兎の紅玉は好奇心に煌めく
煌めく紅玉に宿る感情。
「キミが噂のジルベルトのお嫁さん?」
誰の眼にもあって、だけど他の誰とも違って隠すことなく向けられる好奇心。子供のようにきらきらと輝く瞳は不躾で、純粋。
「どの噂かしら?沢山ありそうでわかりませんわ。でも」
首を傾げた後で、ドレスの裾を摘んで優雅に一礼する。
「クローディア・オルセインと申します」
伏せた顔を上げながらにっこりと微笑んだ。嫣然と、挑発的に逸らすことなく紅い瞳を見据えれば、僅かに丸くなる紅玉。
「そう、ご紹介出来れば宜しいのですが・・・生憎まだ、ただのクローディアですわ」
クローディアには家名が無い。そんな事は相手も百も承知していることだけど。
丸まった瞳が、喜色を映す。
声を上げて笑い出した男をクローディアは観察する。
とても、美しい男だった。
社交界において容姿の美しい者など見慣れているけれど、それでも思わず眼を引くほど美しい男。力仕事など縁のなさそうな華奢な痩躯に、どこかウサギを思わせる白銀の髪と鮮やかな紅玉の瞳。ジルベルトなどとはまた違う、性別を感じさせない中性的な容姿と、神秘的にも見える容姿を裏切るようにきらきらと輝く瞳と雰囲気は年齢さえも曖昧にさせる。
「面白そうなコだね」
噂以上だ。と、愉悦を含んだ瞳で人懐っこく笑う彼はまるで玩具を見つけた子供。
「団長っ!」
傍らにいた青年が焦ったように彼を呼んだ。クローディアを此処まで案内してくれた青年は、最初に彼が第一声を発した時点で固まった。ちなみに遠巻きにしていた人々も。慌てて上司を止めようとする姿に若干の同情と微笑ましさを覚える。踏まれた地雷に挑発で返して、彼らの石化を長引かせた自分に同情する権利はないかもしれないけれど。
「ねぇ、ボクとお茶しない?おハナシしようよ」
部下に掴まれた腕も気に留めず、話しかけてくる姿にきっといつもの事なのだろうと思う。
無邪気で、好奇心旺盛で、自由奔放。
奇才にして、天才。
彼を一言で言い表すなら、とても、浮世離れしている。
型破りな第三魔術師団の団長。生真面目なジルベルトが苦労してそうだな、とまたも自分を棚上げして思った。それと同時に確か三十を超えていた筈なのだけど、と若干失礼な事を考えながら眼の前の男を見やった。
そしてそのままお茶会へ、となる筈もなく廊下を歩く。そもそもクローディアはまだ来訪の用事を遂げてはいないのだ。文句を垂れながらついて来る若干一名をプラスして、当初の目的であるジルベルトの執務室へと向かう。若干一名に対し、仕事はいいのかしら?と疑問を持つ。聞いても無駄な気しかしなかった。
「失礼します」
ノックの音に「入れ」と簡潔な返事。
案内役の青年が開けてくれた扉から覗く机の上には幾つもの書類の山が出来ていた。顔も上げず視線が書類を向いたままなところからも忙しさが見て取れた。
「お疲れ様ですわ」
予想外の声に、反射的に上がる顔。驚愕を表すそれに、にっこりと微笑みかければ、ガタンと派手な音がして、立ち上がろうとした彼の肘が書類の山の一つに当たって崩れそうになるのを慌てて抑えた。椅子が倒れる。
「そんな幽霊でも見たような反応をしないで下さいな」
「・・・クローディア。何故、ここに・・・・?」
答えを求めてか、ジルベルトの視線が傍らに立つ青年へと向くと、直立のまま青年はぶんぶんと首を振った。答えを得られなかった視線が彷徨いながらクローディアへと戻る。
「差し入れを持って来ましたの。お食事、ここのところちゃんと取られてらっしゃらないでしょう?」
持参したバスケットを掲げて見せれば、ようやくぎこちなく笑みが浮かんだ。
「お気遣い、有難う御座います」
どうぞ此方へ、と促されてソファへと腰を下ろす。書類への未練を残しながらも甘い笑みを作って対面へと腰掛けた彼が青年へお茶を頼むのを断る。
「わたくしが淹れますわ。あちらの茶器をお借りしても宜しくて?」
「それは、構いませんが・・・」
「お忙しいのでしょう?それは十分に承知しております。ですが別にお仕事の邪魔をしようと思って来た訳ではありませんの。旦那さまはどうぞお仕事を続けて。軽食も片手で食べられる物をご用意しましたから、お仕事をしながらで構いませんからお茶を一杯分だけわたくしに付き合ってくださいな」
膝の上のバスケットをテーブルに置いて立ち上がれば、「ボクも食べたい!」とちゃっかりソファに寛いだ彼の上司から声が上がった。ちなみに、青年はどうしたらいいかわからなそうに入室から一歩も動かず立ち尽くしたままだった。
「仕事を手伝いたい、ですか?」
訝し気に問い返された声に、ええ、と頷いて紅茶を啜る。
テーブルを囲むのはクローディアと、軽食を取りながらも控えめに仕事を続けるジルベルト、焼き菓子を頬張るゼロスと、何故自分が同席しているのかわからないと遠い眼をしているセオの四人。
お茶を飲む段になって思い出したように「あ、ボクはゼロス。ジルベルトの上司だよ」と今更の雑な自己紹介をした彼に深く溜息を吐いていた二人が印象深い。ついさっき思った苦労しているのだろうなという予感が早々に確信に変わった。「こっちは部下のセオ」指を指されてやはり雑に紹介された青年は不動のままで、不憫になってお茶を勧めた。善意のつもりだったのだけど、引き留めずに逃がしてあげた方が親切だったかも知れない。
「わたくしに出来る事はあるかしら?」
「何で?」
小首を傾げれば、問いかけた先の彼ではなくゼロスが同じ向きに首を傾げた。
「何でワザワザ仕事なんてしたいの?」
あっけらかんとした問い掛けに溜息を吐く。
「そもそも、上司であるゼロス様の所為でもありますのよ。毎日、毎日夜遅くまでお仕事、お休みの日さえまともにない。おかげでわたくし、旦那さまとは滅多に一緒に居られませんわ」
眉を寄せて軽く睨めば露骨に視線が逸らされた。視線の端でジルベルトが気まずさげに俯き、セオはもっと言ってやれとばかりに眼を輝かせていた。
「・・・申し訳ありません」
「謝ってくださるなら時間を作ってください」
しかし、とジルベルトが続ける前にクローディアが遮る。
「ご自身の顔をご覧になりまして?」
「顔、ですか?」
「顔色がお悪いですわ。お食事も、睡眠も満足にお取りにならない、当たり前の結果でしょう。お忙しいのは存じています。お仕事で時間が取れないと仰るのならば、そのお仕事を手伝わせてほしいと言っておりますの。実際、あの書類の山が雪崩を起こさないうちに手を打つ必要がおありでしょう?」
机の上に積まれた書類の山に視線をやれば、三対の視線がその後を追った。辛うじて空白のスペースがあるものの、もう幾つかの山が聳えれば机が埋め尽くされてしまいそうな有様だった。
「わたくしは引く気はありませんもの。無駄な問答で時間を潰すよりもわたくしを有効活用した方がお互い建設的だと思いますの」
難しい顔をして考え込むジルベルトに、もうひと押しと「それにわたくし、書類仕事は得意でしてよ」と告げればややあって若干苦々しそうに「お願いします」の言葉と共に頭を下げられた。
「ねぇねぇ、ボクの仕事もやってくれる?」
「団長。貴方の仕事は現状既にほとんど私にまわっています。貴方のサインが必要な書類もあるのでいい加減仕事をしてください」
疲労の滲んだ切実な言葉に書類の山の原因をみた。
セオに案内された簡素な小部屋。
シンプルなデスクと必要最低限の調度品しかないこの部屋で本当に構わないのかと既に何度目かの確認に頷く。てっきりジルベルトの執務室に居座ると思われていたようだけど、部外者が見聞きしてはまずい事もあるだろうと使用していない部屋を借りた。すごく意外そうにされた。邪魔をしに来た訳ではないとちゃんと告げたというのに。
軽く室内を見渡して、席に着く。
「巻き込んでしまってごめんなさいね、セオ様。早速だけど処理を教えて頂けるかしら」
邪魔をしに来た訳ではないといいつつも、ある程度の仕事を誰かに教えてもらう必要があるし、何よりクローディアを一人にしておけないという理由で同席していた彼が抜擢された。
あの場に居合わせた為の不運。
ちなみに手伝いは今日だけではないので、その役目は続行予定だ。取り敢えず週に三日、更に次回からはクレアかマリー、侍女を交代で一人伴うということで話がついた。仕事を増やして申し訳ない。
「俺に様は不要です。セオで構いません」
「あら、ならわたくしも敬称敬語はなさらなくても構いませんわ」
「い、いえ!とんでもないです。というか無理です」
ガチガチに緊張している彼に軽く告げれば食い気味に否定された。別に無理強いはしないけれど。
簡潔で丁寧なセオの説明を聞き、書類にざっと眼を通してひとつ頷く。分類された書類は部外者に任せるためか比較的簡単なものばかりで、この程度ならなんとでもなりそうだ。
諸悪の根源であるゼロスも自分の仕事を片付けた後でなら、とお茶会で釣って机に押し付けてきたのでこれで少しは仕事が捗るだろう。露骨に不満そうにしていたが、彼はクローディアに興味がある。好奇心にとても忠実。きっとお茶会は近いうちに実現されるだろう。
久々の書類仕事に懐かしさを覚えながらペン先をインク壺へと浸した。