583 ダーティーハニー
崩れた壁の奥から憤然と姿を現す女は、闘技場の舞台に立つや、自ら衣服を破り捨てた。
日の下に晒される身体は、歴戦を思わせる傷だらけのもので。少ない面積の金属が、ささやかに胸と股間を覆い隠している。
「ビキニアーマー。まさか存在していたのか!」
ある意味は竜よりもファンタジーな存在ではなかろうか。
例えば騎士が戦場であんな格好をしていたならば、頭がイカれていると誰もが嘆くであろう。少なくとも俺は裸で戦う馬鹿を……あまり知らない。
伝説のアイテムを目の当たりにして、やや興奮しながらジグルベインにも見せたかったものだと考えていると。
「ぶち殺してやるぞ、テメェ~!!」
なんて堂々とした痴女も居たものだ。観衆の視線を浴びようとなんのその。マルグリット卿は怨敵の名を叫んで大股開きで歩を進めてくる。
ほぼ裸なのに、あまり性的な印象を抱かないのは何故だろう。
隆起する筋肉と掲げられた剣が相まって、肉食獣がいよいよ羊の皮を脱ぎ捨てた様にしか思えなかった。
「おん?」
ふと、視界の中に黒い点が現れる。
いつの間にか眼前に迫るのは飛来物。なんだと目が焦点を合わせれば、それは剣の鞘だった。俺は慌てて首を捻って回避して。やられた、そう思う。
奇襲とは、即ち意識の隙を突くこと。相手が丸裸に近い恰好だからこそ、投擲の警戒なんてしていなかったのだ。
そして鞘に目と意識のピントが合った、まさにその瞬間。マルグリット卿は、草原から飛び出す豹のように襲い来る。正面に居ながらにして景色が刃を振りかざしてきたような、意識外からの攻撃だった。
「ほう、防ぐか。これしきで死なれても興醒めだがな!」
「なんのこれしき!」
相手の強さは英雄級。並みの戦士であれば、その攻撃を受けることすら叶わずに両断されるだろう。けれど災害じみた魔王共に比べれば、まだ軽いほうさ。俺は混式を用いて、彼女の剣を正面から止めて。
「……なっ!?」
鍔迫り合いに持ち込み、押し切ろうと踏ん張った矢先だ。動きを気取られたか、今度は視認しづらい角度から裏拳が飛んでくる。
それは、まぁいい。読み合いも勝負の内。敵が一枚上手だっただけのこと。
問題は、顎を引いて確かに拳を避けたはずなのだけど、右の瞼を大きく切られてしまった。指を伸ばして、いきなり眼を狙ってきやがったのだ。
「まさか、卑怯とでも言うつもりか?」
「いいや。上手いもんだと感心をしていた」
「よろしい。子供が英雄気取りかと思っていたが、どうやら一端の戦士ではあるようだ」
片目を瞑りながら答える。そう。これは卑怯ではなく、巧いのだ。
目潰しや金的などヴァンでもやる。もっと言えば勇者だってやる。殺し合いなど隙を見せた方が悪いというか、死んでから文句を言っても遅かった。
分かった事が一つあるとすれば、彼女の特性。強いにも色々種類があるけれど、恐らくは対人特化。それもダーティープレイを躊躇わないタイプである。
「確かに、貴女は騎士から一番遠い人種かもね」
「明日を迎えるのは生者の特権だろう。それを矜持や誇りで捨てるなど、私には理解が出来ないな」
「別に生きたい気持ちを否定はしないんだけどさ」
そう言われると、少しばかり手に力が籠る。
お返しだ。黒剣が煌めき、一閃の鋭さに目を見開くマルグリット卿。初めて受けに回った彼女は刃を剣で防ぐも、鳴り響くのは甲高い金属音。
折れた切っ先がクルクルと回転しながら地面に突き刺さり、その肩口にはしっかりと赤い線が引かれている。
「なんだ、この重さは!?」
剣奴にされた身の内には同情しよう。生き残るのに必死であったのも理解しよう。
それでも、俺の頭を優しく撫でてくれた銀髪金眼の魔王は、最後まで名残惜しそうにしていたものだ。
大いなる愛情に生かされた自分としては、命を投げ捨ててでも守ってくれた恩人に、感謝しかない。
「誰も死にたくて死ぬわけじぇねえよ」
「言っていろ。私はたとえ魔王軍に身を落とそうと、他者の命を踏みにじろうと生き残るぞ。こんなところで、くたばっていられるか!」
魔王の財宝に手をつけた俺。そしてマルグリット卿は、片棒を担いだ疑惑がある。
このままでは二人揃ってどころか、町ごと壊滅させられることだろう。彼女は責任を取って死ねと、言葉の刃を振りかざす。
その件は本当にごめんなさいね。
でも、やはりビキニアーマーなど幻想の代物。肌を隠さぬという事は、怪我の視認も容易だ。
「腕一本で、まだ俺と戦えるのかよ?」
鎧と言うには防御性に難がありすぎるだろう。表情には出さないけれど、彼女の左肩の傷は、それなりに深手だと伺えた。
更には得物も折れて、これ以上戦いを続けられるものか。俺は黒剣を突き付け、生きたいのであれば降参しろと促す。
「…………らん」
「え、なに?」
「【晴嵐に揺れる若葉】【小波立つ湖畔】【波紋重なり】……」
マルグリット卿は、ごにょごにょと口を動かすもので。素直に敗北を告げられないのかと耳を澄ませてみればドキリと心臓が跳ねる。魔法の詠唱。この女、諦める気など、さらさらに無かったらしい。
手を向けられ、俺は大きく後退をして距離を取る。けれど、どうだ。
何も起こらないどころか、奴は背を見せて逃げ出していた。これには流石に、思わず叫んでしまう。
「あっ汚ったねえ!」
「降参を促す暇があれば、首を落とすのだったな。バカめが」
ブラフ。よく考えなくても、活性と魔法の相性は悪いのである。剣の間合いに居ながら、身体強化を捨てる可能性は低かった。
これに関してはイグニスが悪いだろう。俺の中で魔法とは広範囲高威力の危険物でしかないのだから警戒もする。
誰にしているのか分からない言い訳をしつつ、逃げるマルグリット卿の背を追えば。クルリと反転した彼女の手から、今度は本当に水流が噴出して。もう、訳が分からないよ。
「ちっ、魔剣技は使えるのか。じゃあ詠唱が囮で、本命はこっち?」
撃たれるのは水槍とでも言おうか。高圧の水鉄砲のようなものが、ピュンピュンと飛んでくるもので、黒剣で払い落しながらも前に進む。
そして彼女の本当の狙いが、ようやくに理解出来た。
水を叩いたはずなのにガキンと金属音が響いたのだ。いつの間にか本物が混じり、逸れた矛先が太ももを抉っていく。
「なるほど。闘技場だから、武器は豊富に揃っているわけだ」
「そういう事さ。そして、私を剣士などと思うなよ。敵なんてな、斬ろうと叩こうと、殺せればいいんだよ」
壁際まで辿り着いた女戦士は、両刃の付いた斧を担いでそう言った。
俺はつくづく相手を見誤っていたのだと思い知る。嗚呼。ビキニアーマーは実にショー映えする装備だったけれど、どうやら、その色気に惑わされていたらしい。
警戒をすべきは、そんな勝負下着を常用している点だった。
魔王軍の幹部に至ろうと。賭博で儲け、奴隷を顎で使う身分に成り上がろうと。マルグリット卿の心は、いまだ戦場にある。
誇りは無く。得物も手段も選ばず。ただ欲するのは、勝利であり、生還か。
「アンタ、何と戦っているんだよ。そんなに魔王が怖いのか?」
だから興味本位で聞いてみた。英雄級の強さを持つ人間が、何故そこまで卑屈になるのかと。てっきり竜に国を滅ぼされたトラウマかと思いきや。
「死ねん。私は死ねんのだ! 故郷が攻められたあの日、逃げ出す弟に向かい、必ず迎えに行くと言った! 待っていろと、言ったんだ!」
命の危機に、曝け出される胸の内。
何も持たない彼女にも、家族という血の繋がりはあって。かつての約束を、盲目に妄信し、生きる糧としていたとは。
でも、それ。
「……一体、何年前の話なの?」




