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567 覇気用意



 酒は飲めぬが、冷める前に料理くらいは頂こう。俺はキトの誘いに答えられぬまま、やや現実逃避気味に、出された食事へと手を伸ばす。


 床に座る文化のせいか、皿は足付きのお盆に乗っていた。

 鬼と言えば豪快な物を食べるイメージがあったものの、どうして山菜を中心とした精進料理の趣があるではないか。膳の中に米が無くて違和感を覚えるほどだ。


「魚は分かるけど、これは何の肉?」


「さっきぶっ殺した地竜でい」


「へぇトカゲはともかく、竜は初めて食うな」


「普通はどっちも食べないんじゃないかな……」 


 普段の料理とは雰囲気が違うせいか、子供たちの食は少し遅い。というかマリーちゃんはお肉以外も食べなさいね。


 その点、鬼の料理は意外や俺の口に合った。

 鳥もも肉のようにプリプリな竜のステーキを堪能し。添え物の漬物を頂くと、鮮やかなピンクに染まる根菜は、ほどよい酸味で舌の油を断ってくれる。


 汁物もまたいい。一見は白湯のように澄んだ透明ながら、口に含めば奥ゆかしい出汁の匂いが鼻を抜け。魚の煮物のホロホロと崩れる優しい食感に、よく染み込んだ塩味。


 うん、美味しい。料理全体の期待感が高まったところで、おやと目に留まる小鉢があった。


 さながらチョコミントを思わせる、ドギツイ水色の野菜が刺身のように四角く切られて並べられているのだ。この世界の食べ物は基本カラフルなだけに、俺は特に気にせず口へ運び。


「WA・SA・BIーー!!」


「兄ちゃん~!?」


「ハハ。なんでい、ホウスラは初めてか?」


 鼻の奥へ訪れる強い刺激に悶絶する。そう、これはワサビ。

 子供の頃、大好きな寿司に混じる天敵で、シャリとネタの間に隠れる卑怯ものだ。誰しも人生で一度は騙し討ちを食らったことがあるのではないか。


 そんな劇物とは露知らずフォークで3枚纏めて口に入れたものだから、さぁ大変。

 たまらず床を転げまわっていると、背後の(ふすま)がシャっと引かれた。戸板の奥から姿を見せる人物と目が合い、図らずも声が重なる。


「「げッ!」」


 鬼娘。ゴブリンハザードの折、俺をボコボコにしてくれた相手である。

 そう言えばこいつの妹だったね。改めてここが敵陣のど真ん中なのだと認識するのだが。


 彼女は虎柄の腰巻を身に着けるだけの恰好だった。それを真下から覗くものだから、白の褌と引き締まる赤い尻がバッチリと見えてしまう。


 やはりここが桃源郷なのでは。ほうと唸る間にも、顔には足裏が勢いよく迫り。頭を襲う衝撃は、バキリと床ごと踏み抜く。


「おい、兄貴。なんだってこの人間が家に居るんだよ!」


「キキ。俺は客人と話している最中だぜ?」


 赤鬼が鋭い視線で不作法を諫めれば、あの強気な鬼娘がうっとたじろいだ。

 どうか、このまま有耶無耶にならないだろうか。鼻血を垂らす俺を、幼女がよしよしと慰めてくれる。


「まぁコイツの返答がどうであろうと、俺は俺のケジメをつけるだけだがな」


「もしかして奴らとの戦争に、この人間を誘ったわけ!? コイツはあーしがボコしたやつじゃんよー!?」


 納得行かないと叫ぶ妹鬼は、こちらにビシリと指を向けて勝負をしろと言う。

 俺の答えは無論ノー。へへと薄ら笑い、事なきを得ようとするのだが、キトは面白がってヤレヤレと囃し立てやがる。いやん、ばかーん。



 はてさて、どうして毎度こうなるのやら。 


 食後の運動だと庭先に連れ出されれば、鬼の少女は殺気を込めた目でこちらを睨みながらストレッチをしている。片足を高く天まで持ち上げて、ドシンと地を叩くその動作には見覚えがあった。


 勝負の方法はドスクゥなる競技らしく。聞けば、足裏以外が地面に付いたら負けというシンプルな力比べだ。場外は無いけど、要するに相撲だろう。


 これも相模という名の宿命か。俺は異世界でスモウを取らされようとしていた。ならば正装をしなければ不作法と言うもの。潔く服を脱ぎ捨てて、パンツ一丁の姿になる。


「なんで脱ぐんだよ、馬鹿人間!」


「だって、俺の国じゃこうするだもん」


「ドスクゥにそんな作法はねえ!」


「あれっ。兄ちゃんってもしかして頭悪い?」


 そんなぁ。俺を応援するはずの少年までが訝しむ目で見てきた。

 煮え切らぬも、仕方なくズボンだけ履けば、行司を務めるキトが勝手に勝負を進行してしまう。


「てやんでい。喋ってねえで、さっさとやるぞ。ほれ、覇気っ用意~」


 奇しくも掛け声まで似ているもので、俺は心の中で「残った」と付け足して前に出る。

 同時、キキという名の鬼の少女も、鈍色の髪を揺らして地を踏みしめていた。


 相撲というイメージのせいだろう。このまま、がつりと組み合い、力の勝負をするのだとばかり思っていれば、パンっと太ももを叩く鋭い音。


 蹴り。それも魔力を纏う強烈な一撃が、鞭のようにしなり脚を襲う。

 確かにルールで禁止はされていなかったね。速度が乗っていただけに崩れる体勢。足のスタンスを広げて、なんとか転ばぬようにバランスを取り。


「おっとぉ、危ねえ!」


「そんなもんで兄貴の角を斬ったってのは、本当かよ!?」 


 鬼娘は小柄な体格を生かした高速の立ち回りを披露する。

 小兵と侮るなかれ。そこに鬼種の身体能力と魔力が加算されれば、並みの騎士であればたちまちに撲殺しかねぬ威力も秘めていて。


 矢継ぎ早に行われる連撃。腹に顎に、怒涛のように刺さる拳を味わいながら、俺はなるほどと思った。


 この競技のルールはただ一つ、倒れない事。

 勇者一行がどんなに攻撃を浴びせても、けして屈すことの無かった、天のような男の源流を垣間見た気分である。


 だからこそ。


「ごめん。君の相手は、俺じゃあ役不足だ」


「ああっ!?」


 かつては嬲り殺しにされた打撃であるが、剛活性の魔力防御があれば致命傷にはなりえない。両の拳を掴み取り、相撲らしく手四つの姿勢に持ち込めば。


「おまっ、嘘だ。この短期間で、どうやってそんなに強く!」


「色んな事が、あったんでね」


 鬼娘は必死になって腕力で対抗しようとしたが、もはや力に差がありすぎた。上から抑えつける圧に、脚が耐え兼ねガクリと地へ膝を付く。


 これで終わりだろうと兄鬼を見れば、言わんこっちゃねえとばかりに大仰に肩を竦めて、一本の声を上げる。


「こんな負け方納得出来るか。あーしはまだ戦えるぞ、おいもう一本勝負だ!」


「まぁ待てや、キキ。奴さん何か言いたそうだ」


「話が早くて助かるよ。どうせなら、お前ともやりたいと思ってさキト」


 共に竜を落とそう。先ほど、そう誘われた時。何が正しいとか考える前に、心をある感情が支配した。


 恐怖だ。俺はジグの戦いを。世界の頂点とも言えるレベルを目撃している。

 だからこそ魔王に挑むと考えて。アレと戦うのかと心底に恐ろしかった。だって、ずっと俺を守ってくれていた保護者はもう居ないのだから。


「でも。駄目なんだよ、そんなんじゃあ」


 どんな相手でも、カカカと笑い飛ばせるようになりたい。だからどうしたと、恐れ知らずに行きたい。芽生えてしまった弱虫を克服するのに、この男はちょうど良かった。


 震える脚を隠すように、ドシンと四股を踏んでキトを挑発する。

 赤鬼はギョロリと目を剥き、面白れぇと上着を脱ぎ捨て。晒される鋼の肉体。醸し出されるその圧は、悪夢にまで見る、想像通りの最強だ。


「竜には挑めねぇが、俺には挑めるってか。舐められたもんだねえ」


「まだ魔大陸の情勢を知らないもんでね。だから俺には、どっちも魔王軍だ。なのに肩入れしろって言われても困るのさ。せめて漢気を見せてくれよ」


「ナハハ。正義だ悪だと娑婆臭せぇ事は言わねえぜ。だからソイツは、目ん玉おっぴろげて、テメェ自身で確かめな!」


 妹鬼は困惑し、行司としての役目を果たせなかった。

 されど元来相撲に勝負開始の合図は無い。両者目が合い、呼吸が合うならば。立ち合いは成立し、共に弾かれたように地を蹴りつける。


 どうやら気まで合うらしい。

 初手は拳でも、まして蹴りなどでもなく。前のめりの姿勢のまま、一番先端にある頭部を武器に俺たちは頭突き合うのだ。


「「うぉおおらぁああ!!」」



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