言い間違えから始まるカノジョとカレ
紅茶のふくよかな香りが、私の鼻腔をくすぐる。今日は研究室から早々に抜け出せたので、友人と学校近くのカフェでだべっていた。
私、佐伯加奈はここのカフェがお気に入りだ。今日もマスターお手製のケーキは絶品だ。私は二つ目のケーキを追加注文するために、メニューとにらめっこする。うん、二つ目はレアチーズケーキがいいかもしれない。
「それでさー」
友人は、けだるげにケーキをフォークで突き刺しながら、突然私に話を切り出してきた。
「加奈、あんたまた母親と喧嘩したの?」
「なっ……なんのことだ?」
なんで気づかれたんだろうか。驚いた私は、思わず声が上ずってしまう。
「あんたがケーキを二個頼むときは、何かあった時だけでしょ」
「た、偶々食べたくなったんだ」
「うん、その焦り方から見るに、どうやら図星だったみたいね」
友人は、さっさと吐けという目を向けてくる。私は観念するしかなかった。
「今回のは、喧嘩ではないのだが……」
「その判断はあたしがしたげるから、続けて」
「ああ、一言でいうと、お見合いを持ってこられた」
「ありゃー、また?」
私はうなずく。友人が、またといったのは今回で三回目だからだ。一回目は、私が大学院進学を決めた時だった。二回目は、博士課程に進むことを報告してすぐのことだった。
「なんというか、相変わらずね。でも、博士課程報告の後に、大立ち回りを演じて就職するまでは、お見合いの話を持ってこない方向に決着をつけたんじゃなかった?」
「大立ち回りって言わないでくれ」
「親戚一同に根回しして母親を説得するなんてことを、大立ち回りといわずしてなんて呼ぶのよ」
「うっ」
どうしてこの友人が、そんなに詳しいかというと、その時に知恵を借りたからだ。
「原因はたぶん最近私に姪っ子ができたからだと思うんだ」
「あー、そこで、『女の幸せ』が再発しちゃったか」
「そうなんだ」
私の母は、理想的な妻であり母だった。しっかりと父を立てて支え、子供たち三人を育て上げた。そして、間違いなく娘である私の幸せを願ってくれている。
ただ、その『幸せ』の定義が、私とは違うのだ。
「私だって、結婚がしたくないわけではないんだ」
だけど、今ではない。幸いにも大学の講師の道も見えてきたところなのだ。
「あんたの場合、お見合いする相手方が家庭に入ることを望むところが多いしね」
「ああ……どうすればいいんだろうな」
おそらく母は、今後何度もお見合いの話を持ってくるだろう。正直、煩わしい。
「んー、いっそあんたが男を連れて実家に帰ればいいんじゃない?ほら、今やってるドラマみたいに契約結婚的な感じのさ」
「それができれば苦労はし……ない」
あれ、割といい案なのでは。ひとり、私みたいに実家からお見合い話を何度も持ち込まれて辟易としてるやつがいる。
「いや、その手があったか見たいな目で見つめないでよ、冗談よ冗談。第一、あんたそんなことできるような男の知り合いいないでしょ?」
「ここで電話をかけても構わないか?」
「え、嘘、ほんとにそんな人いるの?いつの間に?」
◇
結局カフェでは電話をしなかった。曰く、「そんなこれからの将来を決定するような話を、公共の場でするな」らしい。ごもっともだ。さっきまでの私は、頭に血が上っていたらしい。
下宿先に帰宅し、いったん風呂に入ってから、クッションに腰掛ける。そして、LIMEの会話履歴の一番上にあるアイコンをタップし、通話ボタンを押した。
『もしもし?』
「私だ。今、電話大丈夫か?」
『ちょい待ち……ほい、OK』
「伊豆野悪いなこんな時間に」
ひとまず定型的な挨拶を交わす。これからするプロポーズまがいのことに、緊張しているようだ。
『いや、丁度俺も助かったし』
「助かった?」
『両親がこっちに来てる』
声だけで、電話相手の伊豆野卓也がめんどくさそうな顔をしていることが、伝わってきた。
「それは何ともタイムリーというか」
『タイムリー?』
「いやこっちの話だ。ご両親が、こっちに来られてるのは、例の件か?」
『そうなんだよ……あと、数年待ってくれって言ってんのに』
伊豆野も、私と同じような問題を抱えている。違う点は、私は駆け出しの研究職で、彼は駆け出しのカウンセラーといったところだけだろう。
『ああ、俺の話はいいや。それで、どうしたの?』
「ああ、そのだな」
なぜか、胸の鼓動が激しくなる。私は、大きく息を吸った。
「お前、私の恋人にならないか?」
『は?』
「いい案だと思うぞ。お前は私をご両親に紹介すればいいし、私はお前を私の母に紹介できる」
返事が返ってこない。静寂が訪れた。やはり、あまりにも常識外れの提案に、絶句されているのだろうか。
「も、もちろんお前がいやなら無理強いはしないが……」
『ちょっと待ってね、とりあえず今俺は佐伯から告白されたの?』
「告白……?」
なんでだ。
私は、単に利害関係の一致する伊豆野に、提案を持ち掛けようと。
『佐伯は俺を恋人にしたいって言ったんだけど』
「……ひぎゃっ」
ミスった。いや、確かに、こいつならいいかなとか思ったことがないわけじゃないけど。こいつなら、恋人役するのも悪くないとかは思ってたけど。
あくまで大切な友人であってそんなそんなそんあななななああ!
『……ちょーと、じっくり俺とお話ししよっか』
空が白み始まるまで続いた通話の結果、私は恋人を獲得した。