ドクダミちゃん
誰もいない、静かな大通りを歩く。
この大通りに入った瞬間から世界から音が消えたような感じだ。
固いレンガ路を歩く、俺達の足音だけが周囲に響いていた。
その音が背の高い家々の壁に反射し、こだまする。
まるで氷の壁に囲まれているかのようだった。
とても不思議で、新鮮な気分だ。
思えば、この通りは北部魔界へ旅立つ前に必ず通過するが、こうして歩いたのは初めてだ。
いつもは乗り合いの馬車に乗ってうとうとしている間に駅に着くからな。
俺は観光客のような気分で、通りを眺めた。
古い教会の中のような神秘的な雰囲気を感じるし、人類が知らぬ間に消滅したのではないかというような不安な気持もある。
すごく浮足立っている感じだ。
心も体もなんだかふわふわして、現実味がない。
まるで出来の悪い夢の世界にいるような感覚だった。
「ここを曲がればすぐです」
大通りを少し入った所でイヅナが横道に入って行った。
俺はそれに黙ってついて行った。
その先は、別世界だった。
ひたすらに広い敷地、そこに青々と芝生の茂った広い庭、ステンドグラスの窓、色とりどりの屋根。
俺が一生働いたって住めやしない、それどころか夢さえ持つことも許されないような、豪華なお屋敷がその通りには並んでいた。
俺は思わずため息をついた。
こういうところに来るといかに、俺がちっぽけで矮小な存在なのか、いやでもわからされる。
別に悔しさはない。ただただむなしいだけだった。
小さいころや、十代の若いころは俺も心のどこかでは特別なんだという想いがあった。
いつか、漠然とした成功を掴むだろうとなんとなく信じていた。
だが、現実は……そんなに甘くなかった。
成功なんて、夢のまた夢。
それどころかプライドもクソもないカビの生えた中年。
クビにされるってのに、怒るどころか、金貨二枚もらって舞い上がる。
俺はその程度の男だ。
必要ないとクビにされた後は、女の子の言われるままに、彼女のケツを追っかけている。
どうしてこうなっちまったんだ。
そう思ったとき、急に背中に寒気が走った。
俺は、なんでこんな所にいるんだ?
道を間違ってるんじゃないのか?
そうだろ?こんなところで遊んでいる暇はないじゃないか。
言いようのない焦燥感が体の奥から湧き出てくる。
今さらそんなの持ったって、もう意味も無いし、遅いのに……。
「あの、やはり、ご迷惑だったでしょうか」
「え?」
気がつかなかったがいつの間にか俺は下を向いて歩いていた。
いきなりイヅナの声が聞こえたかと思ったら目の前にイヅナがいたので驚いた。
「先ほどから、あの、顔色が優れないように見えるのですが」
「いや、大丈夫だ。気にしないでくれ」
「そうですか……」
「ああ、ほんとに気にしないでくれ。先を急ごう」
俺はイヅナを促す。
「あっもう到着してます。ここです」
イヅナはそう言うと左側を指さした。
俺は驚いて、指の方向に顔を向けた。
そこには立派な一軒家が建っていた。
二階建ての家屋に緑の屋根。眩しいくらい真っ白な壁に、青々とした芝生が生い茂る庭。
それに犬小屋が一つ。絵に描いたような理想的なお屋敷だった。
イヅナはおしゃれな片開きの鋳造の門を開けて敷地に入る。
俺も恐る恐るそれに続く。
玄関までは黄色いレンガが敷き詰められた歩道が続いた。
側面の芝生に目を見やると、水やりを終えた直後なのだろうか、日光を反射しキラキラと輝いていた。とてもきれいに手入れされているのが分かる。
先ほどまでの静かで暗い通りとは、対照的で、日光がすべてここにだけ降り注いでいるかのような明るさがあった。
……完全に場違いだ。
俺の目線は自然と自分の服装にいった。
若干汗臭いシャツに、汚いブーツ、それに真新しい鞄。
こんな出で立ちしてたら、普通に家に入れてもらえなさそうだ。
どころか、物乞いと間違われやしないかとさえ思われた。
玄関までの20メートルほどの道を、一歩、歩くたびに俺は自分が嫌になってきていた。
「帰ったら、服買おう」
俺は静かに決意を固めた。
真っ白い玄関の前に立ち、イヅナは車輪の形をしたドアノッカーを叩いた。
「こんにちはー!」
イヅナがそう声をかけるとすぐに扉が開いた。
「おっ~イヅナちゃん。いらっしゃい」
くしゃくしゃの金髪を短く切りそろえた、そばかす顔のメイドが顔をのぞかせた。
「こんにちは!」
イヅナはメイドに挨拶をした。
「はい、こんにちは。イヅナちゃんは今日も元気でかわいいねぇ」
メイドはそう言うとイヅナの頭を撫でた。
イヅナはにっこり嬉しそうに照れ笑いした。
「お~そのお方が言うてたモリーさんやね~」
メイドは、俺の方を見やると、にこりと笑顔を見せた。
「はじめまして、私はここポートマルリンカー家でメイドをしてます。シルア・モーキンスっていいます。お見知りおきを~」
メイドはそう言うと、ぺこりとお辞儀をしてきた。
「あっ、これはどうも。モリー・コウタです。一応冒険者です」
俺も挨拶を返した。
「シルアさん、ドクダミちゃんはいますか?」
「お嬢ならいつもどおり部屋にこもってはるよ~」
「そうですか。モリーさんを紹介したいのですがいいですか?」
「ええ、ええ、どうぞどうぞ。旦那さんにもイヅナちゃんやったらって許可もろてますんで~」
「ありがとうございます!でも、あの、この事は……」
「ええ、分かってますよ。旦那さんにはなぁんも言いませんので、ご安心を~」
「ありがとう!シルアさん大好き!」
「そんなもったいないお言葉を~お礼には及びませんって!」
そんなほほえましいやり取りが続く。
俺は完全に蚊帳の外だ。
こんなに場違いなことってあるのか……?
「まぁまぁこんなとこで、立ち話もなんですんで、拙宅ですが中へどうぞ~。って拙宅なんて言うたら怒られますけどね。ごゆっくりしていってくださいね~」
メイドはそう言うと扉を大きく開けて俺達を招いた。
イヅナは元気にお邪魔しますと言って頭を下げた。
そのまま、俺とイヅナは緩いメイドの笑顔に促されるまま玄関をくぐった。
「上です!」
イヅナはそう言いながら階段の上を指さした。
玄関を入ってすぐに、大階段にシャンデリア、埃一つない赤いカーペットにステンドグラスのような大窓ときた。
典型的なお屋敷って感じだ。
俺は階段に添えられているニスの塗られた木製の手すりを掴んだ。
妙に手触りが良く、思わずさすってみたが、隅々まで手入れが行き届いていると感じた。
思わず、またため息が出た。別世界だな。
この階段だけで、俺の部屋なんて埋まっちまう。
俺は階段を駆け上がるイヅナを重い足取りで追いかけた。
階段を上ると大きなステンドグラスの窓があり、その下に小さな鉄道模型が二つ飾られていた。
どうやら主人の趣味のようだ。この形は見覚えがある。
ファーウィ号とマンダリアン号だ。
二つの模型は大きな楕円状の線路の上に置かれていた。
線路の先には壁が二つあった。
これも見覚えがある。
俺達冒険者はこの列車に乗り、魔界へ行く。
その再現度の高さに、こだわりを感じる模型だった。
なんだか、もうあの日が遠い昔のように懐かしく思えた。
「よぉできてるでしょ~」
模型に見とれていると、メイドが話しかけてきた。
「ああ、すごいな」
「旦那様がつくりよるんですよ。オタクでしてねぇ」
「そうですか。いやいい趣味してますね」
「子供っぽいですよね~いい歳して模型なんて」
「ああ、いやそう言う意味じゃなく。これはなんていうか上品な感じがします」
そういうとメイドは一瞬目を丸くすると、大声で笑った。
「いやいや、上品って!おもろいこといいますねぇ」
「いやぁ、なんというかこだわりがあるというか……いいですよ。これは良いものです」
「へへぇ、やっぱり男の方はこういうの好きなんですねぇ」
「まぁ……そうですね。ところで、あの旦那さんは一体何を……」
俺は疑問を口にした。
メイドはそれを聞くと、ああっと言いにっこり笑った。
「あらぁ?なんも聞いてへんのですか?旦那様は……」
「あのーーー!!!!」
その瞬間、イヅナが大声をあげた。
「模型も、世間話もいいですけど!今はこちらへ来てくださいませんか!」
そう、イヅナに催促されてしまった。
俺とメイドは顔を突き合わせると苦笑いした。
「いやぁお邪魔しちゃいまして申し訳ございませんねぇ。ほんなら邪魔者は退散して、お食事の準備でもしてますわ~」
そう言うとメイドはそそくさと階下へ消えて行った。
俺はそれを見送ると、イヅナの方へ向かった。
イヅナはおもむろに不満そうな顔をしていた。
「もう!私の事忘れてましたね!」
「すまない」
イヅナは、うう~っと低く唸った。
えらく不機嫌にしてしまったようだ。
俺は、謝ると懐から飴玉を一つ取り出して、イヅナに渡した。
「い、いいんですか?!」
「ああ」
イヅナは飴玉を受け取ると、嬉しそうにそれをほおばった。
なんて分かりやすい子なんだ。
俺は薄ら笑いを浮かべてイヅナを見ていると、イヅナは恥ずかしそうにした。
「別にうれしくなんてありませんからね!……でも、ありがとうございます」
そう言うとイヅナは俺に背中を向けて廊下の奥に進んだ。
廊下の奥には、黒く重苦しいドアがあった。
その扉には、ボードが貼り付けられており、「瞑想中」と書かれていた。
「あー、これは?」
俺はボードを指さした。
「いつものことです!瞑想か就寝しかないのでお気になさらず」
イヅナはそう言うとドアを躊躇なくノックした。
「ドクダミちゃーん。来たよ!」
しばらくするとゆっくりとドアが開いた。
「ううううううう」
すぐにドアの向こうから、うめき声が聞こえた。
「おっおお、おはよう、イヅナちゃん」
大きくふくらんだぼさぼさ髪に、だぼだぼの服を着て、眼元に大きなくまをつけた少女がドアから半分身を乗り出してそう言った。
「おはよう。ドクダミちゃん!」
イヅナがそう言って笑顔を見せると、ドクダミちゃんはうへっへへへへと笑った。
そして、彼女は俺の方に目線を向けた。
俺はドクダミちゃんとばっちり目が合った。
「やぁ……」
俺が挨拶をしようとした。
すると……
「うびょぅあああ、あああ、ああ、あああああ。男!うおうおうおうおうおうおうおうおうとこぉの人うぉぉおぉぉぉ」
声にならない叫び声をあげて、ドクダミちゃんはドアの奥に引っ込んでいった。
「だ、大丈夫だよ。ドクダミちゃん!この人は優しい人だよ!だから開けて!」
イヅナは慌ててドアをノックしてそう言う。
「ら、らめぇえええ、そそそそそんな大きいのはいりゃにゃい!!」
「大丈夫だよ!お部屋広いから、入るよ!ドクダミちゃん!」
「ううううう、ら、らめえええ、知らない男の人なんて、そんにゃのぉぉおぉおっおおおおおおお」
「知らない人じゃないよ!この人が言ってた、モリー様!リカオンのモリー様だよ!」
「りりりりりりりリカオン?!の、ももももももっもももっもモリー様?!」
ドクダミちゃんはそう言うとドアを半分開け、俺を見つめてきた。
死の呪いでもかけられそうなくらい、ものすごい目力だった。
「ほ……本物ですかぁ?」
「ああ、そうだよ」
「アルガートン様のPTの補助魔術師?」
「まぁそうだよ。っても、あー“元”だけどな」
俺がそう言うとドクダミちゃんはうううと低く唸った。
そして、しばらくして意を決したように言った。
「しっ失礼しました。あの、そのぉ、ど、どうぞ、いや、でも、いやそのぉ……あのきっ汚いですので、あのぉ」
「大丈夫、気にしないよ。俺の部屋も相当だからな。カビとか埃にはなれてるさ」
「うっううういいい、うう、はいぃぃぃぃいいいい」
ドクダミちゃんはそう言うとドアを開いた。
本人はドアの裏に完全に隠れてしまったが、どうやら受け入れてくれるらしい。
「うん。じゃあ、お邪魔するよ」
俺はできるだけ優しくそう言った。
なんて余裕のない子なんだ……ドクダミちゃん。
あまりにもだったので、俺が抱えていた、この家に向かってる時に感じた不安や焦燥感は、いつのまにやらどこかにふっ飛んでいた。
なんていうか、うん、まぁ悪い子ではない……よな?
俺は呼吸を整え、ドアの先に進んでいった。




