本拠地
進軍の行程そのものは、非常に順調だった。魔族と遭遇するどころか魔物とさえ出会うことはなく、俺達は魔王の本拠地へ近づいていく。
道は険しく、馬による移動が困難な場所もあるくらいだったが……その中で襲撃されればひとたまりもないという状況に陥ったりはしたのだが、ジウルードの備えがあることを警戒してか、それとも他に策があるのか……結局、敵と戦うことはなかった。
まさしく嵐の前の静けさという状況であるのは間違いなく……俺達は何の障害と遭遇することもなく、とうとう魔王の本拠地へ到達した。
「あれが……」
山岳地帯に囲まれた盆地。そこに、巨大な……洞窟が存在していた。それは盆地の中央を陣取って虚ろな穴を見せている。
そしてそれは、自然にできたものとは明らかに違う……体の芯が冷えるような魔力を感じ取ることができるため、動物なども近寄ってこないだろう。
「あれか……いよいよってことだな」
俺は周囲に目を向ける。魔族どころか魔物すら見当たらない。正直、ここまで何もないと罠であるにしても、どのような手で仕掛けてくるのかわからない。
「当初の予定通り、真正面から攻撃を仕掛けると」
セレンが言う。次いでジウルードを始めとした騎士団は準備を始めた。
ここに来た者達の多くは退路を確保する意味合いも大きい。斥候の騎士が周囲に散開していて逐一状況を監視していて周辺に敵がいないことは確認しているが……それでも、戦力を投入して確保しなければ危険だ。
そして、突入するのは精鋭ばかり……その中には無論俺も入る。準備が進む間に俺は気配を探ってみる。しかし、入り口周辺からは魔物の気配を感じない。そればかりか、奥の方も魔力が薄い。
ここまで来ると逆に怖くなってくる……魔王がどういう策を用いてくるのか。
「突入する」
しかしジウルードは一切気にすることなく入るらしい。俺達は了承し、ゆっくりと歩き始め……深淵とでも言うべき魔王の本拠地へと足を踏み入れた。
濃い魔力を身に受けながら、少しずつ進んでいく……ただ、やはり魔物の姿はない。不気味ではあるのだが……ここまで来ると、別の可能性も浮かび上がってくる。
「逃げた、とか……?」
「そんなこと、あり得ないと思うけど」
セレンは言いながらも、正面を警戒しながら難しい顔をした。
「考えられることとしては、地下などを経由して本拠地を移した……? でも、魔王ほどの力を持つ存在が移動をしたのであれば、こちらも気づくはず――」
そう呟いた矢先のことだった。俺達の正面に魔力。こちらは立ち止まり剣を構えると、魔物達が姿を現した。
しかし、その数はおよそ十体ほど。本拠地に配備する数としては少ないのだが。
「……交戦を開始する」
ジウルードが発する。同時、全員が魔物へ向かって駆けた。
対する魔物達は迎え撃つ構えだったが……その能力は決して高くはなく、短時間で撃破することに成功した。
そして、周囲に再び敵がいなくなる……異様な状況に俺達は戸惑うばかりだ。
ここに来てさすがに様子がおかしいことは俺達にもわかる。何が起こっているのか。
「……レドやジャックはどこだ?」
そういえば、奴らの姿もない。既にここを逃げたのか?
疑問ばかりの状況で、俺達は突き進んでいくのだが……やがて、景色が変わった。
岩肌だった洞窟が突如、重厚な石造りの領域へと変わる……灰色の建材からは魔力が漏れ、ここがどういう場所なのかをしかと俺達へ主張している。
しかし、感じられる魔力はそれくらい……どういうことなのか。
「異変が起きている……?」
「確かに、ここまで何もないと変だよな」
俺のつぶやきにヴィオンが応じる。カイムもまた頷き、ジウルードでさえも足を止め考察し始めるくらいだ。
「……ふむ」
ただ、その顔は何かを察したような雰囲気もあり……、
「全員、このまま進むぞ」
彼はそう指示をして前進。その途中、幾度か魔物と遭遇するのだが、そのどれもが散発的で、とても魔王がいる場所とは思えない警備だ。
いや、むしろ魔物達は放置されているという表現が正しいだろうか。とにかく異様極まりない光景。大軍が待ち構えていると想定し、それを突破し魔王へ挑むというのを想定していた俺達にとっては、困惑するばかりの状況。
その中で、いよいよ近づいてくる……この本拠地に最奥。そこにはどうやら気配がある。今までにはない、驚異的な魔力を持つ存在が。
「こんな状況だが、魔王はいるのか……」
むしろ魔王だけがいるということが、謎を深める。部下達はどこへ行ったのか? そして、レドやジャックの姿は――
そして俺達はたどり着く。見えた先にあったのは巨大な黒い大扉。それは既に開かれており、奥には玉座と……その手前に、
『来たか』
鈍く重い声が俺達の耳に入ってきた。聞くだけで身を震わせるような魔力……その濃密な気配に対し、俺達は確信を持った。
あの場所にいる存在こそ、魔王だと。
俺達は無言で玉座のある広間へと入る。自身の力を誇示するためなのか、そこは光に照らされまるで神を崇めるような空間にすら思えるほど神々しい場所だった。
「……ずいぶんと、無警戒だな」
ジウルードが告げる。一方の魔王は何も言わず佇む。
その体の大きさは俺達を倍するくらいだろうか。人間の形ではあるし、全身に漆黒の鎧を着ているのだが……顔は何か無機質なもので覆われ表情は窺い知れない。
「どうやら、私達にとっても異様な状況であることは間違いないようだが」
ジウルードはそう告げながらも、剣を構えた。
「それでも、貴様を討つためにここに来た……ウィンベル王国との因縁、ここで終わらせる」
『――いいだろう』
魔王はそう告げると同時、手をかざす。何もないところから漆黒の大剣が生まれ、その魔力が俺達の体を震撼させる。
『来るがいい、人間ども』
その言葉は恐ろしいほど冷たく……それと同時に散開し始める。とはいえ、これが異様な光景であるのは誰もがわかっている。
配下が誰もいない。魔王が単独で本拠地の最奥にいる……これが一体何を意味するのか。本当に攻撃を始めていいのか。不明ではあったが――
「……いくぞ!」
ジウルードが叫ぶ。同時、全員が魔王へと向かう。想定外の状況下で、魔王との決戦が始まった。