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580 はじめまして



 リュカの試合を見届けた後、俺はすぐさまに闘技場の控室を目指した。

 勝利の記念に薔薇の花束でも渡してやりたい所だけど、生憎と今は手ぶら。そして次に何を持って来るかは、これから行う交渉次第になるのだろう。


 狼少女の現在の身分は剣隷である。

 マルグリット卿なる人物が、この町の流儀に従い、正当なる対価を払って、その身を購入していた。


 ならば、彼女を解放する為に必要なのは、買うのに掛かった費用だろうか。

 いやいや。幾らで売るかを決めるのは所有者であり、お貴族様の気分次第なわけで。俺はハウマッチとずばりにリュカちゃんのお値段を尋ねなければいけないのだ。


「ここから先は関係者以外、立ち入り禁止ですよー」


「……約束は無いけど、用ならあるぜ!」


「駄目です。お帰りください」


「そんな!?」


 だと言うのに、いざ敵陣に乗り込もうとしてみれば、普通に警備員に止められてしまう。

 俺は通路を塞ぐ男の前で、チワワのように瞳を潤わせるのだけど。彼に感情は無いのか、無表情で首を横に振った。


 どうしてもだめ? マリーちゃん5歳を見習い、親指を咥えてぶりっ子のポーズをしてみれば、もはや無視。軽蔑の混じった冷たい眼差しには本気で泣いてしまいそうだ。


「いいから、早よ行けボケ!」


「ごえっ!」


 想定外の事態にたじろいでいると、痺れを切らしたか。付近で見張っていた鬼娘が、警備員にソバットを食らわせる。高速の後ろ回し蹴りは、瞬時に意識を刈り取り、男はドサリと床に身を伏せた。


 ああ、なんて事を。これで解決と言わんばかりの鬼娘だが、いよいよ後に退けなくなってしまったぞ。


「あーしは、まだ正体をバレたくない。外で待機してるから、くれぐれも軍勢との関係には気づかれるなよ」


「一緒に来てくれないの!? いいのかよ、俺に任せるとロクな結果にならないぞ!」


「そこは最善を尽くせよ! お前の仲間なんだろうが!」


 キキは警備員をズルズルと引き摺って、自分だけ逃げて行ってしまう。

 おのれ魔族。その身勝手さには憤りを覚えるのだが。実力行使はジグでも、なんならイグニスでさえやりそうか。


 これで傷害事件が発覚すれば元の木阿弥。いや、警備は一層に強まるかも知れない。心細いけれど、機を生かすべく単身で闘技場の舞台裏へと乗り込んで。


「いやぁ、お疲れ様。頑張ってるね!」


「?」


 俺は建物の中で、如何にも関係者という態度を振舞った。

 すると通りすがる人達は、誰だコイツとばかり首を捻るも、にこやかに去ってく。ちょろいぜ。


 そう確信した最中、通路に「侵入者だ!」と叫び越えが響き。さては早くも、気絶した警備員が見つかっただろうか。一斉にこちらを向く視線に、口角が一層持ち上がるのだけど、相手はもう笑顔を見せてはくれない。


「「貴様、待てー!」」


「そう言われて待つ奴は居ないよね……」


 俺が動くと、どうして毎度鬼ごっことなるのだろう。

 廊下をドタバタと駆け巡れば、刻一刻と増えていく背後の列。お陰でリュカの居場所を調べている暇もありゃしない。


 こんな時にこそジグルベインの能力が欲しかったものだ。霊体ならば、壁も扉も通り抜けて探せたものを。


 無いものねだりをしても仕方がないので、もはや勘で選ぶ。飛び込んだ部屋は、少しばかり扉の装飾が豪華なものにした。これが、幸となるか不幸となるか。場所の確認などする前に、まずは踏ん張り、体でドアを塞ぎ。


「こら、開けろ! その部屋は……」


「だから、そう言われて開ける奴は居ないって!」


 扉越しでは体当たりでもしているのだろう。ノックと言うには激しい叩音と衝撃が背に伝わる。力負けはしないけれど、このままでは扉が壊されそうだ。そんな事を考えていれば、部屋の中から彼女の声は響いた。


「静かにしろ。私の客だ」


「はっ! 失礼しました、マルグリット様!」


 荒ぶる暴漢共が、短い言葉で簡単に静かになってしまう。

 さては猛獣使いかな。なんて比喩は当たらずといえども遠からず。こちらを愉快気に眺める青緑色の瞳の持ち主こそ、今の狼少女の飼い主なのだから。


「初めましてだな、ツカサ・サガミ」


「これはこれはマルグリット卿。お初お目にかかります」 


 オークションでは横からリュカを掻っ攫っていった癖に、女は嫌味ったらしい挨拶をしてきた。おまけに俺の素性を把握しているようなので、こちらも名前を呼んでけん制する。


 しかし、これだけ至近距離で顔を合わせるのは確かに初めてだ。

 菖蒲色の長い髪をふわりと巻いた姿からは、上流階級の気品さえ感じるけれど。その表情と相貌はどうか。狼少女でさえ真っ青の、餓えた獣のような鋭い視線。右目は義眼で、左頬には裂けた傷跡があった。


 何よりも目を惹くのは、彼女が履いているものだ。

 椅子から放り出された太く傷だらけの脚は、怪我を覆い隠すように薄布を纏っている。なんて酔狂ぶり。網タイツ、ならぬ編みタイツとは恐れ入るね。


 職人に一から編ませて作らせただろう特注品は、金額とは裏腹にとても脆そうで。数度の使用はおろか、脚を通す最中ですら破けてしまいそうだった。けれども彼女は、それを惜しみなく使い捨てが出来る立場という事か。


 素晴らしい。お土産に一つ欲しいな。いや、職人を増やし、全世界に流行させるべきだろう。思考が飛びかけたが、俺がマルグリット卿に抱く感想は一つ。いい美脚です。違う、まるで羊の皮を被った狼の如くだった。


「何の用かな、と尋ねるのは野暮か。リュカ・リオンを奪いに来たのだろう」


「違う、交渉に来たんだ。リュカとエルマのお母さんを解放して欲しい」


 例えば売られる前であれば力ずくでも奪い返したけれど、相手が対価を払っているならば話は別。


 そこで暴力に頼るならば、魔王軍となんら変わりが無いので、俺は代金を支払う姿勢を見せる。だと言うのに、どうだ。マルグリット卿は苦虫でも噛み潰したような顔をして、震えた声で呟く。


「……エルマ?」


 ああ。名前を伝えなければ、流石に誰を指すのか分かるまい。

 そう思い至るのだけど、俺はママの名前も知らない事に気づいてしまう。せめて特徴だけでも教えようと、路地から見かけた顔を必死に思い浮かべるのだが。


 脳裏に蘇るのは、おっぱいだった。顔の印象よりも、前に突き出た胸部装甲が強すぎて、曖昧な雰囲気しか覚えていない。


「彼女はその……おっぱいがとても……おっぱいで、おっぱいな……」


「貴様は人を胸でしか記憶出来ないのか!」


 そんなことは、ないよ。

 しかし怒られて当然なので、声はごにょごにょと言葉にならずに消え失せた。不愉快そうに眉をしかめる女は、けれど少ない情報だけで人物を割り出す。


「イグレシアの事か。駄目だ、彼女は貴重な神聖術の使い手。幾ら積まれても、手放す事は出来ないな。無論、剣闘で人気なリュカも同様だよ」


 マルグリット卿は、俺の要望をバサリと切り落とした。そして、こちらの反応を楽しむかのように嗜虐的な笑みを浮かべてみせる。


 やはり、そうなるか。彼女は魔王軍の幹部で、賭けの元締め。

 奴隷を買い漁り、気軽に使い潰す程度に金になど困っていないのである。となれば、残されたカードはただ一つ。竜殺しの実績を持って証明してみせた腕っぷしだけだ。


「……噂で聞いたけど、強い戦士を探してるんでしょ。昨日の騒ぎで竜を殺したのは俺だ。彼女たちを解放してくれれば、代わりに戦うよ。なんなら足に口づけをしてもいい」


「貴様の強さは知っているさ、勇者一行。だが、要らない。下級竜を倒した程度で頭に乗るな。真の竜の前には、剣など届きもしない!」


 国を滅ぼされたという噂は本当だったのか、女はヒステリックに義眼を掻き回し。右の瞼から薄っすらと血を滲ませながら言う。


 仲間を助けたければ、殺してでも奪ってでも、この部屋を満たすくらいの金を用意して見せろと。実質のお断り宣言だ。


「英雄なんて何処にも居ないんだよ……」


 それは誰に充てた言葉だろう。かつて自分が救われ無かったのだから、お前らも救われるな。吐き捨てられた台詞からは、そんな呪いじみたものを感じる。


 交渉は見事に決裂し、マルグリット卿は静かに腰の剣へと手を伸ばすが、けして自分から抜くことは無い。まるで、俺が最後に頼るのは暴力だと見透かされているようで。俺の悪意を待っているようにも見えた。


「分かったよ、降参だ。今日は大人しく帰るから、最後にお願いを聞いて欲しい」


「お願いだと?」


「リュカに会わせてよ」



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