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八月一日、ビーガーの朝

「よぉ、兄ちゃん。生きてるか?」

誰かが、俺の体を棒か何かでつついている。

俺は混濁した意識の中、重い瞼を上げた。


目を開けてすぐに感じたのは、濃いアルコールのにおいと吐しゃ物のにおい。

それが織り交ざった、酸っぱいきついにおいが頭をつんざいた。

「ああ、くそ、なんだよ」

俺は頭を抱えながら、辺りを見渡した。

ここはビーガーの裏通りに近いなんにかの店のゴミ捨て場のようだ。

そして、俺の目の前にいたのは、小汚い格好の浮浪者だった。

「よぅ兄ちゃん生きてたか。死んじまってるかと思ったよ」

浮浪者は愉快そうに笑った。

俺は無言で懐をまさぐった。

「おいおい、失礼だな。せっかく起こしてやったのによ。人を泥棒扱いか?」

「すまない。だけど土地柄もあるからな」

「それをわかってここで寝るかい?あんた大物だな」

「起こしてくれて感謝するよ」

俺はゴミ置き山からなんとか立ち上がった。

よろめきながら立ち上がると、世界がぐるぐる回転していた。

すぐに平衡を失い俺はその場に倒れこんだ。


「おいおい、無茶すんなよ。ったく、しょうがねぇ世話が焼けるな」

浮浪者はそう言うと、懐から水筒を取り出した。

古い皮で作られたボロボロの水筒だった。

俺はそれを受け取ると、すぐにそれを口に運んだ。

「元気じゃねぇか」

浮浪者はにやついている。

「なぁ兄ちゃん、俺、なんに見える?」

浮浪者が話しかけてきた。

「え?あーそれは」

俺は言葉を濁した。

「ははは、ビビってんのか?こんな老人によ。ま、安心しな。腕っぷしなら兄ちゃんの方がつえーだろ?正直に言ってくれ」

俺は迷った。

この浮浪者の目的が見えなかったからだ。

だが、それを探るほどの余裕は俺にはなかった。

「あー小汚い浮浪者だと思った」

頭が回らないので俺は正直に答えた。

「おいおい!小汚いは余計だろ!でも、ま、なんだ。ちゃんと目ん玉見えてるじゃねぇか」

「え?」

「まぁ人間なんだからよヤケになることもあるよな」

浮浪者はにやつきながら言った。

「だがよ、目が見えなくなるまで行ったらおしまいだぜ。まだ両目見えてるなら、先のこと見とけよ。うとうとしてたら……気づけば、こうだぜ」

浮浪者はそう言うと自分を指さし、高らかに笑った。

「ま、その時になったら声かけてくれよ。ゴミの漁り方、教えてやるよ」

浮浪者はそう言うと鼻歌を歌いながら歩いていった。



俺は立ち上がり、通りを行く。

しかし、どこに向かっているのかは俺にも分からなかった。

なんとか立ってはいるが、昨夜のアルコールは完全に抜けきっていなかった。

頭は回らない、目は見えているが道が三本に見えている。

耳には何かが詰まっているのか、まるで水中にいるような感覚だった。


俺はすぐに息切れを起こした。


少しばかりの水でどうにかなるようなものじゃなかったようだ。

俺は通りの端にちょうどいい段差を見つけ、そこに腰かけた。

空がだんだん白んできているのを見ると今は朝4時くらいか?

遠くの方から、機械が動く音が聞こえてくる。

ビーガーは南部から送られてきた鉱石類を加工している工場がある。

24時間稼働の工場も多く、ここはそこに近いようだ。

恐らく4丁目くらいかな?

昨夜の記憶はもうほとんどない。

どこに行きなにをしたのか?

分かるのはアルコールを飲んだということだけだ。


俺は混濁する意識が遠のいていくのを感じた。

何か……大切な事を忘れている気がするが……。

でも、まぁいいや。

今はとにかく眠たい。

俺はそのまま再び眠りについた。



「あんた!何やってんだい!」

大きな金切声で起こされた。

まるで、頭がい骨をハンマーで直接叩いてるような衝撃があった。

その金切声はずっと続いた。

何を言ってるのかは、判然としないが、頭が痛くてたまらなかった。

俺は耳をふさいで丸まった。

金切声はそれでもつづいた。

その後は、棒か何かで俺をつついてきたが、俺は一向に起き上がる気力が出なかった。

しばらくすると、声は消えて静かになった。

俺は安心して、二度寝をこいた。

体勢を変えると、冷たい石の階段が、ひんやりとしていて気持ちよかった。

ああ、これは寝れそうだ……そう思った瞬間だった。

俺の顔面にめがけて大量の水が降ってきた。

突然のことで、鼻にも口にも大量の水が入ってきて、思いっきりむせた。



「ごっふ!ごっほ!」

俺はたまらず飛び起きた。

体を起こすと、鼻から口から大量の水が出てきた。

「な、なんだ?!」

俺は驚いて、水が飛んできた方向に顔を向けた。


そこには、仁王立ちするドーソンさんがいた。



「なんだじゃないわよ!この阿呆!」

ドーソンさんはそう言うと、ずかずかとこっちに近寄ってきた。

俺は恐怖で、身を後ろに引いた。

「待ってください。あー待ってください」

「あんたねぇ!何が、待って、よ!このあほ!ボケ!でくの坊!」

俺はめちゃくちゃに罵倒された。

そしてドーソンさんは俺の鼻を思いっきりつまんで引っ張った。

「いたいいたいいたい!やめてください!」

「やめてくださいじゃないでしょ!あんた人様の軒先で何やってんのよ!」

の……軒先?

俺は後ろを振り返った。

すると、そこには確かに家の玄関があり、そのドアから家主と思われる人が顔だけ出して俺を見ていた。

俺は気まずくって、とりあえず家主に会釈した。

家主は汚い物を見るような顔を見せて、家の中に引っ込んだ。

「おい」

ドーソンさんが言った。

「とりあえず、そこ、どきなさい」

「はい」

俺はそう言うとさっと立ち上がった。

「帰るよ」

ドーソンさんはそう言って歩き始めた。

一連の騒動で結構な人数の野次馬がそこにはいた。

説教したいが、このままじゃ往来の邪魔になる。

そう判断したのだろう。

俺は刺さるような視線から逃げるように、ドーソンさんについて行った。



俺はふらつく足取りで歩く。

頭は今にも割れそうなくらい痛い。

陽の光が目に入るとまぶしくて仕方ないから目は半分しか開けなかった。

ふらつきながらドーソンさんの後姿を見ていると、なんだか夢を見ているようだった。

なんだか、見慣れないものを見ているような気分だ。

ドーソンさんなんていつも見ているのに。

そう思った瞬間、俺はあることに気が付いた。

ドーソンさんが若干足を引きずっていることに。

俺はイヅナの言葉を思い出していた。

やっぱり足が悪いのか?

なのに、朝っぱらから歩かせてしまった。

なんだかいたたまれなかった。

俺は懐からマッチを取り出して、マッチを擦った。

勢いよくマッチを擦ると、ぱっきりと半分に折れて、マッチはどこかに飛んで行った。

俺はもう一本マッチを取り出して擦る。

マッチは完全に湿気ていて、火が出る気配が全くなかった。

俺は大きくため息をついた。


「あんたね」

ドーソンさんはこっちを振り向いて言った。

「まったく情けない面だね」

「すいません」

「謝る暇があったら、きびきび歩きな。このままじゃ家に着くまでに日が暮れちまうよ!」

「はい」

俺はマッチを懐に戻した。

俺にはもうなんにもなかった。

ひどい無力感が俺を襲っていた。

「あんたさ」

「はい」

「あんたのその火、便利でいいと思うがね。それに頼っちゃだめだよ」

「え?」

「まぁいいか。帰るよ」

「はい」




家に着いたと同時に俺は正座させられていた。

宿の小さなラウンジで体を出来るだけ縮めて座っていた。

「おい、どういうつもりだい?あんた」

「すいません」

「すいませんじゃないだろ?あんた今日が何の日か忘れたのかい?」

俺はそう言われて、頭をかいた。

「何か、あった気がします」

「なにか、あった気がする?」

「はい」

「あんたねぇ……」

ドーソンさんがため息をついた。

「くやしくないのかい」

そう言って俺を見たドーソンさんの目は……あの目をしていた。

昨日ステラがしていた、あの目。

それと同じあの目だった。

「くやしかったらよかったんですけどね」

俺は言った。

「残念ながらそういう性分じゃないようでし……」

「このクソ!」

俺のセリフの途中でドーソンさんが叫んだ。



「あんた何、不貞腐れてんだい!」

ドーソンさんの熱量が上がる。

「いい年した、でかい男が!見てらんないよ」

ドーソンさんはそういうと俺の耳を引っ張った。

「いてぇ!」

「よーく聞きな!このゴミ!あんた、今、漢を見せるときでしょうが!」

耳から腕を突っ込まれてるような気分だった。

「こんなとこで腐ってる暇は!ないでしょうが!」

ドーソンさんの咆哮でこのボロ屋が揺れた気がした。

俺は耳を引きはがして地面に転がった。

ドーソンさんは息を切らして俺を見ていた。

「なさけないね。ホントに」

ドーソンさんは捨て台詞のようにそう言った。



「さっさと立ちなよ、でくの坊。あんた、転がってる場合じゃないだろ?」

俺は姿勢を立て直した。

そして……その場にうなだれた。

「あん……」

ドーソンさんが何か言おうとした。

「ドーソンさん。俺、わかったんですよ」

今度は俺が、言葉を遮った。

「あいつらといるべきじゃないって」

「何言ってんだい」

「俺じゃ責任を持てない」

「逃げんのかい」

「逃げてたのは今までですよ。現実も見ずに、夢だけ見てた。おだてられていい気になって……今思えばなんて恥ずかしいことを」

「恥ずかしい?」

「右も左も分からない子供たち相手に、いい気になってたんですよ。それで、俺だってすげぇんだって思いたかった」

ドーソンさんは何も言わなかった。

「でも、そんなの虚飾だ。俺の教えれることは、俺があいつらにできることは、ほかのどの冒険者でもできるようなことだった」

俺は拳を固めた。

「結局俺の中身は、カビの生えて、腐った冒険者だった。それが分かったんですよ」


無言だった。

ドーソンさんは何も言わなかった。

「俺はもうあいつらには会いません」

「それでどうすんだい?田舎に引っ込むかい?」

「わかりません」

「ここで、ほったらかされて、あの子たちはどうすんだい?責任は感じないのかい?」

「それは……ほかの冒険者を紹介します」

「ほかの冒険者?」

「ええ、ちょうど北部魔界の閉鎖で困ってる冒険者はあふれてる。まぁ金もあるようですし、きっとすぐに見つかりますよ」

「あんたはそれでいいのかい?金目当てのどこの馬の骨とも分からん奴にあの子たちを任せれるんかい?」

「それは……そうですけど。でも、俺よりかはマシです」

「あの子たちがピンチの時に命惜しさに逃げる奴だったらどうすんのさ」

「……」

「それでも、あんたより“マシ”かい?」

「俺だって、そんな無責任なことしません。見つけますよ、いいやつを。何ならそれこそ、あ……あいつに声をかけて……」

「あいつ?あいつって誰だい」

「あいつは、あいつですよ……。あ、アルガートンですよ」

ドーソンさんは俺をにらんだ。

「あいつは“イイやつ”だからきっと受けてくれます。だから……」

「そんなわけないでしょ。現実みな。なだめられて終わりだよ」

「それ……」

「黙れ」

ドーソンさんは大きく息を吸った。



「あんたさ……どうなりたいんだ?」

え?

「あんた、何がしたいんだい?」

俺は顔を上げて、ドーソンさんの顔を見た。

ドーソンさんは、俺に語り掛けていた。

そういう目をしていた。

「そんなの……。そんなの、わかりません……」

腹の底から何かが湧き出てきそうだった。

これがなんなのかは分からない。


「あんたを初めて見た時、思ったよ。こいつはたった独り、通りの端で野垂れ死ぬんだろうなって」

そんな風に思われてたのか……。

「無鉄砲で自信過剰でバカ。なのに、体がでかくて力は強い。こいつは無謀こいて野垂れ死ぬ……そう思ったよ」

俺は無言で顔を伏せた。

「だから、授業で死にかけて運ばれてきた時……やっぱりなって思ったよ」

アカデミーのグループワークで死にかけた時のことだろう。

独りで魔物につっこんでやられた。

あの時と今の俺は同じだ。

勇み足で首を突っ込んで……痛い目を見た。

「あんたは三日三晩寝込んだね」

あの時は死ぬかと思った。

今はあの時と違い体は元気だ。

でも、正直今の方が俺は死に体だ。

「あの時、誰もあんたの見舞いに来なかったね」

そう言えばそうだった。

そう思うと、笑えるな。

今もあの時も、俺は独りだ。

「それ見て私はね、あんたを田舎に帰そうって思ってたよ」

「え?」

「あんた、学校辞めてごろつきになると思ったからね」

「ごろつきって……」

「何人も見てきたよ。あんたみたいのは……。いっぱい、いたんだよこのビーガーにはね」

ドーソンさんはどこか遠くを見ていた。

その瞳は心なしか……さみしそうに見えた。

「この通りには、貧乏者の荒くれが集ってたんだ。この下宿にもいっぱいいたよ。あんたみたいなバカが」

初めて聞いた話だった。

「だけどね。あいつらは金はなかったが貧しくはなかった。なんていうか、燃えてたんだよ」

ドーソンさんは俺を見た。

「瞳がね、燃えてたのさ。住むとこもなくて、道端に転がってもその炎だけは消えなかった。煤だらけになって寝転がって、笑いながら星空に手を伸ばしてたよ。見果てぬ夢をがむしゃらに信じてたんだ」

「……」

「昔の話さ。みんな、もうどこかに行っちまった」

「あの……」

「あんた、あいつらにそっくりだった。だからあんたがあの日ボロボロになって帰ってきた時、ああ、あいつらはこうやっていなくなってたのかって思ったよ」

俺は息をのんだ。

「でも、ね。あんたが起き上がって学校に行って……先生に頭下げたって聞いてね。あたしは思ったんだよ。この子は大丈夫かもって」

言葉が出なかった。

「その後、学校卒業して冒険者になって、大けがしてくることもあったけど挫けずに旅に出るあんたを見て、なんかやるんじゃないかって……思ってたよ」



「アル様のパーティに入ることになった時、見捨てずにいてよかったと思ったよ」

ドーソンさんは、ため息をついた。

「だけど、追放されたって聞いた時……やっぱりなとも思った」

ドーソンさんは俺の屈んで俺に顔を近づけた。

「あんたの一番悪いところ……わかるかい?」

俺はドーソンさんの顔を見た。

「分かり……ません」

悪いところというか、いいところが思いうかばなかった。

「あんた自分のことしか考えてない。他人に興味がないんだよ」

「そんなことは……」

「ないって?あんたここにきて何年経つ?」

「えっと……十……二年くらいですかね」

「そうだね。それで?あんた私の名前知ってんのかい?」

「え?そりゃ……ドーソンさん」

「ドーソンはファミリーネームだよ」

「えっと……」

ドーソンさんはため息をついた。



「あたしの誕生日は?」

分からない。

「あたしがいくつか知ってるかい?」

知らない。

「あんたからもらった家賃何に使ってるか知ってるかい?」

「それは……」

「生活費なんて馬鹿な事言うんじゃないよ。あんなの孫の小遣いにもなりゃしないよ」

「お孫さん……いるんですか?」

「そんなのいないよ。そんなのも知らないだろ?12年も一緒に住んでんのにさ」

「……」

「何で知らないんだい?」

「それは……その」

「その?」

「聞いちゃ悪いかと思って」

「嘘つけ」

「本当です」

「口から出まかせ言ってるね」

「そんな……」

「正解教えたげるよ。あんた興味ないんだよ、あたしに……というか他人にね」

ドーソンさんが見たことがない顔をしていた。

「年齢知ったら、労わらなきゃいけない。誕生日知ってたら祝わなきゃならない。孫がいると知ったら遊んであげなきゃ……面倒くさかったんだろ」

俺は……それを否定できなかった。

「あんた、あたしをなめてたんだよ。金渡しとけば文句ないだろって。そういう態度だった。この12年ずっと……あんたは変わらなかった。あんな二束三文の金で……いっちょ前な態度して……」

ドーソンさんは何かを堪えている様子だった。

「それが悔しかったよ。なんにも知らない癖に、あたしを決めつけて!でも、あんた……似てたから……あいつに。ほっとけなかったんだよ」

ドーソンさんは……泣いていた。

俺はどうすればいいか分からなかった。

「だから、うれしかったよ。あんたがあの子たちを連れてきた時は……うれしかった」

そうして、しばらく俺は無言でいた。


狭い空間にはドーソンさんの嗚咽だけが響いていた。

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