ジョン・スミス
暗い階段を下りる。
なんだか不吉な音だけが周囲にこだました。
と言ってもそんな大した音じゃないはずなのに、頭の奥にまでくっきり響いてくるみたいだった。
さっきからずっと鳴りやまない、耳鳴りがだんだん大きくなる。
耳鳴りが頭の奥まで響いて頭痛がしてきた。
途端に、いま踏みしめている階段が、とても不確かな物のように感じて、足元がふわふわしてきた。
なんなんだろう。この不安は。どこから来るのだろう。
今までのこの施設に対する不信感からなのかな?
でも、もっとすごく、心の奥底の方から来る嫌悪感とか、生物としての根源的な忌避感がある。
この階段、この空間からは、そういうものを感じる。
階段を降りると、廊下があった。
この施設の病棟にある、病室と変わらない作りの廊下と病室。
……でも、だめだ。
真っ暗闇の海底のような果ての見えない廊下のその奥から流れ込んでくる、この空気。
この、この、この空気が。
真っ暗闇を見ていると、汗が出てきた。
全身に鳥肌が立つ。
背筋に悪寒が走る。
恐怖で足がすくむ。
深淵の底から化け物に見つめられている。
そんな言いようのない感覚。
この、感覚は、まるでもう私は……私は、もう死ん……。
そう思った瞬間、廊下の奥の方から足音が聞こえてきた。
私は咄嗟に階段の陰に潜み、息を殺した。
少ししたら寝ぐせをつけて眠そうな目をした、研究員が一人で歩いてきた。
スミスじゃない……。
しかも、その人が、なんていうか、見た目は本当に普通の人でなんだか、変だけど、少し安心した。
その心のゆるみからか、私は……刀を鳴らしてしまった。
階段を上ろうとしていた、研究員は何ともなしに音の方向を見るようなそぶりを見せた。
私は、闇の中でマントをはおって……見えてないはずなのに、焦りからか恐怖心からか、不安か高揚感かわからないけど……私は反射的に研究員に襲い掛かった。
一瞬だった。
私は闇に紛れ、刀を抜いた瞬間、柄の頭で研究員の頭部を殴打した。
鈍い音が鳴って……研究員は力なく倒れた。
呼吸が乱れる。
まずい。力加減が出来なかった……。
でも大丈夫、私そんなに力強くないし、大人の男の人だし、大丈夫、そんな簡単に……それに血とかも出てないし、大丈夫、大丈夫。
私は大丈夫と心の中で何度も反芻しながら、倒れた男をとりあえず階段の陰に引き込んだ。
暗がりの中、私は研究員の生死を確認した。
首元に指を添えて脈を、体温を測った。
大丈夫、体温はある。脈もある。呼吸もしてる。
私は、研究員のベルトを外し、手を縛った。
そしてもってきていた、タオルで口をふさいだ。
そうして、私は、彼の着ている白衣やポケットの中を物色した。
上着から出てきたのは何の変哲もないペンに、小さな手帳。
手帳の中身は字が汚すぎて、何が書いてあるかわからなかった。
でも、難しい数字のようなものも書いていた。
「何かの手がかりかもしれないのに……ドクダミちゃんがいればな」
ついそんな弱音が出た。
ダメだ。こんな危険なことには、つきあわせられない。
一人でやるんだ。一人で……抱えるんだ。
私は気を取り直して、物色を続ける。
何か、お母さんにつながるようなものがあれば。
藁にもすがる思いだった。
この先に行けば分かることだって、分かってはいたけど、でも少しでも不安をやわらげたかった。
ズボンのポッケからは、鍵束が出てきた。
やった。これは多分扉の鍵だ。
これで、まぁ帰るときはすんなり出れるかも。
それに他にも、いくつか鍵がついていた。
これは……ここから先、役に立つかもしれない。
私は鍵束を懐に入れた。
その瞬間、がたがたと何かが暴れるような音がした。
ベッドに固定された人が拷問で苦しんで暴れているかのよう……というか、もしかして、ほんとうにそうなんじゃ……。
私は陰から廊下を除いた。
2人の白衣を着た男が、廊下の奥から慌てた様子で現れて病室に入っていった。
その直後から人間のうめき声と……抵抗するような音がする。
何をしているの……?
そう思った直後に、あいつがゆうゆう歩いて、現れた。
いた!あいつだ。忘れもしない、あの不吉な顔!
間違いない。ジョン・スミスだ。
ジョン・スミスが病室に入るころには、辺りはもう静かになっていた。
しばらくして部屋から疲れた感じの2人と、あの男が出てきた。
そして何やら話し始めた。
「あの検体は問題ですな」
「処分も検討して……」
「タラーの奴うまくサボりましたな」
「アイツはそういうのうまいやつだからな」
タラーと言うのはどうもわたしが、のしたこの男のようだ。
「君達は少し思い違いをしている、これはもしかしたら、成功事例かもしれないよ」
ひとりにやつきながら考え事をしていた、ジョン・スミスが話し始めた。
私は集中した。
「え?」
「目の前の事象を深く観察するんだ。彼に施術を施してから3日になるが、その間の情報で、どうやらこの被検体がひきつけを起こす周期が一定だという事が分かるはずだ」
「言われてみれば、そうですね」
「今までどの検体でもここまでの周期性は見れなかった。だろう?」
「ええ、確かに。ほとんどの検体がある日突然……」
「そこから分かることがあるはずだ。考えてみたまえ。それさえわかれば、この厄介者への対処は簡単だろう?処分なんて野蛮な方法はとらずにもっと有意義に活用できるはずだ」
「理屈さえわかれば解決できる。ですね」
「その通りだとも。君たちは優秀だが、そろそろ研究者としての目も鍛えてほしいと思う」
「すいません」
「事象を深く観察したまえ。そうすれば見えるものもあるよ。どんな小さな違和感でもいい、それを見つけるんだ。その正体を突き止めれば、真実が見えてくる。真実を見つければ……」
「我々はその先の未来を掌握することができる」
ジョン・スミスがそう言うと2人の研究員は口角をあげて頷いた。
どうやら、この男は……上位の人間らしい。
彼等は一通り話し終えると、廊下の奥に向かって歩き始めた。
私は息を殺し、彼らの後に続こうとした。
「ああ、違和感と言えば、タラー君は遅いとは思わないかね?」
ジョン・スミスが突然立ち止まり、そう言った。
「ああ、長いですね。どこかでたばこでも吸っておるのでしょう」
「いい加減な奴ですからねあいつは」
「なるほど。君たちの彼への評価は分かったが、しかし、それは間違いだと言えるね」
「え?」
「何故なら彼は、彼女に執心だからね。ほら、もう時間だよ。この時間に帰らないのはあり得ない」
ジョン・スミスがそう言うと、2人の研究員は時計を見た。
「確かに、おっしゃる通りですな」
私の心拍数が上がって行くのが分かる。
「見に行ったほうが良いですかね」
「そうですね。でもその前に、そこの陰に隠れている人に何か知っていないか聞いてみましょうか」
耳を疑った。
心臓が凍り付いたのかと思った。
なんで?
ま、待っておかしい、分かるはずない、そうだよ、かまをかけているんだ。
落ち着け、落ち着け、私は自分に言い聞かせる。
そして、私は気がついた。
研究員たちから目を離してしまっていたことに。
まずい。
そう思って、すぐに陰から確認しようと顔をのぞかせた。
顔を出した瞬間、光を当てられた。
まぶしい!何の光?わからないけど、まずい、見つかった。
私は、あせって階段に向かおうとした。
大丈夫。鍵があれば、またいつでも侵入できる。
そう思って階段を戻ろうとした時、背後から物音がした。
え?っと思って振り返ると、タラーと呼ばれていた男が目を覚ましていた。
「この……ガキ!」
男はそう言って、私を押しつぶそうとタックルしてきた。
私は倒れ込んだけど、すぐに振り払い、思いっきり男の顔面を蹴っとばした。
タラーは悲鳴を上げて、動かなくなった。
すぐに階段に向かおうそう思ったとき、強い光が私を照らした。
「なんだ?誰だ?!」
「女の子?なんでこんなところにいるのですか?」
「タラー?拘束されてる?誰がこんなことを?」
「あなた?何をしているのですか?!!」
私は混乱した。もう、終わりだ。
そう思った。
パニックになった私は、訳も分からず、刀を抜き2人にとびかかっていた。
帯電した私は油断した大人2人を簡単に、のした。
しばらく倒れた男を茫然と眺めた。
私って、こんなに強かったんだ。
と言うか、これ、大丈夫だよね……?
混乱して立ち尽くしていたら、拍手の音が遠くから聞こえた。
「やぁ見事な手際ですね。感服しましたよ。確か、君は、キャットジェルリーさんの娘さんですよね?素晴らしい」
「は?」
「最後にあったのは、いつ頃でしたかね?二、三か月前でしたか?」
「一年だよ。あなたが私を無視し続けて、一年」
「ああ、もうそんなに経ちますか。早いですね、年月と言うのは」
「すごく、長かったよ」
「おお、それはうらやましいですね。私にもそんな時期がありました、学校の歴史の授業でしたかね?英雄譚やら冒険の話を延々と……ああいう類の話は、退屈で退屈で」
「ふざけないで」
「うん?そうですか?世間話はお嫌いですか。それなら、えーっと、うん、あー、それで君はどうしてこんなところに?」
「決まってるでしょ!」
私は激昂した。
頭に、一瞬で血が上った。
体は火が点いたように、熱かった。
「お母さんに会わせて!」
私は叫んだ。
そして刀を構えた。
ふざけたことを言ったら、殺す。
そう思った。
「困りましたね」
ジョン・スミスはそう言って考え始めた。
「大変急ではありますが、まぁいいでしょう。できない約束をするのは嫌いでね。どうぞ、こちらですよ」
そう言うと、ジョン・スミスは私を招いた。
私は予想外の返答に固まってしまっていた。
何を……考えているんだろう。
会えるの?お母さんに?
私は疑いの目を持ちながら、決して警戒心は解かずにジョン・スミスについて行った。
「こちらですよ。ちょうど今から治療を始めるところです」
ジョン・スミスは廊下の奥にある、重厚な扉を開いた。
鋼鉄の塊そのものような扉だった。
その扉の先から冷たい風が吹いてきた。
まるで、昔話で聞いた、地獄の門のように見えた。
ここから分かるのは怪しい光に……何かの機械音だけ。
「こ、ここはなんなの?」
「うん?何というのは?」
「この部屋はなに?それにさっきの暴れてた人は何?」
「うーん。それは教えれません」
「そんなこ……」
「お嬢さん。あなたの目的はなんですか?」
「それは……」
「お母様にお会いすることでしょう?」
「だっ、だったら?!」
「でしたら、何も知らないほうが良いと思いますよ。まぁその、説教臭くなって悪いのですが、目的と手段をはき違えてはいけません」
「はぁ?」
「ほら、例えばお金持ちになりたいって人。ね?よくいるでしょ?」
「それが?」
「なんのために、お金がほしいんですかね?その人は」
「知らない」
「みんな、根源にあるのはもっとほかの事だったんですよ。例えば貧乏から脱出したい。自らのみじめな幼少期を顧みて、私の子供たちにはもっと楽しい経験をさせたい。それでお金を稼ごうと」
この男は何を言ってるのだろう?
「でもね。お金儲けに執心するうちにその男は家族をほったらかし。それだけならいいですが、その男はなんと、金貸し!かつての自分と同じ立場の者から搾取を続け不幸を振り向く立場に!……なんて三流以下の物書きが考えそうなことですが……ええ、ええ、得てして人間と言うのはおろかでしてね。そう言うことがあるんですよ」
「何の話?」
「うーんそうですねぇ。目的は見失ってはいけないという事です。男が、つらかったのは家庭環境が悪いからですよ。お金のせいじゃない。事実お金が無くても幸せな人はいるでしょう?」
それはそうだ。私のお家もお金はないけど、幸せだった。
この男が現れるまでは……
「あなたの目的はなんですか?ここで行われていることを知ることですか?違うでしょう?お母様に……」
「あなたが、お母さんに何をしているのかを知りたいの。それって変かな?もっというなら、私はお母さんに元気になってお家に帰ってきて欲しい。そのためなら……」
私はジョン・スミスを睨んだ。
「なるほど、これは、余計なことを言いましたね。いや実に……お若いのに見上げた方だな、あなたは」
ジョン・スミスはそう言うと冷たく笑った。
気圧されるな。こんな奴。いざとなればいつでも……
「無駄話が過ぎましたね。腕も疲れてきましたので、ささ、行きましょうか。お母様の元に」
私たちは扉を抜けて、奥の廊下に進んだ。
廊下の奥は寒気がするくらい冷たい空気が流れているように感じた。
「こちらです」
さっきまで、偽物の笑顔で話してかけていた、この男だったけど、もうこっちを振り向くこともしなくなった。
こいつは、嘘しか言わない。
偽りの顔しか見せない。
絶対に信用してはいけない。
しばらく行くと、大きなガラス窓のある部屋が見えた。
「ガラス越しになり、すいませんね。でも危険なのは事実なので、我慢してください」
ジョン・スミスはそういうと、部屋の中を指さした。
私は恐る恐る、その部屋に近づいた。
ガラス窓の向こうには母がいた。
恐ろしくやつれてて、そして体中に見たことのない管を取り付けられて、うつろな目をしていたけど、たしかにお母さんだった。
間違いないだからこそショックだった。
ショックで体が完全に固まっていた。
こういう可能性を考えなかったわけじゃないけど、いざ目の前にすると……
「今から治療を始めるんですよ。ご存知の通り、魔力を定期的に抽出しないといけないのでね」
恐怖で固まる私にジョン・スミスはそう言った。
そして、にやりと笑った。
さっきまでとは全然違う顔だった。
恐らくこれが初めてこの男が私に見せた……本当の……。
ジョン・スミスが手を上げると、装置が動く音がした。
そしてお母さんが苦しみ始めた。
目から涙を流し、腕をかきむしり始めた。
「ああ、いけませんね。拘束を強めて」
ジョン・スミスがそう言うと、お母さんの腕についていた拘束具がきつく腕を締め上げた。
折れてる……そう思った。
お母さんは声にならない悲鳴をあげ、うごうごと苦しんでいた。
「やめて!!」
私は叫んだ。
そして刀の柄をガラス窓に打ち付けた。
思いっきり叩いたけど、ガラス窓には小さなひびが入っただけだった。
「すごいですね。これは強化ガラスですよ。魔力で補強してます。鋼鉄よりも固いのに」
「今すぐお母さんを離して!」
そういうと私はジョン・スミスに刃を向けた。
「お母様が死んでもいいんですか?」
ジョン・スミスは冷静にそう言った。
「あなたが!今!殺そうとしているんでしょ!」
「違いますよ。これは治療です。誓って言いますが、私は嘘はいってませんよ。放っておけばお母様は死にます」
「嘘!」
「人の話は聞くべきですね」
「誰が!あなたみたいな人間なんかの!話なんか!」
私はそう言うとジョン・スミスに刀を振り下ろした。
刃は、ジョン・スミスの左腕を切断し、胸から腰までを引き裂いた。
でも、ジョン・スミスは倒れもしなかった。
「すこし、落ち着いていただきたいですね」
そう言ってジョン・スミスは落ちた左腕を平然と拾った。
「なんで……?」
「あなた、私がした研究に感謝したほうが良いですよ?でなければ、あなたは人殺しですからね」
「お前なんて!殺したって!」
言いながら、私の頭は混乱していた。
どうして平然としてるの?血も出てないの?にんげんなの?
そんな事考えてる間にジョン・スミスの体は元に戻っていた。
そして、ずれた眼鏡をなおしながら、言った。
「お母様が見ているのですよ?目の前で娘さんが人殺しを働いたら……どう思うでしょうね?」
私はその言葉にはっとして、お母さんの方を見た。
お母さんも私を見ていた。
疲れ切ったような目だったけど、でも確かに私を見ていた。
その目に動揺していると、手首をいきなり掴まれた。
驚いて、顔を戻すと……目の前に、真っ黒になったジョン・スミスがいた。
あの、不吉な笑顔を顔に貼り付けて、眼鏡の奥の泥のような瞳で私の顔を覗き込んでいた。
「ああ、いけませんね。あなたは雑念が多すぎるようだ。いいことを教えましょう、お嬢さん」
ジョン・スミスがそう言うと、背後の扉が開いた。
私は、扉の方に目を向けると、白衣を着た男と、武器を持った警備員のような男がいた。
「敵のいう事に耳を傾けてはいけませんよ。それに……敵が無駄話を始めたらまず、時間稼ぎを疑いましょうね。まぁ善は急げ、という事ですよ」
そう言った、ジョン・スミスの顔色はいつのまにか戻っていた。
私はお母さんを見た。
「絶対に助けるから」
私はそう言うと魔力を全身に込めた。
「おお!しびれる!!」
ジョン・スミスが嬉しそうに声をあげた。
私は全身に雷を纏い、ジョン・スミスを振り払うと、稲妻の速度で……その場から逃げた。
逃走ルートは決まっていた。
中央を通ってビーガー通り。
そこで待機してもらっている場所に乗り、東部の方角に側道を通って行く。
途中で、洞窟があるからそこで野宿して、歩いて帰る。
完璧だ。
南部のビーガー通りまでいければ、逃げれる。
私は全力で走った。




