582 こんなはずでは
部屋を満たすほどの金。それがマルグリット卿に求められたリュカの身請け額だった。
一体お幾ら万円になるのだろう。具体的な金額の提示はなく、けれど法外な請求と分かる。いわゆる、お断り見積もりだ。
払えるものならば、払ってみろと。最初から奴隷を手放す気など無い彼女は、大上段からふっかけて来ていた。
「あっ、あっ、あああ~!! 貴様、貴様、何てことを……」
だが、どうせ達成不可能と高を括り、惨めに指を咥える様を嘲笑っていた、そんな悪の女幹部様は。せっかく注文通りの、床を埋め尽くす量の硬貨を用意したと言うのに、頭を抱えて絶叫している。
口は災いの元だね。金の出処は問わない。盗んでも殺してでも持ってこいだなんて言われなければ、俺には人のお金に手を付けるという発想は無かったのに。
「でも約束は約束。支払ったんだから二人は解放して貰うよ」
「そんな事を言ってる場合では無いだろう! まさか、これが何の為の金か知らないのか!?」
「いいや、分かっている。むしろ、貴女こそ状況をちゃんと理解しているかな」
どこぞの魔女を見習って、俺は精一杯の強気で笑って見せた。
部屋中に散らばる硬貨は、魔王に納めるべく集められていた貢金である。
ふざけた事に貯金箱は広場に設置されていて、町から搾り取った金が、観衆に晒されていたのだ。
しかし、どんなに憎かろうと、飢えていようと。誰も、その金に手を付けることは出来ない。それは竜の財宝であり、支配の象徴。もし逆らう者が居れば、たちどころに全てを消されてしまうから。
「おかげで盗みやすかったよ。見張りの一人も居ないなんて不用心だよね」
「普通の精神をしていれば、魔王に逆らおう等と考える馬鹿者などおらんわ!」
必要が無いのだと、マルグリット卿は常識を知らぬ愚か者と糾弾してくる。
正直なところ、誰か一人くらいはやりそうだと思うのだけど。まぁ天候操作など、もはや神の領域。目の前で冬を夏に変えられては、畏怖もしたくはなるか。
ならば此度の俺の所業は、まさに神をも恐れぬ愚行だ。
顔くらいは隠したけれど、白昼堂々と強盗をやっている。これでは捕まえてくれと言っているようなもので。
嫌でも目立つ金の量。目撃者も多く、犯人の足取りは簡単に追えるだろう。
「つまり。魔王の金を盗んだ奴が闘技場に逃げ込んだ。その事実を、アンタの上司はどう見るかな!」
「……っ! 私に、罪を着せようと言うのか?」
忌まわしげに睨みつけてくる視線も、なんのその。俺はすっかり逆転した立場に、フフンと鼻を鳴らす。
貢ぎ物に手を出せば、町は滅ぼされるのだろう。けれど物事には順序がある。爆弾ではあるまいし、ただちにドカンとはいかないわけだ。
導火線へと火は付いた。ただし魔王へ情報が届くまでの猶予はある。
さぁ、早くなんとかしないとね。これはもう反逆しかないでしょう。言語外に圧をかければ、呆れ果てたような大きな溜息が部屋に響いた。
「どこまでも愚かな。なんの為の竜笛だと思っているのだ。魔王の判断など仰ぐまでもなく、ディネーヴェは町を滅ぼす程度の権限を持っている」
「……えっ!」
今度は俺の目が点になってしまう。
つまり、なんだ。この町を支配する魔王軍幹部の耳に話が届けば、すぐさま荒れ狂う竜たちにより天罰が下ると。それはちょっと、想定外というか。
「……や、やばくない?」
「だから困っているのだろうがー!!」
マルグリット卿は激怒した。
音声はカットするが、とても放送の出来ない汚い言葉を使い、心の折れるような罵倒を繰り返してくる。流石の俺でも泣いちゃいそうだ。
一体どんな生活をしていたら、チンコをピーして●●●するなんて悪口を思いつくのやら。女戦士は散々に叫び、少し冷静になったか。ぜいはぁと息を切らしながら、そうだなと短く呟いた。
「魔王ならばともかく、あの男であれば真相を探るぐらいはするか。確かに少しくらいは時間の猶予がありそうだ」
「じゃ、じゃあ!」
「ああ。この町などどうなろうと知らんが、お前を殺して身の潔白くらいはさせて貰おう」
俺の用意した、魔王に知られる前にクーデターを起こすという案は却下され。女幹部が選ぶのは第二の選択肢。激しい踏み込みにより、床に散らばる硬貨がジャラリと音を立てて舞い上がる。
「ちくしょー、こんなはずでは!」
なかなかイグニスのようには行かないものだね。
悪鬼のような形相で迫るマルグリット卿が披露するのは抜刀術。剣を鞘から抜く動作のままに刃を叩きつけられた。
しかし抜く速さであれば、こちらも負けない。虚無より引きずりだした黒剣が、かろうじ凶刃を防ぐも、驚くべきはその威力だ。中途半端な姿勢で受けていい攻撃では無かった。後ろにズラされ、背はドンと壁に突き当たり。
「死ね、このビチグソ野郎が!」
「うごぉ!?」
間髪入れずに放たれる前蹴りが、無防備な腹部に刺さる。
俺の身体は蹴られた衝撃により弾け飛び。一枚二枚と頑丈な石壁を崩して、それでも、なお止まらぬ勢い。
最後は地面を転がりながら、激しい土埃を立て。気付けば頭上には、澄み渡る青空と燦々に輝く太陽が存在した。
「「な、なんだぁ!?」」
「これはこれは、お邪魔しまして」
どうやら闘技場まで放り出されたか。武器を持ち対峙する二人は、闖入者に目を白黒させていた。
というか片方はリュカじゃん。人豚さん相手に苦戦をしているようで、額から血を流す灰褐色の髪の少女が、恐る恐るに地面を覗き込んでいる。
ちょどいいや。俺はゆっくりと立ち上がりながら、両者へ逃げろと伝えた。
狼少女は状況を理解出来ていないようで「おう?」と間抜けな返事をするが。試合を邪魔されたオークは、槍の矛先をこちらに向けて振りかぶるのだ。
「急に出てきて、わけわからない事言ってるんじゃねー!」
「ごめん、いまちょっと時間が無いんだよ」
突き出される刃を手で掴み、バキベキとへし折る。同時に心も折れたか。壊れた武器を眺めながら、オークは化け物と悲鳴を上げた。何を言っているんだ。ソイツは、これからやって来るんだよ。
「貴様のような糞頭は、八つ裂きにして竜の餌にしてくれるわ!」
「ツカサ。もしかしてお前、また何かやらかしたのか?」
建物から恩讐の混じった叫び声が聞こえ。殺意に染まったマルグリット卿が、俺の開けた穴を通って、ひたひたと歩いてくる。
その様子を見たリュカは、何をしたんだと呆れた顔で言ってきた。
まぁ少しばかり計算違いがあった事は認めようか。俺は「ちょっとね」と言葉を濁して、彼女に嵌められた奴隷の首輪へと手を伸ばす。これは、もう要らないな。
「正式にリュカを買い取ったよ。どうだった、父親と同じ、王者の見る光景は?」
「一緒じゃねーよ。あの人は獣闘士の頂点だぞ。……けど、そうだな。オレにはちょっと窮屈そうだ」
狼少女は、お役目に繋がれる狼男へ同情を向ける。以前の、父にこだわっていた頃では想像も出来ない言葉だった。
強いやつに会いに行くと、家出同然に飛び出したリュカであるが。世界の広さを知れたならば、良い旅になったのであろう。お前はもう自由だと、小さくも逞しい背を叩く。
「俺は決着を付けてから行くから、先に逃げてて。あっママも連れて行ってね」
「誰だよママって!?」
「神聖術で治してくれる、おっぱいの大きな女性居なかった? その人の子供が、エルマとマリーが待ってるって伝えておいて」
「ああ~イグレシアかな。てか、また子供なんて拾ったのかよ。そういう所だかんな!」
灰褐色の髪の少女は、文句をブリブリと言いながらも駆け出していく。
一緒に戦うと駄々を捏ねられたら困ってしまう所だったけど、随分と聞き分けが良くなったものだ。
あかんべーをする可愛らしい悪態に、俺はひらひらと手を振り。
「ツカサ・サガミー!」
闘技場に姿を現す菖蒲色の髪の女。元剣闘士の王者、マルグリット。彼女の実力は、僅かな接触だけで、嫌というほど伝わって来ていた。
階位はおそらく、猛活性。どれほどの死線を潜り抜けて来たのか、脳のリミッターを外して、英雄級と呼ばれる領域に踏み込んでいる。魔王軍の幹部に。それも力で成り上がったとくれば、相応の実力者というわけだ。
「……まじか」
だが、俺が驚くのはそこではない。
彼女は闘技場に上がるや、まるで理性を脱ぎ捨てるように、ビリビリと己の服を破り出したのである。
趣味の悪い、いかにも貴族然としたピンクのフリフリドレスの下はどうだ。
肉食獣のように一切の無駄なく鍛え抜かれた肉体。全身に刻まれる夥しい数の刃物傷。なによりも、裸体が纏う下着は金属製の物だった。
まさか実在したというのか。胸と股間の人体急所は確かに覆い隠すのだが、圧倒的に晒される肌の比率が多く、鎧とみればあまりに貧弱。もはやフィクションに出てくる浪漫アイテムでしかないと思っていたのだが。
「ビキニアーマーだー!!」




