579 情報整理
「よし、とりあえず情報を整理するぞー」
鬼娘は机に置かれた骨付き肉に齧りつくや、どこぞの魔女を思わせる崩した姿勢でそう言う。潜伏二日目の朝だ。情報を纏めるにはちょうど良いタイミングかも知れない。
俺は「おー」と気の抜けた返事をしながらお茶を口にして。これは何茶だろう。薄めた麦茶のような味わいだった。目の前の態度の悪い女のせいか、イグニスの淹れてくれる珈琲がふと恋しくなってしまう。
「にしても、そうか。朝だと誰もお客さん居ないんだね」
「うちの営業は夜からだからな」
夜勤明けのマスターは、タイを緩めてカウンター席で酒を煽っている。渋いカエルだぜ、お疲れ様です。
なので一階の酒場も、いまや俺たちの貸し切り。大声で活動を語ろうと誰も咎めはしない。昼に閉まっていても怪しまれないのだ。なぜこんな場所を拠点に選んだのか不思議であったけれど、確かにアジトにピッタリの物件だと思う。
子供たちも周りを気にせず食事が出来るので、モソモソと緩やかに朝食を摂りながら会話を進めた。
「現状は見ての通り、町は完全に魔王軍連合に乗っ取られている。だから奪還が今回の最終目標なわけだが」
その最大の障壁こそ、竜巣軍の幹部【地吹雪】という奴だそうだ。
もしや竜を倒した現場に居た、青銅男の事だろうか。フムフムと頷きながら、内心で焦る。やばい、そいつに顔を覚えられちゃったぞ。
キキはなんで分かったのか、「困り事か?」と。
どうしたん悩みあるなら聞くよと言わんばかりの態度のくせに、笑顔の裏で額には血管を浮かべている。俺は上擦った声で、必死に話題を逸らすことに苦心した。
「ヤバイのは一人だけなの? マルグリット卿とか、巨人族も居るよね?」
鬼族の目標が町の奪還であれば、俺が目指すのは仲間の奪還だ。リュカとエルマたちのママを取り戻さなければならない。
その上で、彼女たちを奴隷として買い上げたマルグリットと言う人物は無視出来ない対象なのである。
「【抱天】も幹部ではあるが、所詮は奴隷上がりだ。剣闘で金を稼いでるのも、貢いで立場を固めようって腹らしいぜ」
なぁと確認するようにカエルさんに話しを振るキキ。情報源は町に住む彼らのようで、両生類がダンディーな声で「ああ」と肯定した。
「忠義なのか下心か、噂じゃ【地吹雪】にべったりらしいね。そのせいで、成り上がり者と兵士からの評判は良くないよ」
「へぇ」
流石は酒場。情報は客から自然に集まってくるようだ。マスターはマルグリッド卿の身の上まで聞かせてくれる。
彼女が強いのも当然で、昔はとある北国で騎士団長を務めていたらしい。
その国は乗っ取られ、もはや竜巣の魔王の本拠地になっている。だからこそ、故郷の為に多額の貢ぎ金を収めているのではないかと。
なお、この話は何処までが本当なのか。噂だけどねと締めくくられた。
「まぁそんな感じ。忠義心の強さまでは知らねえけどよ、完全に竜側ってわけでも無いんだなこれが」
「だから俺のいざこざは余計って言ってたのか……」
マルグリット卿の腹積りまでは分からないが、故郷を人質に取られているのであれば、交渉次第で寝返る事もあるのだろう。
巨人に関しては、なんと内輪揉めで多くの幹部が倒れているそうだ。
吸収合併の間際らしい。腐っても彼らは【暗君】軍。王であるオポンチキだからこそ付き従っていた戦士も少なくなかったのである。
「人質といえば、鬼族も取られてるんだよね?」
戦力で言えば、キトが一人居ればオツリが来るが。それでも彼が動けないのは鬼族を含めた、軍勢の戦士が囚われているから。その解放もミッションの一つであり、俺はパンを頬張りながら状況を聞いた。
「……いや。そこに関しては、敵は大きな失敗をしたぜ」
兄貴を侮り過ぎている。妹鬼は、さも嬉しそうに牙を見せて笑う。人質はまさにキト封じの為の、裏切った三大天からの入れ知恵だろうと。
だが実態はどうだ。俺の推測では、この町の戦士たちは竜を進化させる為の餌として運ばれてしまっているわけで。
「この件は里へすぐに連絡をするよ。竜の巣の場所は、魔王の能力の範囲内だろう。兄貴が向かえば、どんな戦力差でも問題ない」
鬼娘は意外やブラコンなのか、キトへの大きな信頼が見えた。
まぁそっちを彼が解決してくれるのであれば有難い。竜の巣で騒ぎがあれば、戦力も分断出来るはず。むしろ良い陽動になってくれそうだ。
「その時が一番、町の警護が手薄になりそうだな」
「ああ。攻める機があるならそこだ。決戦を見据えるなら、少しでも戦力を削いでおくのも悪くは無いか……」
将を射んとすれば馬を射よ。即ち、マルグリット卿の篭絡。
たった一人で町の解放など無謀のように思えたけれど、どうして案外、筋道も見えてきたではないか。
口の中にあるパンをスープで胃に流し込み、器をタンと机に置く。行くかと気合を入れれば「おー!」と幼女が元気な声で腕を上げた。
「……マリーちゃん達はお留守番ね」
「えーやだやだ。マリーもいくー!」
初日に誘拐されただけに宥めるのが大変であった。
しかし、そこはお兄ちゃんの出番。エルマが苦笑いしながら、子守りを買って出てくれて。
少しは信用もされたか。昨日の不安そうな表情とは違い、晴れやかな顔で、行ってらっしゃいと背を見送くられる。
◆
そんなこんなで、闘技場に出向いた俺とキキ。
鬼娘は猛暑の中でも肌を隠すローブを着込むのだが。やはり蒸すのか、暑い暑いと呪詛のように呟いていた。
けれど、会場に近づけば体感温度は更に増すこととなる。
人が密集して生まれる熱気と、興奮に沸く魂の熱量が、歓声を通して浴びせられるようだ。
「盛り上がってんな。ちょうど勝負どころみたいだ」
「そうみたいだね。頑張れよリュカ」
舞台に上がっているのは、やはりというか灰褐色の髪の少女である。
堂々と切った啖呵が客に受けたようで、マルグリット卿の選手に関わらず随分とオッズが低い。
それだけ狼少女へと金と期待が集まっているらしい。
となれば、面白くないのが竜巣軍の兵士。奴を倒せと刺客を送り込んでくるのだろう。相手は昨日戦っていた人猿よりも、幾分と手強そうに見える。
「あっ、やべえじゃん。槍を吹き飛ばされたぞ!?」
気づけばキキも彼女の戦いに魅入っていた。リュカに圧倒的な強さは無いが、ギリギリの泥臭い戦いに、観衆は手に汗を握り。
票を集めたせいもあるのだろう。このまま負けてしまうのかと、嘆きと声援が会場に木霊した。
「……いや。アイツにはまだ牙がある」
こう言うのもなんだが、俺はリュカの槍が活躍している所など見た事が無いのだ。
奴の本領は、父親譲りの戦闘センスと、獣たちにより脈々と磨かれてきた必殺の牙。自由なる闘法の名はウテリアと言い。
少女は戦う人亀を足蹴にして、高くへと舞い上がる。さながら、そここそが己の居場所と訴えるように、体操選手のような華麗な宙返りを披露した。
「上手い! 組技も持っているのか」
人亀は亀らしく、ピンチとなるや甲羅に籠って、槍さえ弾き返したのだが。狼は、なんと背後からの奇襲で首を抑えてしまう。
肩車でもするように両脚で頭部を固定されれば、首を引っ込めようにも動かなく。
リュカは後ろに倒れ込んで、相手の重心を強引にズラした。こうなれば背負う甲羅が仇となり、亀はクルンとひっくり返り。
「出たー! 変形のスープレックスだー!」
これにはジグもニッコリだろう。頭部から床に落とされた相手は、その場で再起不能。闘技場には今日も、狼の勝鬨が吠え渡る。
嗚呼。ウテリアは強さだけでなく、観客を沸かせる派手さも兼ね備えたものだった。
地獄の蓋で、始まりの獣に捧げるべく練り上げられた、獣の美技は。いま魔大陸の空の下に喝采を生む。
「なぁ、ヴォルフガング。やっぱりリュカはアンタの娘だよ。楽しみにしてな。きっと想像以上に、自由で強くなってるぞ」
「……何か言ったか?」
「ただの独り言だよ」
狼少女は、まだちんけな場末のチャンピオンであるが。いずれ王者の牙城を揺るがす姿を、確かに幻視した。じゃあ、勝利のお祝いでも言いに行きますかね。




