574 売られた喧嘩
リュカの剣闘士としてのデビュー戦を見守っていれば、気付くとその存在は隣に居た。
蒸し暑い町だというのにフードを被り顔を隠す、如何にも怪しい人物だ。外見だけでは性別さえも判断出来ないのだけど、声を聴いてあらビックリ。
中身はなんと、里で別れたはずの鬼娘ではないか。
彼女はツンデレの才能があるようで、ビシッと俺に指を突き付けて甲高い声で言う。「別にお前なんか信じてないんだからね!」と。おかしい、デレが無いぞ。
まぁ信頼が無いのはお互い様。見張りたいなら、どうぞご勝手にと思うのだけど、疑問に感じるのはどうやって町へと侵入したかである。ザルのような入門検査でも、顔と種族くらいは確認していたはずだった。
「おいおい、この町には味方が居ると伝えただろう?」
「ああ、なるほど。裏道があるのね」
或いは馬車の荷物にでも紛れただろうか。俺がほほうと頷いていると、その様子を見たキキはまさかと肩を震わせる。気付いたようだ。そうだね、俺はまだ【軍勢】とは接触をしていないのである。
鬼族が手配してくれたものはお金の他にもう一つあって、それが隠れ家だった。
泊まる場所が決まっていないのであれば、着いて一番最初に部屋を確保していたとも。旅の常識だよね。この町に宿があれば、だが。
「やっぱり見に来て正解だったじゃないか。お前、こんな時間まで何していやがった。まさか呑気に観光なんてしていないだろうな!」
「してないよ……少ししか」
「してんじゃねーかよぉ!」
周りは次の剣闘の試合に盛り上がるも、大声で怒鳴れば流石に一目を集める。鬼娘は舌打ちをしながら、フードをより深く被った。
非難がましい視線を向けながら、行くぞと顎で指示をするキキ。
止める間もなく逃げるように歩き出すもので、俺はリュカの動向に後ろ髪を引かれる気持ちを覚えるも、慌ててその背を追う。
「それどころじゃなかったんだ。実は仲間が奴隷として買われちゃってさ」
「……ふぅん。だからこんな場所に。となると相手は【抱天】か。さっそく予定外の奴と因縁を作りやがって」
「どうにか交渉をしたいんだけど、直接会う方法はあるかな?」
「ここは奴の膝元だぞ。話題くらいは選べ」
「おっと」
マルグリット卿はこの剣闘を催して、賭けの元締めとして荒稼ぎしていると聞く。闘技場は彼女のテリトリーなのである。それでなくとも【竜巣】軍の兵士が多く巡回しているのだ。壁に耳あり障子に目ありで嫌になっちゃうね。
詳しい話は然るべき場所でしよう。鬼娘は早速に隠れ家へ向かおうとして。今度こそ俺は待ったをかける。どうせ今日から寝床になるのだ。先にエルマとマリーを迎えに行った方がいいだろう。
「……はぁ。事情は兄貴から聞いてる。カントゥリの人間なら、あーし等も無関係じゃないわな」
声には面倒と書いてあるのだけど、鬼族なりの任侠心か。自分たちの縄張り争いで被害にあったものを見捨てることは出来ないようで、キキは「しゃあねーな」と気だるげに肩を竦める。
じゃあ案内しろよと言われて先導を代わり。俺はこっちだと早足に路地を進んだ。
どれほど歩いたか。暫く大人しく付いてきていた鬼娘であるが、不満を隠そうともしない声で告げてきて。
「おい。この道を通るの二回目だろ。追ってを気にするのは分かるが、尾行はされてないから安心しろよ」
「……用心をするに越したことは無いからね!」
なんという好意的解釈。道に迷ったのだが言い出せず、態度に見せないようにキビキビと歩いていたらこれだ。おかしいな。俺はよく迷子にはなるが、別に方向音痴では無いはずだった。これでも地図を片手に大冒険を繰り広げてきた男なのである。
はて。ジグが居た時は、こんな事一度も無かったと考えて。……あー。実は魔王様にけっこう迷惑をかけていたのかもと反省をした。
「どうした? えっ、まさか迷子とは言わないよな。いくらお前でも、そこまで馬鹿じゃないよな?」
「HAHAHA。俺が帰り道も分からないような間抜けに見えるのかよ」
カモン、ベイビー。ジトリとした不信の目から逃れるべく、場を勢いで乗り切る。
こっちだよね。こっちであってくれ。少しばかりドキドキしながら大通りから外れた住宅街を勘で進み、やっと見つける古ぼけたアパート。
アレで間違いないはずなのだが、どうしたというのだろう。俺が発見出来たのは、家の前に野次馬が集って人垣を作っていたからだった。
「何かあったんですか?」
「……見ての通りだ」
痩せこけた人間のオジサンに声を掛けると、彼は嫌そうに目を背ける。それは、次は自分の番かもと明日を恐れていたのかも知れない。
玄関の前には複数の足跡。扉が蹴り倒され、部屋の中は丸見えで。
床に散乱する机に皿や、まだ飲みかけのコップ。そして、二人がままごとで遊んでいたお人形。
気づけば俺は、オジサンの襟元を掴んで声を荒げいた。
「住人はどうなった!?」
「ひぃ。お、俺に聞かねえでくれよぉ……」
「あっ……ごめんなさい」
結果として言えば、町長たちは隣室で手当てを受けていた。
体中に巻いたボロ切れには血が滲み、夫婦は揃って痛々しい姿。泣き崩れる白兎に、やるせなく耳を畳む黒兎。子供二人の姿が見えない事に、途轍もなく嫌な予感が胸に沸く。
「あの、エルマとマリーは?」
俺は虎の子の回復薬を差し出しながら、恐る恐る尋ねた。町長は瓶を受け取ってくれずに謝罪の言葉を口にするのだ。
「すまない。二人は攫われてしまった。抵抗したのだが、私が無力なばかりに、ちくしょう……ちくしょう……」
町長であった彼が奴隷に身を落としたのは、住人の安全を守る為である。そして子供を守る為に、勝てぬ相手にも果敢に挑んだ。
その何処に恥じる所があるものか。むしろ、そんな勇気や善意を踏みにじる暴力こそが忌むべきものだろう。
「俺の方こそ考えなしでした。ご迷惑をお掛けしてすみません」
話を聞けば、マリーたちが狙われた原因は金なのだ。
先のオークションで大金を持つことを周囲に知られたばかりに、こんな事になってしまうとは。
犯人は予想から外れず【竜巣】軍のゴロツキ兵。魔王の名を盾に、町でやりたい放題をしている連中らしい。
話を黙って聞いていた鬼娘が、「どうするんだ?」と答えの分かりきった事を聞いてくる。俺は拳を握りしめて、当然行くと即答した。
「ほ、本当に行くのか? 相手の要求は50万ゴルトだ。そんな大金を、見ず知らずの君が……」
「いいんですよ。どうせ貰い物なんで」
「オイ」
スポンサーは何か言いたそうに睨めつけてくるが、勿論素直に渡してやるつもりは無い。
ただ暴力を受けた人に、暴力でやり返すとも言えず、ヘラヘラと笑ってみせて。すまないと泣き崩れる黒兎が、俺の胸元に顔を埋めてきた。
「こんな事を言える立場ではないのは分かっている。それでも、どうかエルマを迎えに行ってあげて欲しい」
俺が不在の間、少年は帰りを待つように頻繁に玄関を見ていたそうだ。彼はしっかりとした印象があったので、そんな寂しがり屋だったのかと意外に思えば、ウサギさんは首を横に振る。
「あの子は、幼い時に親から捨てられていてな。私の畑で野菜を齧っている所を保護したのだ。彼は健気だったろう。自分が重荷になっていないか、また捨てられやしないかと、不安でしかたないのだよ」
「まさか人参の違いが判るまでに、そんな重いエピソードがあったとは」
そっか。じゃあ、早く迎えに行ってあげないとね。
笑いながら立ちあがるのだけど、上手く笑顔を作れた自信は無い。このトカゲ共め、俺の大事な物を片っ端から奪っていきやがってよ。
フェヌア教の流儀を知らねえなら教えてやるぜ。目には指を。歯には膝を。右頬を打たれたら倍の力で殴り返せだ。




