょう。今日はごゆるりとお休みになって下さいませ」


 微笑みかけて彼のそばを通り過ぎた。その際に掴まれそうになった手を避ける。


「何処へ行かれるのです?」


「友人に会いに」


 振り向かずにそれだけ言って彼の屋敷を出た。



 鮮やかに降り注ぐ陽光に、昨日着ていたままの白いドレスが酷く滑稽な気がして再び笑い出したくなった。御者に行き先を告げて馬車へと乗り込む。胸の中はぐちゃぐちゃで、クローディアは自分が会いに行ける相手なんてたった一人しか思い浮かばなかった。

















 先程まではあんなにも眩しく太陽が輝いていたのに、突然翳りだした空と零れ落ちる雫。


 時と共に雨音を増すそれに通りに居た人々は軒先や建物の中へと逃げ出し、露店を営んでいた者達は慌てて商品を片付けだす。馬車の中からカーテンをほんの少しだけ摘んで、クローディアはその光景を見ていた。折角の《星祝祭》なのに、突然振り出した雨に人々は恨めし気に空を睨む。


 目的の場所近くに着いたクローディアは雨脚が強いからと止める御者の言葉を無視して馬車から降りた。御者には帰りは馬車を雇うからと告げて帰宅を促したがそれは如何しても受け入れては貰えなかった。仕方なく帰りの時間と場所を約束して雨の中へ足を踏み出す。


 突然振り出した雨に傘など用意していなかったクローディアは当然のように雨に打たれる。だけどこの雨は屋敷を出た時のあの白々しい陽光よりもずっと今の自分にお似合いだと思った。


 ほんの少しの距離を歩いて、辿り着いたのは大きな商会。以前聞いたレイの実家が経営する商会だ。ふらふらと引き寄せられるように近づき、軒先で立ち止まる。何も考えず訪れてしまったが、レイは仕事があるだろうし自分はずぶ濡れのまま。中に入る事を躊躇っていると店内の女性がクローディアに気づいて驚きに眼を丸くした後、大慌てでクローディアを店内へと招き入れた。



「あの・・・、わたくし濡れているので、店内を濡らしてしまいます・・・」


「構いませんよ!びしょ濡れじゃないですか、すぐに拭く物を用意させますからそこにおかけになっていてくださいませ」


 躊躇うクローディアを招き入れた女性はそう言ってバタバタと奥へと駆けていく。


 快活そうな女性はどことなくレイと面影が似ていた。ウェーブのかかった長い髪と瞳の色もレイと同じショコラブラウン。


 止める間もなく駆けだしていった彼女を見送りながらクローディアはその場に立ち尽くす。途中従業員らしき人たちが彼女の示していた椅子に座るよう勧めてくれたけれど濡れた衣服で座るのは気が引けて首を振る。


 暫くして両手にタオルを手にもって戻ってきた彼女の後ろでレイがショコラブラウンの瞳を見開いた。眼を丸くした表情は先程の彼女とよく似ていた。


「ディー!!如何したの?!びしょ濡れじゃないか!」


 タオルをひったくるようにしたレイが慌ててクローディアへ走りよるとそのまま髪を拭ってくれる。されるがままになりながら縋るようにレイの袖口を掴んだ。


「・・・レイ・・・」


 弱弱しい声音。髪から滴る雫が頬を伝う。



 だけど涙は一滴も流れない。




「姉さんごめん、僕ちょっと仕事抜けるね。あと服用意して」


「わかったわ。そんな事はいいから早くそのお嬢様をお部屋に連れてって差し上げなさい。こんな寒い場所じゃ風邪をひいちゃうわ!」


 優しく背を押されて、足を踏み出す前にレイの姉へと頭を下げた。






 通された部屋で椅子に座ったクローディアは小さく肩を震わせた。


 身に纏うのはピンクの可愛らしいワンピース。レイの姉が「上等なドレスでなく申し訳ないんですが」と恐縮しながら用意してくれたそれは上品で肌触りがいい。お客様でもないのに迷惑をかけているクローディアに優しく微笑んで世話を焼いてくれる彼女にクローディアの方が恐縮した気持ちでいっぱいだった。



 暖められた部屋で用意された新しい服に着替えて訪れた寒気にふるりと震える。



 先程まで雨の中に居た時は何も感じなかったというのに。


 寒気を感じるのはきっと此処が暖かいから。


 ワンピースと共に置いて行ってくれた肩掛けを広げて両手の指を擦り合わせていた時に扉が開いた。


「お待たせ。やっぱり寒い?もう少し部屋暖かくしようか。あとコレ、飲んで温まって」


 コトリと眼の前に置かれたマグカップ。レイが持ってきてくれたそれはホットミルクだった。


「ありがとう。何から何までごめんなさい」


 カップを両手で包み込むように抱えれば、じんわりと伝わる熱が指先を温めてくれる。ブランデーが仄かに香るそれにふぅふぅと息を吹きかけているとレイが小さく笑う気配があった。


「ごめんね。ディーって猫舌なんだなって思って」


「また猫扱い?わたくしそんなに猫っぽいかしら。確かに吊り目だけど・・・」


「吊り目って言うより猫目じゃない?可愛くていいじゃん。パッチリした猫目って可愛くて色気があるし。ちょっと小悪魔っぽい感じだよね」


「小悪魔・・・」


 漸く飲めるようになったホットミルクに口をつける。ホットミルクなんて随分久しぶりだった。


「悪女ならよく言われるけれど」


「ディーが?」


 本気で意外そうにするレイにフフッと笑う。


 突然あんな訪問をしたというのにレイは何も聞いて来ない。


 レイは優しい。


 その優しさに甘えてる自分を自覚しながらクローディアは口を開いた。



「すっぽかされちゃった。昨日の夜、約束していたのに」


 ぽつりと零した声は弱弱しくてレイの表情が歪む。


「急な仕事だったから仕方がないのだけど」


「殴った?」


 唐突な問いにクローディアはぱちりと眼を瞬かせた。



「理由なんて関係ないよ。ディーにあんな泣きそうな顔させたんだ。殴ってやればいい」


「レイがそんな事言うなんて意外だわ」


「そう?だって僕怒ってるし」


 怒ってる。その言葉を心の内で反復する。



 それはつまり、クローディアの為に怒ってくれているということで____





 気づいた途端たまらなくなった。


 鼻の奥がツンと痛む。それはきっとこの部屋と同じ。寒さに気づかない程に凍えて麻痺した躰が暖かな空気に触れて初めて自分が冷え切っていたことに気づいたように。


 優しさに触れて大丈夫だと強がっていた心の奥底が悲鳴を上げた。



 全然大丈夫なんかじゃない。


 胸が痛い。痛くて痛くてたまらない。








 なのに




「泣けないの」










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