562 息を潜めて貴女を想う
おい。お前さん、起きろ。
「……うっ、ここは……どこだ。俺は、誰だ?」
気絶をしていたのだろう。俺は体が揺すられて、ぼんやりと意識を取り戻した。霞む視界へ映る輪郭に、ついいつもの調子で冗談を返す。
カカカ。一度は言ってみたい台詞よな、記憶喪失設定。
だがバシャンと顔に浴びせられる冷たい液体。
目を白黒させていれば、海水の滴る前髪から覗く相手は、白銀髪の魔王などでは無かった。
どうやら本当に寝ぼけていたらしい。まさか彼女の声を幻聴するとはね。
そこにあったのはヴァニタス。黒い杭のような細身の凶器。ジグルベインの愛剣が地面に刺さり、俺が波に攫われるのを守ってくれていたようだ。
「……ありがとう。また、助けられちゃったね」
黒剣に語り掛けるも、当然のように返事は無い。
呟きが独り言で終わってしまい、否応なしに現実を叩きつけられた気分になった。ねぇ、何か言ってよ。いつも見たいに、カカカって笑ってよ。
この世界に来てから、片時も離れる事はなかった人。
生き方を教えてくれて、時に励まし、時に叱ってくれた俺の保護者。そんな大切な家族が、もう居ないなんて。
初めて味わう本当の孤独は、胸にポッカリと穴が開いたようだった。冷たくて、苦しくて。目元を拭っても拭っても、蛇口が壊れたかのように涙が溢れ出てきてしまう。
「泣くな、泣くな、泣くな~!」
体は悲しみに飲まれて震えるけれど、それを望むジグではない。せめて心だけは前を向き、カカカと笑い飛ばさなければ。なにせ次は、俺が助ける番なのだから。
勇気を貰うように、残してくれた黒剣をぐっと握りこむ。
幸運にも彼女の最後に立ち会えた。ジグルベインは、混沌世界の暴発を防いでくれて。余波で吹き飛ばされる俺へ向かい、仕方のない奴だと言わんばかりの呆れ顔で、大手を振りながら消えていっている。
「だから、お前は知らないよな……」
実は波に飲まれる直前、崩れた世界の一欠けらが目の前に降ってきたのだ。
当然食った。取り込んだ量はほんの僅かな癖に、喉に刺さった小骨のように存在感を主張する荒れ狂う力。その芯に、俺は確かにジグの魂を感じた。
もしも、あの混沌世界を自在に扱えるようになれれば、彼女の塵となった魂も復元が出来るはず。そんな無根拠な確信があり。
ははっと自嘲してしまう。これは誰にも、イグニスにだって言えない秘密だ。
なにせ法則の塗り替えが可能になるのであれば、それは魔王と呼ばれる、世界の敵になるという事なのだから。
「それでも構うもんか。僅かにでも可能性があるのなら諦めない。俺は息を潜めて、貴女を想い続ける」
少し待ってろ。お前が死にながらも責務を果たしたように。俺もノーブレスオブルージュを全うするからさ。
◆
なんて格好をつけて見ても、目の前に立ち塞がるのは、いつだって辛い現実。
魔王が大暴れした跡は、馬鹿げた事に海となっていて。俺は何処かの見知らぬ山に打ち上げられていた。
びしょりと濡れた全身に、極限まで奪われた体温。風など吹こうものならば、あまりの冷たさに悲鳴が漏れちゃうね。まるで感度が3000倍になったかのようだ。そこ、らめー!
「まずいぞ。これは遭難だ。みんなと逸れたどころか、手荷物まで何もない」
困った事に、今の俺には暖を取る方法も無いのである。
思えば、魔道具のおかげで火と水には困った事がなくて。これだけ旅をしていても、俺のサバイバルスキルは案外低い。
急募。素手で火を付ける方法。
木を擦り合わせて摩擦熱を利用するやり方くらいは思いつくのだけど、山の中にはまだ雪が残っていた。湿った枝でも火は付くのだろうか。
「はぁはぁ……せめてイグニスが一緒ならなぁ……」
結論を言えば、頑張ってみたけど駄目でした。
誰か助けて。愛しい勇者一行の顔が思い浮かび、孤独が一層に際立って。「君は全てを失い、人生のどん底に落ちる」かつて占い師に言われた言葉が頭を過る。
これかぁ。俺は泣きべそをかきながら、逆に今持つ物を確かめる事にした。上着やズボンのポケットをひっくり返して、所持品を地面に並べていく。
ハンカチ、買い物のお釣りの小銀貨3枚、割れた香水の瓶、捨てられていたカノンさんの穴空き靴下、イグニスに持たされている回復薬、ヴァンと買い食いした時のゴミ。使えねぇ……。
「いや、待てよ」
走り込みボロボロの靴下を眺めながら思う。筋肉教徒がいつだか言っていたな。「フェヌア教にはこんな言葉があるわ、全力疾走すれば冬もまた暑し」と。寒いなら素直に上着を着ろと思ったものだが、ハレルヤ。
「やはり宗教には含蓄があるね!」
今の俺に足りないのは、そう行動だ。
このまま日が暮れて動けなくなれば、いよいよお終い。残りの体力を全て使ってでも、何処か安全に寝られそうな場所を探すべきだった。
誰かちょっと火を貸してくれ。出来れば温かいスープも一緒に。あと着替えと毛布。俺はとりあえず人影を求めて走りだし。
「えぇ……」
やっと体が少し温まってきた時。木々の隙間から見える空に、煙のようなものが見えた。助かったと感じ、その方向へ必死へ向かう。だが、そこで見たのは炎に包まれる一つの町であった。
火が欲しいとは言ったけど、こんなには要らないかな。
大規模な火災に呆気を取られるが、次に考えるのは「何故」だ。逃げる人も居なければ、消火をしている気配も無い。
まるで、もう町が終わっているように感じ。体から、血液が沸騰するかのような激しい熱を覚える。
「アイツら、やりやがったな……!」
嫌な想像が浮かび、急いで山を下った。しばらくして現場に着くが。やはりそこに人の営みは残っていない。
町壁は崩れ、門はこじ開けられていた。住人は何処に行ったのやら、町中は悲鳴も聞こえず、燃え上がる炎がただ崩壊の音色を演奏している。
「おっ、こんな所に生き残り発見~。なんだよ、なんだよ。奴隷用の馬車はもう行っちゃったぞ~」
煤だらけの廃墟が並ぶ通りを進んでいれば、曲がり角からぬっと姿を現す大きな人影。
金槌を担ぐ単眼の巨人を見て、悪い予感が当たったと唇を噛む。ノーキンを襲撃した魔王たちであるが、思えば奴らは魔王軍だ。背後に部隊が控えているのは当然だった。
「おい、オポンチキは死んだぞ。なんなら、ノーキンに向かった兵も大波で壊滅だ」
「おいおい。こんな海の無い場所で何が波だよ。恐怖で狂ったか?」
暗君軍の兵士は俺の忠告を笑い飛ばすと「運ぶのも面倒だから死ね」。そう言って大槌を勢いよく振り下ろす。
風切る大面積の鉄塊。人間どころか家さえも潰しかねぬ質量攻撃。一人でこれだ、こんな巨人の軍団が攻めてきたのならば、そりゃ小さな町など簡単に落ちてしまうのだろう。
だが、次に聞こえてくるのは「えっ?」と間抜けな声だった。
まさか小柄な俺に、攻撃を受け止められるとは考えもしなかったらしい。
「これを、一般人に向けたのか!?」
「なんだこの人間。なんでこんなのが、まだ残って!?」
頭上の金槌を退かし、鳩尾を力任せに蹴りつける。
剛活性に闘気を重ねた出力は巨人の身を軽々と浮かし、まだ燃える建物へと体を放り込む。
衝撃でガラガラと崩れる木製の壁に天井。落ちる屋根に潰された男は、痛みか熱さか、体格通りの大きな悲鳴を町へ響かせて。
「なんだ、今の音に悲鳴は!?」
「誰か間抜けな奴が転んだじゃねーのか」
「いや、違う。……敵か!」
軍だけあり、ぞろぞろと湧いて出てくる巨人の兵士たち。数はざっと20人程度の小隊といったところか。
こちらもやっと体が暖まってきた所だ。黒剣を引き抜いて、肩へと担ぐ。
オポンチキと似た外見を恨め。種族に八つ当たりをしようとまでは思わないけれど、今はちょっと手加減出来ねえぞ。
「カカカのカだぜ。来いよ、暴力を見せてやる!」




