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アビス・フリーフォール

「…………」

「…………」

 落ち着かない。そわそわする。気が気じゃない。地に足が付かない。言い方はいろいろあるが、二人の様子をそれらを混ぜ込んで煮詰めたような状態と言えば伝わるだろうか。

 午前の授業で国語の初老の先生が子守歌になってしまいそうな穏やかな声で現代文を朗読している。しかし二人はまどろむどころか目を見開いてお互いがお互いを監視している。もちろん視線がばれないように。

「(ホームルームのときから見ているが特に紙袋を開けた様子はない。だが朝に分かれた時にすでに開けているとしたらああぁぁぁぁそうなったらお終いだ!)」

「(いつもなら舟をこぎ始めるころ合いなんだけど全く眠くならないよ! だからといって授業に集中できてるわけでもないんだけど! あぁぁぁぁどうしよう!?)」

「じゃあここの続きは誰かに読んでもらおうかな……巻月。読んでくれるかい」

「はぇ!? 読むんですか!? ど、どの本を!?」

「教科書に決まっとるだろう。あぁもういい。隣の淵神、代わりに頼む」

「は、はい。えっと……」

「…………はいそこまで。気が散りすぎだ、噛みまくってたぞ。次回からは予習で一回は読んでおくように」

「……はい。すいません」

 二人のおかしな様子を小声で笑うクラスメイト。さすがにこれは不味いと姿勢だけでも集中しているポーズをとる。しかし教師にお叱りを食らった程度で身を正せるような状態ではなかった。

 放課後を告げる鐘の放送が鳴る。じゃあここまでと言い宿題のプリントを配る教師。結局事が発覚したその時からお互いを監視することしかできなかった。……というわけでもない。

「巻月さん」「淵神くん」

「な、なんだ? 先に言っていいぞ」

「あ、うん。その……あのさ、放課後に予定って、ある?」

「……内容はわからんが、俺もこの後巻月さんに話があるって言おうと思っていた」

「そう、そうなんだ……? じゃあ、今から屋上で、いいかな?」

「あぁ、構わない。腹はくくった」

 お互い深刻な心情なため、ラブコメでありがちな[放課後に人気のない場所に呼び出し。それって……告白!?]というお約束な勘違いが起こることもなく。神妙な面持ちで屋上へと向かう。

 ドアを開けると風が出迎えてくる。風通しの良い屋上から吹く4月の風はまだまだ肌寒い。しかし二人はそれより薄ら寒い予感が内から溢れて止まらなかった。

「君の話から聞こうかな。話って?」

「……あぁ、単刀直入に聞く。朝君が買った本って、中身を確認したか?」

「……ちょっと驚いてる。私もそのことを聞きたかったの」

 吹きすさぶ風の音に負けないくらいのつばを飲む音が聞こえ、一拍置いてから答える。

「「見た」」 「「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」

 二人は同時に答えて同時に膝から崩れ落ちた。片方に膝の概念がないが。

「違うんだ巻月! 俺はそれを決してやましい気持ちで買ったんじゃない! 美術の本と一緒だ! 美しいものをより際立たせる神秘なんだ! 絵画や壺と一緒なんだよ! だから俺を脳みそが下半身にあるような男だなんて誤解しないでくれぇ頼むぅぅぅぅぅぅ!!!」

「いやぁぁぁぁぁ忘れて忘れて忘れてビーム! 違うの淵神くん! 同気相求っていうか割れ鍋にとじ蓋っていうか! つまりは出会うべくして出会ったのがこの本ってわけで私の脳内がピンク一色のドスケベ女じゃないんだよぉ信じてぇぇぇぇぇぇ!!」

「いいや弁解の余地もない! 事故とはいえ君の買った本を見てしまったことがそんなにショックだったとは! だが! ファッション誌の表紙を見ただけで君が一体どこをどうオシャレで変えようとしているとかそんな考察や妄想などは一切! 誓ってしていないということだけでも誤解を解いてほしい!」

「私も淵神くんが買った世界の風景百選をそんなに隠したいことだって思っていたなんて! 大丈夫だよ私は一人ぼっちで家から出ることもないのに本を眺めてそこに行ったような気になってるちょっと年齢にしてはおっさん臭いなとか思ってないから!」

「……うん?」

「……はぇ?」

 散々まくしたてたところで違和感を覚える。はて、なぜ彼(彼女)はそんなことでうろたえているのかと。

 解けない疑問を確かめるために両者肩に下げている(片方肩の概念がないが)カバンから例の紙袋を取り出し中身を確認。朝見た本と、その奥にあったもう一つの本が――

「「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」」

 この短時間で一体何回目だろうという叫び声が屋上を震わせる。

「なんで巻月さんがこの本を買ってるんだ!?」

「いやそれはこっちのセリフだよ淵神くん! しかもそこれ発売日今日なんだけど!?」

「それはその、前々からこの日を待ちわびていたというか……そ、それを言うなら巻月さんだってあんなマニアックな本屋に開店と同時に入ってたじゃないか!」

「ギクッ! そ、それは、私もあの本は楽しみにしてたしこの街の人間としてはあの穴場はリサーチ済みっていうか……ねぇ淵神くん。私思ったんだけど、これって喜ぶべきことじゃない?」

「……あぁそうだな。触手好きをこじらせて早起きしてまでエロ本を買いに行くなんて誰かと共有できる話じゃないもんな」

「だよねだよね! なぁんだそうと知ってたらファッション誌なんて無駄な買い物しなかったのにな」

「そうだな。俺も世界の風景なんて一生縁がないものを買ってしまった。でもこれは返しておくよ」

「そうだった! じゃあはい! ねぇねぇこのシリーズって全部持ってる?」

「勿論。巧みな触手使いもさることながら物語にも触手を絡ませていっているあたりはやはり芸術と言える域にあるな。特に7巻の過去編を描いた触手黎明編は伏線をうまく回収した神回だったな」

「わ・か・るぅ~!! この作者のプレイシーンって最初は濡れる! って感じだったんだけど、読み込んでいくうちになんか心が澄んでいく感覚になるんだよね。やはり体に合ったものが一番ってことだよねうんうん。あ! 全部持ってるならさ、スピンオフの2巻持ってない? あれだけ運悪く手に入らなくてさぁ」

「あぁ持ってるよ。貸すから今度学校に持ってくるよ」

「わぁありがとう! あ、それとね――」

 張りつめていた緊迫した空気はどこへやら。一転して和気あいあいと触手談議に花を咲かせる二人。無機質な屋上の空気がほわっと和らぐ学生らしい雰囲気だ。話していることは18禁だが。

「はー楽しいな! こんな息継ぎも忘れちゃうくらい触手のこと話したの生まれて初めてだよ」

「悔しいがマイナーメジャーな存在。俺も同性と胸がどうだとか顔がどうだと性癖の話はしても、いざ触手について語ると会話が切れてしまうな」

「ふーん男子でもそうなんだ……ねぇ淵神くん。ここまで話せた君だから頼むんだけどさ」

さきほどの明るい口調から一転、少しだけ歯切れが悪く、モジモジと身をくねらせている。

「触手のことだろ? 気にせず言ったらいい」

「……分かった。じゃあ言うね」

 空気が再び張りつめる。だが淵神は先ほどのようにこわばった表情ではない。むしろすべてを受け入れられる聖人のような澄みきった顔だった。それもそのはず、今まで共有できなかった性癖をはばかることなく話せる相手が出来たから――


触手(わたし)に犯されてほしいの!!」


「……………………………………………………はい?」

「はい!? 今ハイもといイエスっていったね!? (*´Д`)ハァハァ。じゃあ気が変わらないうちにもうここでやっちゃいましょうねでへへへへ」

「待て待て待て待て! お前の耳には疑問符が聞こえていないのか!? うおぉ流れるように体に巻き付くんじゃない!」

「え? でも淵神くん触手プレイについてあんなに気持ちよく語ってくれたじゃない」

「気持ちよく語ったが気持ちよくなりたいと思ったことはないぞ! なんでそういうことになる!?」

「いやぁほら。さっきのファッション誌じゃないけどさ、化粧とか服の合わせ方とか自分がしたいと思ったことがあったら真似しちゃうじゃん? それと同じだよ。それが実現可能なんて思ったらなおさら、ね?」

「分かる……出来もしないのに漫画の必殺技とかポーズだけでも真似しちゃう、って違う違う。それなら相手は女の子であるはずだろ! (おれ)じゃなく!」

「え? でもほら、男が触手に襲われてビクンビクンさせられる本だってあるじゃん?」

「確かにさらに深淵にはそのジャンルも存在するが、さっきのシリーズは普通に女の子じゃないか! あの本の読者なら犯るべきはレディだと思うのだが!?」

「いやだって……私がレディだし。百合も嫌いじゃないけど、私自身はノーマルだから相手は触手オッケーのイケメンがいいんだけどなぁー(*´Д`)ハァハァ」

「あ」

 エロ本購入の危機を乗り越えさらに同志が出来たと大団円に終わったように思ったが、最後の最後で決定的な解釈違いが発覚してしまった。

 屋上での出来事で二人の関係は前進後退でもなく足元の穴に落ちて深淵に仲良く落ちていったように思えたが、そこは理の領域外。全てが上手くいく甘い世界ではなかった。

「(まぁエロ本の暴露がいい感じに終わったと思えばうまくいった方か)」

「ねぇーやっぱりだめ? あ、結構筋肉ついてるじゃん……やばい、よだれ飲むのが止まらないんですけどジュルリ」

 高校生活が始まって数日、危機感を持つのが成績やいじめじゃなく貞操だとは思わなかったな。

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