603 沼に潜むもの
マルグリットに案内をされて湿地を進むと、話のとおりにドーナツ型の巨大な沼へと辿り着いた。真ん中に見える陸地には人影が見えて。
助けに来たよ。手を振り存在をアピールすれば、捕らわれる兵士たちもこちらに気づいたようだ。まるで嬉しさを表現するかのように飛び跳ねているではないか。
「あんなに必死になって。うんうん。辛かったんだね」
「……違えぞツカサ。アイツ等は来るなって言ってやがるんだ!」
「……なんでぇ?」
折角の救助を拒む理由とは何だろう。岸辺に立って、はてと首を捻っていれば答えが現れる。水面が割れて、中より長い首が姿を見せたのだ。
湖に潜む首長竜。さては君がネッシーなのね。
世界の神秘を垣間見た心地になりながら、水の滴る頭部をははぁと見上げ。仰け反りすぎて、思わず後ろに倒れそうになる。
「わぁデッカイな!」
「なんで嬉しそうな顔してるんだよ!?」
その高さは、5メートルを超える巨人たちが見下ろされるほどだった。彼らを物差しとするならば、ネッシーは首だけで4倍はあるだろうか。
こうなると気になるのが水中に隠れる体で。全長はどのくらいあるんだい。足はやはりヒレなのかな。ロマンに妄想が加速する。俺、家のバスタブで首長竜を飼うのが子供の時の夢だったんだよね。
「閃いた。ねえこの子の背に乗って、島まで渡れないかな?」
「頭の悪さに眩暈がするが、死骸の上を渡るというのなら選択肢には入るか」
混沌軍のリーダーとして最高にクールな提案をしたというのに、女戦士は額に手を当てながら酷いことを言った。
やめて。この子を殺さないで。俺はネッシーを庇うように大きく手を広げて、いやいやと顔を横に振れば。「バカ」と叫ぶ、険しい表情の狼少女に押し倒されてしまう。
背に泥のぬかるむ感触。視界には青い鱗を纏った首が通り過ぎ、電車のように長い時間に渡り風圧を叩きつけてくる。飛び散る水飛沫を浴びながら、食べられるところだったのだと気が付いた。
「魔獣に背を向けるやつが居るか。襲ってくれって言っているようなもんだろ!」
「すんませーん」
思いの通じぬこの現実。ネッシー君は、人のことを餌としか思っていないようだ。隻眼の女戦士が下げれと叫び、混沌軍は蜘蛛の子が散るように沼から離れていく。
けれど少し遅いか。俺の次に狙われたのは、食べ応えのありそうな三つ編みの単眼巨人。通称ギガ子。彼女の手にはママが抱えられていて、逃げ切れぬと悟るや、身を丸めて竜の攻撃に備えた。
両手が塞がっていたら反撃も出来ないもんね。ママを守り通そうとする気概が嬉しくて、俺はそいやと目前を走る首を蹴りつける。
「GYAAA!?」
「あんまり可愛くない鳴き声だな」
俺は渋々と虚無に手を伸ばし。ゾルゾルと漆黒の凶器を引き抜くのだが。ポテンと手から滑り落ちた黒剣は、泥に刃を沈めた。
灰褐色の髪の少女が向けてくる視線が冷たい。さながら、まだやる気が出ないんだなと言わんばかりの、イグニスを思わせる軽蔑の眼差しだ。
「お前さぁ、もう飼う気は捨てろよ?」
「……」
「こっちを見て返事をしろ!」
俺は眼を逸らしながら、もう一度虚無から綺麗な黒剣を取り出すのだけど、内心では握力が出せなかったことに危機感を覚える。
告白をすれば、あの日の戦いからずっとなのだ。闘気の真化による反動。限界を超え続けた代償が、すでに神聖術でも癒せない領域で身体を蝕むらしい。
まぁ今は気にしている暇も無いか。闘気により強引に体を駆動して、だからどうしたと不安を心の奥底に仕舞い込む。
「ふっ大将が出るまでもないさ。たかが水竜くらい私で十分だ」
やる気を出した俺をよそに、女戦士が一人で首長竜に突っ込んでいく。
英雄級の彼女である。言葉の通りに、その斧は容易く鱗を切り裂き、巨大な竜を一歩も退かずに相手取るのだが。
こんな時に真っ先に飛び出していきそうなリュカちゃんを見る。
狼少女はバツが悪そうに、仕方ないだろと言い訳をしながら、指先をちょんちょんと突き合わせていた。
「武器がねえんだって。槍がありゃあ、オレだって戦うさ」
「あれ? 竜の牙で槍を作るって言ってたじゃん」
町で暴れた10数体の地竜の死体は、解体して食料や素材へと変えたものだ。
俺も個人的に分けて貰ったし、いくらでも手に入る機会はあったはずと訝しむ。すると、そんな考えを見透かすようにリュカは「違うんだよなー」と鼻で笑う。
「自分で狩った獲物だから価値があんの。それが戦士の流儀。買ったり貰うのは違うんだよ」
「そっかぁ」
彼女なりの拘りがあるらしい。信仰は自由なので、うんうんと頷いていれば。戦いは早くも決着だ。
水竜の野太い首は、とても一太刀で両断出来るものではない。ならばとマルグリットが選んだのは手数。さながら木こりが幹を少しずつ削るように、同じ箇所を狙い徐々に刃を食い込ませていく。
そんな事をすれば、当然に返り血で全身を染めるのだが。女戦士は竜を斬るのが楽しくて仕方ないのか、大笑いをしながら斧を振り乱し。
さようなら。やがて千切れる首に、心の中でお別れを告げた。
はずなのだけど。動かぬ頭部をよそに、残った首は元気に動き回るではないか。普通逆でしょ。
俺たちは眉を寄せて切断された死体を睨むのだけど、ネタが割れれば簡単で。バシャンバシャンと水中に隠れていた頭が姿を見せる。
その数はなんと八つ。首長竜に見えたが、その実はヒュドラに似た多頭の化け物であったわけだ。
「……ねぇ、マルグリット」
「……なんだ?」
「竜巣軍は一体、何を育ててたんだよ!?」
「こっちが知りたいわ!」
どうやら元幹部でもコイツの事は知らされていないらしい。
ならば余程の極秘か、あるいは突然変異か。首が沢山あっただけならば、まだいいのだけど。問題は再生能力のほうで。
マルグリットが断ち切ったはずの傷口から、新たに二本の首がニョキリと生えて来ては笑うことも出来ない。
「斬ったら増えるのか。この数は軍勢の兵士が頑張ったのだろうな」
「近づくなって言っている意味がようやく分かった」
沼の真ん中に居る彼らも、倒すことで敵を増やしてしまったのである。
きっとこの光景を眺めながら、言わんこっちゃないと頭を抱えているのではないか。こういうのは言葉にしてくれないと困るよね。
「ギャー来たぞ。どうするんだツカサ!?」
「とりあえず増えるのは困るな。無駄な攻撃は控えるか」
右から左からと、鞭のように襲い来る首を躱しつつ考える。
これでも再生能力持ちとは多く戦ってきたものだ。悪魔に人面樹に千手蜘蛛。そのいずれもが膨大な魔力に支えられいた。
ならば魔力が枯渇するまで斬るのも手かと頭を過るのだけど。幸いに竜とは殺しあったばかり。その力の根幹を知るからこそ答えを弾き出せるというもの。
「狙うなら心臓だ。それがアイツの核のはず」
自分で言って、ふと思う。不死身の代名詞。灰からでも甦る始まりの獣にも、核になる部分はあるのだろうかと。
そんな思考を遮るように、ネッシーはズシンと前足を陸に置き、巨体を沼から引き揚げた。その下半身は、鰐を思わせるずんぐりむっくりとしたもので。普通に4つの足と尻尾が付いている。
ヒレのような水生動物の名残は一切見られず、しょせんネッシーなど幻想だったかと俺は白目を剥いた。
「男の夢を弄びやがって。ぶち殺してやる!」
「なんで突然やる気になったんだ?」
人質の救助に門番は付き物か。混沌軍の初陣は多頭のトカゲ。相手にとって不足しかないね。
出張から帰還しました。頑張って更新していきたいと思います




