559 繋ぐ希望
「待って」
「えっツカサくん……?」
武器の壊れた巨人へ迫ろうとする少女を、俺は肩を引いて止めた。
触れるや指先にはビリリと痺れが襲う。絶界を無理して使っているのか、フィーネちゃんは既に息を切らせて、かなりの消耗をしていた。
服は汗で湿っているし、傷を負ったのか少し左腕も震えている。その痛々しい姿には、こちらの胸が苦しくなる。
「フィーネちゃん。俺たちが隙を作るから一旦下がっててよ」
「ああ、最後にはどうしてもお前が必要だ。それまで力溜めてろや」
出来れば抱きしめて、もう戦わなくていいと言ってあげたい。しかし、俺にはまだその力は無く。時代も勇者を必要としていた。
だから、君が世界を守るなら、俺たちは君を守るよ。ヴァンと共にオポンチキの前に並び立ち、中指を立てて言ってやる。
「「掛かって来いや、このデカブツがー!!」」
「ボハハハ! 今日は当たりの日だな。こんなにも威勢の良い奴が多いとは。うむ、久しぶりに楽しくなってきた」
先端の砕けた棍をポイと投げ捨て、単眼の巨人は溢れる殺気を叩き付けてきた。巨大な体躯からだけでも十分に圧は強いのに、眼力強く凄まれれば、流石に心が挫けそうだ。
けれど気持ちで負けるかよ。獣が威嚇するように、精一杯に牙を剥けば。背後に感じる人の熱。半裸の集団が、傷つく体を起こし、まだ戦れるとばかりに気持ちを支えてくれた。一緒に死んでやると、大勢が剣を構えて吠えたてる。
「この命で良ければ、捨て駒にでも何でも使ってくだされぇ」
「いやぁ、黒の旅鳥と共に戦えるとは光栄ですな」
「我々も道は譲れんのですよ、例え魔王だろうと!」
ああ、そういえばノーキンでは俺が人気だと聞いた覚えがあったな。
この気性ならば納得だ。ありがとう、一緒に行こう。僭越ながらに勇者の如く黒剣を掲げ。魔王を倒せと決死の特攻を仕掛けた。
「「「うらぁああああああ!!!」」」
右も左も男の雄たけびに包まれる。ラーメル防衛戦を思い出す、懐かしい一体感であった。戦士たちは血で染まる雪原を踏み鳴らし、散りゆく屍を超えながら、我先にと敵の首を目指すと。
まるで地雷でも踏んだように、突如に地面が爆ぜたのだ。
一体なにがあった。土砂程度は剛活性で無理矢理に突破するが、晴れた景色の先に、そのバカみたいな光景を見てしまう。
大地が、割れていた。なんの比喩も無く、足元には亀裂が走り。せり上がる土の断層までが確認出来る。それを成すのは一つの拳。単眼の巨人は、瓦割りならぬ岩盤割りを成し遂げていたのである。
「うーむ。人間はちっこくて、素手ではどうにも戦い難いぞ……」
「なっなっ……」
なんて規格外。カノンさんに武器を壊されたオポンチキだが、その戦力には微塵の陰りもないらしい。いや、むしろ……。
棍棒を捨てた相手は、さながらに大きな野猿の如く暴れ回った。
前傾姿勢から繰り出すリーチ、機敏な動きに蹴り技まで加わり。体術のレベルも半端じゃないぞコイツ。
俺が生き残れたのは、一重に運と献身。ノーキン軍が率先して肉盾となり。巨人が動く毎に男たちは、水風船が破裂するように肉塊へと変わっていく。
「イグニスじゃねえが、早い内に勝負を決めねえとやべえ。これだけ数が居ても、あっという間に全滅すんぞ!」
「それをどうするのかって話だろ!」
暖かな返り血を浴びながらも、俺たちは歯を食いしばって、暴風雨の化身へと挑む。
実のところ、奴はまだ血の一滴すらも流していないのだ。
千を超える兵が居て、魔法は使えぬまでも、弓や投擲武器がバンバンと飛び交う中。大きな瞳はギョロリと戦場を見渡し、その全ての攻撃に対応をしていた。
間近で見れば分かる、巨人の巧みな体捌き。野太い脚が、さながら小鳥のように軽く地を蹴る。軍を相手に面の攻撃で制圧しつつ、包囲されないように上手く立ちまわっていやがる。
まるで全ての刃が致命とばかりに全力で避け。まるで全ての命を敬うように本気で潰しにくる。オポンチキは一兵卒とて誰一人侮ることなく、渾身の力を持って塵殺しようとしていた。
「そうだ、戦士たちよ本気で来い。吾もその気持ちに応えよう。その為の暗黒武闘。我は王として貴様らの命に敬意を払うぞ!」
(お前さん、そこはいかん!)
そしてとうとう、俺たちの番か。周囲の攻撃を踊るように軽やかに避けた巨人が、ふと目の前に迫る。恐らくは右ストレート。単純な攻撃のはずなのに、もはや視認も困難な死の一撃。
突風でも迫るような風圧と殺気を浴びながら、体はヴァンを守ろうと咄嗟に動いてた。
闘気の使えない俺より、猛活性を扱えるあいつの方が勝算が高いからだ。だと言うのに、考える事は同じらしい。
「バーカ。妙なことを考えるのは、お前の得意技だろ。任せたぜ」
「……!!」
背を蹴られて地に倒れこむと、若竹髪の少年がトラックに轢かれたかのように、グシャグシャになって吹き飛んでいく姿が見えた。託される、とはこんなにも重いのか。ならばフィーネちゃんは、どんな重圧の中で剣を振るっているのだろう。
妙技と言っても、光式も闇式も使えない今の俺では、得意の目眩ましだってろくに出来なくて。どうする、どうする。地を這いながら必死に知恵を回して、この化け物に一矢報いる方法を考えていると、頭上から降り注ぐ、身の丈ほどの大足。
「……あっぶねえ。男に踏まれる趣味はねえぞ」
(まるで女ならいいような口ぶり)
体を捻り躱すと、奇跡が起きていた。周囲には死体が沢山ある。だからこそか、オポンチキは倒れる俺を跨ぐも、気にせずに戦い続けているのだ。
そんな俺の視界に映るのは、腰巻き鎧の下の、褌を巻いた引き締まるケツ。脳裏に、つい先日味わった耐え難い苦痛が蘇った。
そうだよ。男ならば、当然そこも弱点だよな。
もはや思考よりも早く体が動いていた。この千載一遇を逃すなと、両脚で地を蹴りつけて全身を弾に変える。
「俺の頭とお前のキンタマ、どっちが硬いだろうな!?」
(えー……)
「ぬゥんおぉおおおーーーー!?」
へぇ、単眼の巨人はこっちも一つなのか。知りたくもない無駄知識がまた増えちゃったね。砕けぬまでも、頭部に感じる渾身の手応え。
オポンチキは股座を手で抑え込み、激痛のもたらす叫びがビリビリと空気を振るわす。ついでにノーキン軍からも共感の嘆きが聞こえてきた。
「ツカサ、でかした。でかしたぞ!」
「……なぁ、アレってそんなに痛いのか?」
「さぁ。私には付いてないからなんとも」
しかし、そこは男の痛みを知らぬ女の子達か。足を内股に震える魔王に追撃すべく迫る、僧侶とリュカの背に乗る魔女が見えた。
武闘派のカノンさんはともかく、今のイグニスに何が出来るのやら。そんな俺の思考を否定するように、掲げた彼女の右手は真っ赤に染まり、蓄えた熱が空気を燃やして湯気を立てる。
「なんで魔法を使えるんだよ!?」
「簡単な話さ。身体強化も絶界も使えるんだ。ならば、体内でなら魔法も使えるってことだろう!」
青髪ポニテのお姉さんが披露するのは回し蹴り。
くの字曲がる脚を、更に勢いつけて押し込む、ようするに膝カックンなのだけど。見事に巨人の膝を地に付かせて姿勢を崩した。倒れまいと粘る魔王に、側面から魔法使いの意地が炸裂する。
爆陣拳。それも魔力収斂により極大の魔力を内包した一撃は、衝撃で砦を揺るがす程の大爆発を巻き起こした。
それは勇者に継がずとも仕留めたのではと感じる威力だった。
なにせオポンチキは黒焦げになり地へ伏せている。身に纏う簡素な鎧は砕け散り、浅からぬ腹部の抉れ。魔王からダウンを取るなんて、まさに歴史的快挙だろう。
「ボハハハ。まさか吾の法の隙を付くとはな。だが良し。オポンチキは貴様の覚悟に免じて許してやろう。名乗るがよい魔法使い」
「はっ、そりゃどうも。だが、お前が刻む名は、私のものではないぞ」
名乗れと、ゆっくりと起き上がる巨人に睨まれる赤髪の少女。その腕は、手首から先が消失をしている。花火のように噴き出る鮮血。イグニスは顔を歪めて苦痛に耐えていた。
そうか、最初からコレを。ノーキン軍といい、凄まじいまでの腹の括りようである。
いや、或いはそこまでしければ。命というバトンを賢明に繋ぎ、奇跡を渡し続けなければ勝てない相手だったのかも知れない。
「むぅ?」
「ありがとう、みんな。本当に、ありがとう」
ノーキン軍は、ただ潰される為だけに怒涛の攻めを行っていたのではない。物理的にも、心理的にも、彼女の存在を魔王から消すために動き続けていた。そして巨人ならではの俯瞰の視線は、地に倒れた瞬間に利を失い。
人垣の隙間から、飛び出すのは一人の少女。
金の髪をなびかせ、堂々と最後のバトンを受けるリレーのアンカー。
「オポちゃん、気を付けて。ソイツは……ソイツは勇者やー!」
「覚えて逝け、オポンチキ。これが人の強さ、これが人の輝きだ。ラグナ――ロッーク!!」
聖剣が輝き。解放された魔力は、魔王の支配領域さえ押し退けて反逆を披露した。
迸る閃光が空さえも両断しうる斬撃と化して魔王に振り落とされ。
馬鹿な。この場の全員がオポンチキの行動に驚愕をさせられる。
巨人は地を足にめり込ませ、今にも圧し潰されそうになりながらも、あのラグナロクに耐えているのだ。
「そ、そんな。チャージが足りなかったのか!?」
(……いや、それもあるが。魔法封じが消えた。奴は領域を維持する力を全て注ぎ込み、反抗しとるんじゃ)
押し切ろうと自身の魔力も乗せて、全力で力を籠める勇者だったが魔力切れ。聖剣の刀身は輝きを失い、無垢なる宝石へと戻ってしまった。碧の瞳が信じられない物を見たように、目の前の怪物を眺める。
これが、魔王なのだ。両腕を焼き、全身をズタボロにしながらも、マキナと同等の威力を正面から受けきりやがった。
「ボハハハ! 危ない危ない、なんという力だ。よもや吾の全力を出さされるとは感服をしたぞ!」
さぁ、続きをやろう! オポンチキは立ち上がり、今度こそ縛りなく本気の魔力を滾らせる。大地さえ軋むような、息苦しい重圧。
もう駄目だ。怖い、逃げ出したい。きっと誰もがそう思ったのではないか。
でも、逃げられるなら最初から逃げていたさ。俺は、勇者一行は、ノーキンは。希望が潰えようとも、最後まで立ち上がり。
「うむ。まぁ、魔王相手によくやった方であろう。安心せいよ、魔法封じを消した時点でお前さん達の勝ちじゃ」
儂が居るでな。カカカと響く声に、目を疑った。
霊体では無い。白銀の髪をさらさらと風に揺らす、金眼の女性が立っていたのだ。
嘘だ、なんで。困惑する俺の頭に、ジグルベインはポンと手を置き。鈴のような声でカラカラと笑う。
「おお、やっとお前さんの頭を撫でられたな。あの赤子が大きくなりよってからに」
「違うだろ! 何やってるんだよ、お前!」
その手は、さながらに魂を燃やしてるかのように暖かく。刻一刻と灰になり崩壊をしていた。




