589 最後の悪足掻き
俺が酒場のカウンター席で料理を頬張っている傍ら、隣で酒瓶を咥える鬼娘は言う。
ツカサ・サガミはバカで間抜けであるが、恐ろしい事に戦果だけは極上のものを叩き出したと。首を捻れば、なんとあのマルグリット卿の身柄を捉える事に成功をしたらしいのだ。
「……よく捕まえられたね」
「まぁ、あーしに掛かれば手負いの【抱天】なんて相手じゃねえっつーか?」
「実際はツカサを救助出来れば良かったんだけど、一発蹴りを入れたらなんか勝てたんだよ。倒した時はソイツが一番驚いていたぜ」
肉をもしゃもしゃと咀嚼する狼少女がぼそりと呟くと、調子よく語っていた赤肌の少女はピシリと固まった。
なるほど。回復薬で傷は治したけれど、女戦士もとっくに体力が尽きていたか。俺を運ぶついでに、このアジトへと拉致をされたらしい。
「ちょうどいいや。彼女には話があるし、ここに居るならちょっと会ってくる」
「ちっ。一緒に行くぜ。こっちも【軍勢】として吐かせたい情報は沢山あるからな」
「一人だと怖くて会えなかったのか?」
「テメェ、さっきから余計な言葉が多いな」
鬼娘と狼少女は、どちらも気の強いはねっ返り。反りが合うとは思っていなかったけれど、額を付き合わあせて「おおん?」「ああん?」とオットセイの真似事のような声を出していた。
ここは水族館じゃないぞ。俺はカエルさんにご馳走様と告げて、早速に二階へと戻る。無視をしたら言い合う声と共に、ドタバタと騒がしい足音が階段を付いてきて。背後から揃って文句が飛んできた。
「一番奥の部屋だ。そこはガキ共が寝てるから入るんじゃねえ」
「朝になったらイグレシアにお礼を言えよな。ツカサを治したのはアイツだぞ」
「仲が良いのか悪いのかハッキリしろよ」
やはり俺の手当をしてくれたのはママのようだ。子供たちが寝てやっと静かになったと辟易している鬼娘には悪いが、扉を僅かに開いて、どれどれと中の様子を覗き見る。
既に蝋燭の日は消え、灯りの落ちた室内。中からはスースーと三人分の健やかな寝息が聞こえてきた。
作りは俺の部屋と同じなのか、真ん中に大きなベッドがあって。その上に見える人影は二つあり。一つはエルマ少年で、彼に寄り添うように妙齢の女性が目を瞑る。
はて、ならば幼女は何処に行った。マリーの姿を探すべく目を凝らして、俺は見つけてしまう。
「でっっっ!?」
「だから静かにしろって言ってんだろうが!」
胸の膨らみが三つあるのかと疑った。大きいとは思っていたが、よもや子供の頭部と比べても見劣りしないサイズだったとは。
幼女はママにコアラのように張り付いていたのだ。特筆すべきは、その表情。まるでこの世の全ての不安が消えうせたかのように幸せに満ちているではないか。
俺にも懐いてくれていると思ったけれど、とても見せてはくれないような寝顔には、少しばかりの嫉妬を覚える。
「ぐぎぎ、そこの寝心地はそんなに良いというのか~」
「……羨ましいのはそっちなのかよ」
まぁ冗談はさておき、代われよガキが。違った。
おやすみなさい、良い夢を見なよ三人共。俺は目を細めながら、音を立てないようにゆっくりと扉をしめた。
◆
そんな安らぎの景色と比べれば、こっちの部屋はまるで天国から地獄である。
キングサイズのベッドに人間が横たわっている事に違いは無いというのに、受ける印象がこうも変わるのは何故だろう。
闘技場から直送されてきたマルグリット卿の恰好は、当然ながらビキニアーマーのままであった。場所を知られないようにか、目は布で覆われて口元にも紐が噛まされている。もはや何かのプレイにしか思えなかった。
更には彼女を縛るものだ。
両の手足には枷が嵌められていて。しかし悪の女幹部を拘束するには、それだけでは心許ないか。グルグルと巻かれた鉄糸が肉付きの良い肌に食い込み、まるでボンレスハムの如しである。
そんな変態的な姿の女性がベッドの上に居る。もう一度言うが、何かのプレイのようにしか思えない。
「ねぇキキさぁ。アレを見て、なにも感じないの?」
「う、うるせえな。あーしだって好きであんな恰好をさせてるんじゃねえよ。そもそも半裸なのが悪いだろ。人間にはバカしか居ねえのか」
俺たちが部屋の中へと踏み入っても、女戦士はピクリとも反応をしなかった。
キキは手に持つランタンを机へ置き、「おい、起きろ」とそんな彼女の目隠しを解こうとして。
俺は待てと手を伸ばすのだけど、鬼娘は化け物に近づくにあたり、あまりにも無警戒であった。圧倒的優位に立つ慢心と過失。布の下では隻眼がギョロリと見開いていた。
「……鬼種。そうか、背後には【軍勢】がいたようだな」
「ぐぇぇえ」
まるで鶏が絞められる様な声がする。マルグリット卿は力づくで拘束を抜け出し、キキの喉元を掴んだのだ。
寝たふりかの騙し討ち。いかにも女戦士のやりそうな事だ。アジトの場所を知る為に自ら攫われたのではとすら考えてしまう。
「げぇ、あれだけ縛っても身動きを封じられないのかよ」
「無理だろうな。動けなくするんなら、両脚をへし折るくらいはするべきだった」
まぁ気絶している怪物を、わざわざ起こしたくない気持ちは分かる。けれど彼女を並み大抵の拘束で捕らえるのは不可能だ。
俺でさえ鉄糸を破って檻から抜け出すのはわけないし。たとえ頑丈な鎖があろうとも、建物ごと引き摺り歩くことが出来るだろう。それが英雄級なのである。
「おはよう、マルグリット卿。ご機嫌いかが?」
兎にも角にも、人質を取られては降参するしかあるまい。
「構わねえ、やっちまおう!」と喧嘩腰な狼少女を諫め、両手を挙げて白旗を振った。
「今更暴れてどうするんだ。あの青銅男は、アンタごと街を滅ぼそうとしたんだぞ」
「何をぬけぬけと。それもこれも、一体誰のせいだと思っているのだか」
女戦士の声は、驚くほどに柔らかかった。
闘技場で放送禁止用語を連呼していた時とは違い、まさに淑女が茶会でもしているようだ。片手間に青い顔で藻掻く鬼娘が居なければ、だが。
「確かに、いまさら【竜巣】には戻れまい。かと言って、私がお前らに協力をする義理も無い。そうだな?」
「……そうだね」
捕虜という立場面での不利は、人質によって覆る。
だから、あくまで対等な立場として条件を飲むのであれば、私はツカサ・サガミに付くと言ってきた。
断れば殺すとばかりにヤンデレのような迫り方をしてくるマルグリット卿。一体どこが対等だと言うのか。
それでも彼女が要求をするものは、なんとなく分かっていた。要求を聞かせてと、俺は交渉を続け。
「エルマーノ……いや、エルマという少年に、御霊分けを試させて欲しい」
「そう来たか」
御霊分け。親が自分の子供に魔力の存在を自覚させて、覚醒へと導く儀式。
他人の魔力は毒であるが、血を分けた姉弟であれば、十分に魔力を許容することだろう。つまりは伝聞などに頼るまでもなく、DNA鑑定が可能だった。
ずっと探している弟を、魂で判別する。何処かロマンチックだなと思いながら、いいよと首を縦に振る。
「でも、確か危ないんだよね。俺が約束出来るのは、エルマに意思の確認を取ることまでだよ」
「それで構わない。最後の悪足掻きみたいなものだからな」
同時に鬼娘が床へと投げ出され。顔を綻ばせるマルグリット卿は、早速とばかりにベッドから腰を持ち上げた。
待った待ったと、その歩みを止めれば。彼女は如何にも不満そうな顔をして、何か不都合でもあるのかと。弟の話が嘘なのではないかと疑心を見せる。
「今は深夜なんだよ。久しぶり再会出来た母親と一緒に寝てるから、せめて朝まで待ってあげて」
「……っ」
その言葉を聞いた時の、なんとも言えない複雑な表情。
彼にはもう家族が居て、貴女はエルマにすれば奪った側で。いつの間にか大嫌いな竜になっていたと、悪の女幹部は罪を噛み締めるように項垂れる。
「ゲホゲホっ。あ、あーしを無視してんじゃねえ!」
「元気だなーお前。大人しくしてろ」
咽るキキは、狼少女に背中を擦られていた。
勝手に話を進めるなと不満気だが、エルマの件は特別デメリットも見当たらないので文句の声は上がらない。
だから協力すると言ってくれたマルグリット卿へ、懇願するように叫ぶのだ。
「この町の【軍勢】軍を何処に連れて行ったか吐け! その中には兄貴の婚約者も居るんだ!」
あー。どうにも豪快なキトにしては慎重だと思ったけれど、そんな裏事情があったのね。
なぜ言ってくれなかったのか。水臭いと思う反面、そりゃ言えないかとも思う。




