594 この大空に翼を広げ
「おっと……」
瓦礫に躓いてしまい、俺はあわや転びそうになった。足腰には、もはや体勢を直す力も無くて、黒剣を杖の代わりに体を支える。
ふと周囲を見渡せば、町は酷い有様だ。
地竜が這いずり回ったせいで建物が崩れ。通りはまるで、玩具箱をひっくり返したかのように足の踏み場も無い。
竜はまだ何処かで暴れているのか、大地がズシンと揺れるたびに舞い上がる埃。
かつて家であった場所は、家財も思い出も下敷きに、残骸へと張り果てていて。俺はやり切れぬ思いに目を細める。
それでも止まっちゃいけないよね。責任を噛み締めるように重々しく歩を進めた。
「なんだ。既にフラフラではないか」
「そっちは空から墜ちたわりに元気そうだね」
「……っ」
やがて辿り着いたのは町の中心近くにある広場。そこに探していた人物が待ち受けていた。
随分と悪趣味な場所に居るものだ。此処こそは奴隷のオークション会場であり、この騒ぎの発端となった、魔王への貢金が設置されていた地点でもある。
透明なガラスケースに、見せびらかすように貯め込まれていた竜の財宝。
お世辞にも治安が良いとは言えないこの町だが、そんな状況でも誰一人として手を出す者は居なかった。
魔王の財を奪う。それは即ち、魔王軍への宣戦布告に他ならない。
木組みの舞台よりこちらを見下ろす軍服の男は、意趣返しのつもりか、相変わらずの無表情で皮肉を口にしてくれる。
「見ろ。これが貴様の行いの結果だ。たった一人の愚行のせいで、町が滅びる気分はどうかな」
「反省しているよ。こうなる前に、テメェを殺しておくんだった」
「ふん。威勢だけは良いな。挑むならば来い、貴様にも生物としての格の違いを教えてやろう」
「……にも?」
言うや、青銅男は舞台の上で何かを足蹴にした。
ゴロリと転がり落ちてくるソレを見て、俺は言葉を失う。ビキニアーマーを着た半裸の痴女。そうマルグリット卿だったのである。
なぜ彼女がここに居るのかと思うと同時、俺と死闘を繰り広げた手練れをこうも一方的に倒す【地吹雪】の強さにも驚愕してしまう。
「はぁはぁ……ツカサ・サガミ……か」
「喋らなくていいよ!」
菖蒲色の髪をした女性は息も絶え絶えだった。全身の皮膚を赤く腫れあがらせて、激しく痙攣をしているのだ。
一体何をされたのやら。俺は急いでマルグリット卿の元へと駆け寄るのだけど。ならば見ろ。そう言わんばかりに女戦士は最後の力を振り絞って水槍を上空に飛ばす。
青銅男の意識が俺へ向いている瞬間に、死角からの遠距離技ときた。相変わらず、煮ても焼いても食えぬ人である。水の矛は、舞台の床を真下から貫いて青銅男を襲い。
「えっ?」
切っ先は敵に届く前にペキリと氷漬いてしまった。
青銅男は一歩たりと動くことなく女戦士の必殺を凌ぎ、変わらぬ冷たい視線を落としているではないか。
「マルグリットか。くだらん悪足掻きだな」
「……覚えておけトカゲ野郎。これは託すって言うんだ」
いや。よく見れば奴の頬には、薄っすらと掠り傷が出来ている。
水槍は氷槍となり、僅かに届いていたのだろう。或いは、彼女が全快ならば、命にすら届いていたかも知れない。
これが貴女が研ぎ続けた反逆の牙か。俺は力尽きるように倒れたマルグリット卿の手を握る。冷え込み、紫に変色した指先。か弱い脈に、せめて熱をと思ったのだが。震える唇で、私はいいと。
「弟を……頼む」
「そっか。じゃあエルマはやっぱり」
任せろと頷けば、女戦士はさも安心したかのように気を飛ばしてしまった。
俺はゆっくりと立ち上がり、上を向いて睨む。ギョロリとこちらを捕捉する爬虫類のような瞳と目が合う。
「無表情だから分かり辛かったけど、そっちも随分と消耗をしているみたいだな」
マルグリット卿の伝えたかった事はそれだ。
無傷で受けたと言えば聞こえはいいが、要するに直撃である。反応出来なかった。躱せなかったのだ。
俺ならば何をするか分からない卑劣の塊みたいな人間の攻撃を、まともに受ける様なことは絶対にしないね。
「確かに私は貴様の攻撃で手傷を負った……しかし羽虫を潰すのには十分だ。見せてやるぞ、真の竜種の力を!」
青銅髪の男は舞台の上で剣を抜き放った。来るかとこちらも身構えるのだが、瞬間に襲い来るのは激しい冷気である。
魔王の天候支配により熱帯のような気温を持つこの地方。急激に冷やされる事により、土地は汗をかくように水分を結露させ。そして全てが凍り付く。
町が薄氷にコーティングされ、一面に広がる銀世界。これが【地吹雪】という二つ名を持つ所以というわけか。
「だからどうした。こっちも見せてやるぜ、暴力をな」
「おうおう。盛り上がってるところ悪いけどよ、仲間外れは寂しいねえ。俺も混ぜちゃあくれねえかい?」
「「!?」」
一触即発の空気を破るのは、銅鑼のように響く豪快な声。ではなく、地上に大きな影を落とす飛来物であった。
地竜だ。さてはジャイアントスイングでぶん投げたか、尻尾が千切れて、幾分と身が短い。へぇ竜は自切出来ないんだね、トカゲのくせに。
とは言え、十メートル級の巨体が宙を舞う異様。さながら一軒家が降ってくるような光景には、鉄仮面である青銅男も驚きの表情を隠せないらしい。
「地竜を投げるだと!? そうか、貴様が噂に聞く【赤鬼】か!」
「なんでえ。俺をご存じってんなら、挨拶はいらねえな。生憎だが、もうこの町に居る竜は、お兄さんだけだぜ」
「キト……えっ、なんでここに?」
凍れる町を我が物顔で悠々と歩いてくる赤肌の偉丈夫。
敵ならばいざ知らず、味方である事のなんて頼もしいこと。既にやる気が溢れるか、足を進める度にその熱で氷は溶けていく。これもう勝ったんじゃね?
「なんでもかんでもあるか。あれだけ派手にやられちゃあ、動かねえ訳にはいかねえだろうよ」
「……ああ」
昨日の竜を撃ち落とした時のことだ。
上空に向けて放った俺の魔法は、鬼族の里からも確認出来たようで。異常ありとみなして駆け付けてくれたと。
「てやんでい。しかし、お前を放り込んでたった三日でこの有様とは恐れ入る。混沌の化身かってんだ」
「いやぁ照れるぜ」
「別に褒めてるわけじゃねえやい」
空気が弛緩しかかったのは、正に余裕の表れ。
地竜は全滅し、残る敵はただ一人。そこに三大天が加われば、俺としては怖いもの無しというわけだ。
後は、青銅男に逃げられないようにするだけ。
忘れてはいけないが奴は空を飛べる。仕切り直しになるようであれば、魔王の面子を保つ為に、次は軍を率いて来るのだろう。
「いいや、奴さんはもう飛べねえよ。竜は賢い種族だ。だからこそ、撃墜というのは記憶に深く刻まれる。知っているかい、そして竜は空を恐れ……」
「……やめろ!」
「竜人族ってのは、空に居場所を失った竜が、地上で生活するために人の姿を得たもんなんだ」
或いは、それも進化なのだろうが。当の本人は恥辱に肩を震わせていた。
なぜ今更に空の支配など目論むのかと思っていたけれど。混沌の魔王に奪われた居場所を取り戻す事。再びこの大空に翼を広げることこそ、彼たち竜の憧れだったのである。
「道理で竜笛なんて使うわけだ。脳裏に撃墜がちらついて、自分じゃ飛べなかったのか」
「……言ってしまったな。知ってしまったな。名乗れ羽虫め。貴様だけは我が誇りに賭けて、必ずこの手で殺してくれる!」
決闘を挑まれてしまった。キトは腕を組みカラカラと笑いながら、俺の決断を眺めている。
相手も全快ではないが、こちらも体力がキツイわけで。お前に勝ち確を捨てて勝負をする覚悟はあるのかと、言語外に問われているようだった。
「キト、アイツは俺がやる。まさか遅れてきて、美味しいところだけ持っていこうなんて言わないよな?」
「ああ、それでこそだぜ兄弟。男の誇りを踏み躙るようなら、尻を蹴飛ばしてやったところよ」
「というわけだ。勇者一行ツカサ・サガミ。その挑戦を受けてやる!」
俺が黒剣を肩に担ぎながら前に出ると、舞台の上からやっと降りてくる青銅男。
彫刻を思わせる無表情は何処へやら。顔に明確な怒りと殺意を滲ませ、半竜半人とも取れる鱗と翼を纏った形態に姿を変える。
「どこまでも苛つかせる男だ。竜の吐息など、しょせんは副産物。竜種を竜たらしめるは、巨躯での飛行すら可能にする強靭な心臓にある。最強の意味を知り死ね!」
へぇ。つまり竜を名乗る条件は心臓か。イグニスに聞くまでもなく疑問が解消してしまった。
俺はガラスのハートだから、罵倒や悪口は女の子だけにして欲しいのだけど。
ならばこちらも命を燃やそう。闘気で心臓を強引に駆動させ、血管より全身に魔力を流し込み。
今日、すでに何度目かの真化にポチャリと垂れる鼻血。それが合図となり、踏み込みの衝撃で凍れる世界にヒビが走る。




