薄明りの工房
走って、走って、走って、俺は疲れを意に解さずに、走った。
砥石を探す手間も、着替える手間も惜しんだ結果、俺は大きな荷物を背負うことになったがそれでよかった。
こうして、無事、最速でイヅナの家にたどり着けたんだからな。
「すみません。遅くなりました。モリーです」
俺は、イヅナの家の扉を叩いた。
「おかえりなさい!」
俺のノックに反応して、イヅナが飛び出して来た。
というか、いきなり扉を開けて、体を全部投げ出して、タックルしてきた。
「おわ?!」
俺は突然のことに驚いた。
俺は咄嗟にイヅナの体を受け止めた。
イヅナのスピードは、想像以上でそのタックルも凄まじい威力だった。
俺は後方に大きく吹っ飛び地面に倒れた。
大荷物を背負っていたから、頭をぶつけずに済んだのだけが幸いだった。
「お前ね。向こう見ずすぎる。俺がキャッチできなかったらどうするつもりだったんだ?」
「信じてましたよ。私は、絶対、受け止めてくれるって……」
イヅナはそう言った。
「お前ね。信用してくれるのはいいが、できないこともあるんだぞ」
俺はそう言うと、胸に縋りつくイヅナを引っぱった。
イヅナは断固として引きはがされまいと、俺の服にしがみついた。
「ああん!もっと、くっついてたいです!」
「お前ねぇ……。我がまま言わないの!俺の女にでもなるつもりか?」
「そんな気はないですよ」
イヅナは即答した。
ちょっと、ショックだった。
「でも、今日一日は、デートでしょ?」
イヅナはそう言うと、俺の上で足をパタパタさせながらにこりと微笑んだ。
こいつ……ほんと悪女になりそうだな。
「ああ、そうだな。でも……俺には大事な仕事があるんでな」
俺はそう言った。
「仕事、仕事って……」
イヅナは口をとんがらせた。
めんどくさいこと言おうとしてるな?
まぁでも言い出したのは俺だから、とりあえず乗ってやることにした。
「俺達の将来にとって大切な事だろ?」
「そうですけど……」
「すこし寂しい思いさせるけど、お互いの幸せのためだ。我慢してくれ」
「はい……わかりました」
茶番の後、俺はイヅナを地面に降ろし、立ち上がった。
立ち上がって初めに目に飛び込んできたのは、ナイフを片手に持って、わなわな震えるハクビさんの姿だった。
全身の血の気が引いた。
「あっすみません。あの、お待たせしました。今、戻りました……」
「そうですか……」
ハクビさんの言葉数は相変わらず少なかった。
「あっ、今のは、その、ごっこ遊びみたいなもので……」
「ええ、承知してますよ。分かっていますとも」
そう言った、ハクビさんの目線は氷のように冷たかった。
俺は苦笑いすることしかできなかった。
「イヅナ、晩御飯ができたよ。君は先におあがり」
ハクビさんは優しい声でそう言った。
「はい!ありがとう、お父さん!」
イヅナは元気にお礼を言うと、俺の方を見た。
「モリー様も一緒に食べましょう!」
イヅナがそう言うと……。
「ダメだよ」
ハクビさんは俺の返事を待たずにそう言った。
「モリーさんには大切なお仕事があるからね。邪魔しちゃダメだ」
「え?でも、御飯食べないと死んじゃうよ?!」
イヅナはハクビさんにそう言った。
その言葉が何だか、ぽくって俺はつい笑ってしまった。
「大丈夫だ、イヅナ。一晩くらいで死んだりしないよ。それに良い肉くったんだ。三日三晩飯抜きでも俺は働けるぜ?」
俺は啖呵を切った。
「それに、そのナイフをピカピカにしようとしたら、一晩じゃ足りるか分からない。今は飯を食う時間も惜しいんだ」
俺がそう言うと、ハクビさんが頷いた。
「そうでしょうね。わかったかいイヅナ?私はモリーさんを工房に案内したら行くよ」
イヅナは、はぁいと返事すると、扉の前で俺に手をふり、家の中に入った。
ハクビさんはイヅナを家に入れると、扉を閉めて、ズボンのポケットからカギを取り出した。
「こちらです。どうぞ」
ハクビさんはそう言うと、隣の工房に向かって歩き始めた。
俺はその後について行った。
工房の外見は小さいが、中には行って見ればまぁなかなかだった。
狭いのは狭いが、狭すぎない所が味があってよかった。
「どうぞ、ここを使ってください」
ハクビさんはそう言った。
俺はお礼を言うと、工房の端っこにある小さな椅子と台を真ん中に置いた。
背もたれの無い小さな椅子だったが、なんだか安心感のある椅子だった。
「ここにある物は使っても?」
「はい。まぁ必要なものがあれば」
「わかりました。あ、あと一ついいですか?」
「はい。なんでしょうか?」
「水ありますか?」
「ああ、それならその先に……」
ハクビさんはそう言うと工房の後ろ隅にある扉を指さした。
「ありがとうございます」
俺は頭を下げると、ハクビさんは俺に例のナイフを差し出した。
俺はそれを受け取ると、台に置いた。
「ありがとうございます。では、お借りします」
俺がそう言うとハクビさんは無言で頷いた。
「では、また、明朝来ます」
ハクビさんはそう言って、工房を後にした。
「さて……」
俺は一息ついて、荷物を漁った。
その中から砥石を二つ取り出し、カバンの端っこにひっかけている小さなバケツを外した。
俺はバケツを持って、工房の後ろ隅にある扉に向かった。
扉を開けると、外に出た。
目の前には木々が風に揺れていた。
「え?山?」
俺は周囲を見た。
中央広場から30分ほど歩いたところにこんなに気が生い茂る場所があるなんて……。
プントドロップ通りの先は確かにこういう山林が多いのは知っているが……。
俺は信じられない思いだった。
外に出て見ると、木々の間に道があるのが見えた。
俺はとりあえず、そこに向かってみた。
道に沿って森に入ると、その先に階段が見えた。
そして、水の流れる音が聞こえてくる。
マジかよ……川があるのか。
俺は階段を恐る恐る下っていくと、そこには確かに川があった。
「まじかよ。下水じゃない普通の川だ……」
まるでいきなり山奥にワープした気分だった。
俺は水面に膝をついて顔を洗った。
疲れが全部ぶっ飛ぶくらい冷たい水だった。
「あーこれはやべえ。目ぇ覚めるな」
俺はよしと気合を入れると、バケツに水を汲んで急いで工房に戻った。
砥石を水につける、俺はシャツを脱ぎ肌着だけになった。
俺は砥石の空気が抜けるのを待ってナイフを見た。
角度は25度それくらい、刃こぼれは小さく2か所。
冒険とかで使うナイフと刃の部分は同じものに見えた。
刃こぼれしてるってことは地面に落としたのかな?
「まぁこれくらいなら……何とかなりそうだな」
だが問題は、このさびだ。
さびはほぼ全体にまんべんなく広がっている。
中には深そうなものもあってこれを砥ぎ落とすのは時間がかかりそうだ。
俺はまじまじとナイフを見る。
見れば見るほど不思議なナイフだ……。
何をすればこんなにさびるんだろう?
それに祭礼用のナイフに見えるのに地面に落とすか?
窃盗品の線も考えたが……装飾は傷一つない。
不自然だ。
普通のさびじゃない……のか?
「……呪いとかじゃないよな?」
俺はつぶやいた。
「のろいですか?!」
「うえ?!」
目の前にはいつの間にやらイヅナがいた。
「のろわれてるん……げふっ……そのナイフ!」
イヅナはゲップを間に挟みながらそう言った。
「おいおい、汚いな」
「すいません。急いで食べたので……」
「ゆっくり食べなさい」
「はぁーい!」
イヅナは元気に返事した。
「どうしたんだ?急に?」
「モリー様のお仕事を見たくって!」
「そうかい。お父さんは良いって?」
「ダメって言われましたけど、来ちゃいました!」
「来ちゃいましたじゃないよ。お前ね。心配かけるんじゃないって」
「お風呂が沸くまでは許可いただいてますから!」
イヅナは胸を張ってそう言った。
「ふぅん、そうか……」
もうこいつに何言おうがダメだろうな。
俺はため息をついて砥石をバケツから取り出した。
薄暗い工房で小さな台を挟んで、イヅナと向かい合っていた。
灯りはハクビさんが置いて行った、ぼんやり灯るランタンの灯ひとつ。
だが、きちんと熱を感じる温かい光だった。
「どうして砥石をぬらすんですか?」
イヅナは興味津々に聞いてきた。
こいつは本当に落ち着きがないというかなんというか……。
「ああ、そうだな砥石の間の気泡を抜くんだ」
「ほえー」
イヅナが間抜けな声を上げた。
こいつ、わかってないな?
俺は傍らに置いていたもう一つの砥石で砥石の表面を均した。
「それなんですか?!」
イヅナがいちいち突っかかってくる。
「うん。砥石の表面を真っすぐにしてるんだ」
「ほえー」
わかってないなぁ……。
俺はため息をついた。
「刃物って言うのはな目には見えない段差や反り返りがあるんだ」
俺はナイフを見ながら言った。
「それを真っすぐにする。刃の部分の角度をな、まっすぐ同士にしたらきれいに切れるようになるんだ」
「まっすぐに……目に見えない凸凹をですか?」
「そうだ。難しいそうだが、まぁなれたら以外にできるもんさ」
俺はそう言うと、ナイフの刃を砥石に当てた。
ぐっと刃を砥石に押し当てて表面を砥ぐ。
砥石の全面を使って丁寧に。
独特な音が工房にこだまする。
砥石の表面をぬらす水がすぐに赤茶色になってきた。
俺はバケツにナイフと砥石を浸して、同じことを繰り返した。
「へーこうやってきれいにするんですね」
イヅナは感心したみたいにそう言った。
「まぁな。本当は表面の粗い奴から順番にやるんだが、今はこれしか持ってないからな」
「粗い?」
「うん。あー砥石ってこれは作った奴だからな」
「え?この石って作ってるんですか?」
「自然の奴もあれば作る奴もある。これは南部の工房で作られた特別製だ」
「同特別なんですか?」
「そうだなぁ……。まぁ砥石って、こう……砂あるだろ?あれを焼いて固めて作るんだよね」
「え?これ石じゃないんですか?」
「小さな粒の塊だな。ちなみにこれの原料は魔石だ」
「ほえー」
「魔石を砕いて、小さな粒にして、焼いて作る。その固い粒を金属に当てて削ってるんだ」
「表面を削ってるんですね」
「そうさ。凸凹してる表面のでっぱり部分を削ってまっすぐにするんだ」
「そうすれば、切れるようになるんですね」
「まぁ、そう言うことだな。簡単に言えば」
俺は手を動かしながらイヅナと会話した。
イヅナは興味深そうに俺の手つきを見ていた。
しばらく削ると俺は汚れを水で流した。
そしてまた砥石の表面を均すと、ナイフを見た。
「取れましたか?!」
イヅナは身を乗り出した。
「おい、刃物持ってるんだぞ!不用意に飛び出すんじゃないよ」
「細かいことは良いじゃないですか!見せてください!」
「あのなぁ……」
俺は何度目かも分からないため息をついて、ナイフを見せた。
「あれ?全然とれてなくないですか?」
イヅナは相変わらず錆のついたナイフを見て言った。
「うーん?いや、よく見ろ。ここ取れてるだろ」
俺は一部さびが取れ始めている個所を見せた。
「ああー確かに?」
「うん、そうだな……」
俺はそう言うと、机に置いてある四角い台に向かった。
その台に近くにあった赤い塗料を塗り、ナイフを押し当てた。
俺はイヅナの元に戻り、ナイフを見せた。
「あっなんか……きれいなとこだけ赤いのが付いてますね」
「ああ、つまりはそこが盛り上がっているってことだ。こうやって高いところを見つけて平らにしていくんだよ」
そう言うとイヅナは頷いた。
「根気のいる作業ですね」
「まぁな。でも、俺は好きだけどな」
俺はそう言うと作業台に向かった。
そして、俺はまた黙々と作業に戻った。
「モリー様も修行したんですか?」
「うん?ああ、6歳からな。家を出るまでは毎日手伝ってたな」
「え?そんなにですか?」
「まぁな。田舎だし、長男が家の仕事手伝うのは当然だったからな。それに俺は体がでかかったからなおさらな」
「昔から体が大きいんですか?」
「そうだな。魔術を使えるようになって一気に成長してな。8歳でハクビさんくらいは余裕であったな」
「すごーい!」
「6歳でちょうどお前くらいじゃないか?」
「ええ?!でかい!」
「まぁな、今のでかさになったのは、18くらいだったかな?」
「へー……でもモリー様今も大きくなってますよね?」
「おっ分かる?トレーニングは密かにつづけているからな。出会った時よりかは少しはでかくなったと思うよ」
「すごいですね。男の人はすぐ大きくなって……、うらやましいなぁ」
「イヅナも、鍛えたいのか?」
「女の子ですからね。ごつくはなりたくないですけど。強くはなりたいですねー」
「強くか……。多分だけど、お前はもう相当強いよ」
「そんなことないですよぉ……」
「きっかけ一つだよ。俺もな、最近自分の火が強くなってるのを感じるんだ」
「え?そうなんですか?」
「ああ、俺達が出会った時よりも確実に……なんというか出力が上がっている」
「出力?」
「ああ、前にも言ったかもだけど、俺の魔術は火を媒体にして、体に魔力を纏ってるってイメージなんだ。今までは100しか纏えなかったけど150くらいは出るようになっている」
「ほえー、なんでですか?なんでいきなりそんなに強くなったんですか?」
「さぁな。だけど……お前たちに出会ってさ、なんかそのやる気が出たって言うか……。腹の底から力を引き出せてるって感じだ。逆に今までが弱すぎたのかも」
「それってつまり……?」
「ドクダミちゃんも言ってたけどさ。魔力ってのは生命の危機になるほど強く出るんだそうだ。まぁつまりは覚悟するんだ。そうすれば本当の力を出せるようになるよ」
「本当の力……」
「俺は今それを感じている。本当の全力を操れるようになれば……少しは強くなれる。小手先に技術とか筋力もいいけど、まずはそこからだな」
「自分の力を……出し切る……」
「簡単さ。大切な人の事を思え。そうすれば、力が沸く」
「モリー様……。モリー様は誰を思い浮かべたらそんなに強くなれたんですか?」
「うん?言ったろ?お前たちだよ。レイシーにドクダミちゃんに、イヅナだ。その事を思うと力が沸くよ」
「……好き、なんですか?」
「うん」
「え?!!」
「俺、他人を好きになったことないんだ。でも、お前たちは好きだよ。お前たちの周りの人も……好きだ」
「そ、そうですか……」
「ああ、いい人たちだよ」
俺がそう言うとイヅナは黙った。
急に黙るもんだから何かと思ったら、なんか照れていた。
「別にお前のことを好きってことじゃないぞ」
「言われなくてもわかってますよ!甲斐性なし!」
イヅナは怒ったようで、そう言うと立ち上がった。
「冗談だよ」
「私はお風呂に入ります!」
「ああ……」
どうやら相当お冠のようだった。
余計なこと言っちゃったな……なんて思っていると、目の前のイヅナが動かないことに気が付いた。
俺はイヅナに目線を向ける。
イヅナはじとーとした目で俺を見ていた。
「どうした?」
「今、えっちなこと考えてましたね?」
急に何言ってんだこいつ。
「考えてないけど……」
「嘘!お風呂って言った瞬間、顔が緩みましたもん!私の体で……何を想像したんですか?!」
「いや、だからしてないって」
「うそですよ!今!絶対!性的な目で見てました!」
「見てない!」
「見てた!」
「見てない!」
「見ーてーたー!」
なんて不毛な言い争いをしていると、工房の扉をノックする音が聞こえた。
「イヅナ、用意ができたぞ。お風呂に入りなさい。そしてもう今日は寝なさい」
ハクビさんの声が聞こえてきた。
「はーい!」
イヅナは返事すると、俺に背を向けた。
「それじゃ!きちんと綺麗にしてくださいね!私達の命運がかかってますからね!」
イヅナは意地悪そうにそう言うと、扉を開けた。
「お前もいい子にしてろよ」
去り行くイヅナにそう言うと、イヅナは俺にむかってべっと舌を出して、工房から出て言った。
俺はため息をつくと、作業に戻った。
やかましいのがいなくなった工房は静かで、遠くから聞こえる木々のざわめきが趣を感じさせた。
狭すぎず、広すぎない空間に、ほんの少し暗めの照明。
俺はその雰囲気が好きだった。
「乙だな」
俺はその場の空気を深く吸い込んだ。
そして心を追いつかせて、俺は無心で作業に取り組んだ。
だけど、正直言うと、なんだか……少しだけ、寂しかった。




