552 閑話 ラルキルド領経営日記6
早朝。振動が大地を揺らし、町中へ轟音が響き渡った。
なんて最低な目覚ましだ。音の方向は……北かな。私は寝間着のままに部屋を駆け出して、廊下にある窓の戸板をこじ開ける。
「シャルラ様、これは!?」
「トルシェか。すまん、まだ状況は分からん……」
同じく音で飛び起きたのだろう。侍女が扉の隙間から不安げな瞳でこちらを見ていた。
窓の向こうに広がる森では、狼煙のように土埃が立ち込めている。
どうやら音と振動の正体は、木々が連なり倒れているらしい。今も目の前で、ズズンと森の一部が欠けていく。火の気配は無いので、一安心ではあるのだが。
「魔獣という感じでもないな。仕方ない、私が出よう。準備を頼む」
「はい。只今!」
着替えだけを急いで済ませ、上着を羽織って家を出る。玄関の前には、すでに人が集まり始めていて、混乱に顔を見合わせていた。
男衆は農具を担いで、すっかり戦闘態勢。生憎だがお前らはまだは待機だよ。不安な表情をする子供の頭にそっと手を乗せて、心配するなとニコリとほほ笑む。
人馬の背に跨り、いざと駆け出し。しかし森の入り口へと到着をすれば、木々の隙間から、ぬっと原因と思われる人影が姿を現すではないか。
「むっ、シャルラじゃないか。そんなに急いでどうした?」
「……シエル様こそ、こんな早朝から森で何を?」
「ああ。狩りだよ、狩り。久しぶりに愛弓を手にしたら、どうにも狩猟民族の血が騒いでなぁ!」
第一容疑者は屈託の無い笑顔で獲物を見せつけてくる。猪に鹿に鳥と、成果は上々のようだ。どう思うと、人馬に目線を向ければ、関りたくないのか「いやぁ」と曖昧な返事で誤魔化された。
「ほ、ほほう。シエル様は弓も得意だったのですな」
「当然だろう。昔はこれでも混沌軍きっての腕前と呼ばれたもんさ」
鼻を高くして胸を張られてしまった。しかし弓で、ああなるものか?
先程の地鳴りを思い出して訝しんでいれば、私が興味を持ったと勘違いしたのだろう。黒髪の女性は自慢げに背の得物を渡してきた。
なんだコレは。私の身長ほどはありそうな大きさに加え、その形状はとても弓とは思えぬ直線だ。試しに弦へと指を伸ばしてみるが、あまりに強い張力に半分も引く事は叶わない。
「シャルラにもまだ早かったか。銘はメテオール。身は世界樹、弦に地竜の腱を使っている文句なしの名弓だぞ」
「私にも?」
見かねたシエル様が弓を奪い、こう使うのだと手本を見せてくれた。
あれだけの重さを苦も無く引き切る化け物。得意というだけあり、その姿勢はとても美しいのだが。
指が放された瞬間に、空気がパンと弾け飛んだ。射られた矢は魔法で生成した魔鉱石製。
遠くにある木へと見事的中すれば、そのまま2つ3つと貫通し。倒木が重々しい音を立てて地面を揺らす。
「この通り、魔法の刻まれた魔弓でもある。上手く当たれば大型魔獣でも一撃さ」
もはや狩りの道具ではなく兵器じみた威力である。人馬がひぇえと震え上がる隣で、私は事の次第を全て理解し、やけくそ気味に叫んだ。
「はい、犯人確保! 解散解散~!」
◆
「母が迷惑をかけたようで、申し訳ありませんでした」
「あ……いや。ハイ」
肝心の犯人がどこ吹く風で厨房に立つ中、客間には代わりに深々と頭を下げる人物の姿があった。本人にも何としても反省してもらいたい所だけど、ここで謝罪を受けいれなければ彼の面子も立たぬまい。
懐かしい、戦の匂いのする人物であった。戦場を知る鋭き眼光に、身へと刻む傷跡。隻腕にして隻眼の、如何にも古強者といった佇まいである。
奇遇にも先日、道端で声を掛けた翁だったが。なんとシエル様のご子息というではないか。背筋が伸びる気持ちになりつつ、ははぁと感心の声が出てしまう。
「あのシエル様も、人の親だったのですね」
シシア殿の話では、今日の昼食に誘われていたようなのだ。
つまり狩りを楽しんでいたというのは半分建前。久しぶりに再会した息子へ、手料理を振舞おうとしたらしい。
確かにシエル様はあれでも面倒見の良い人ではある。ウムウムと頷いていると、翁は照れ臭そうに鼻の頭を擦りながら言った。
「しかし、ディルスさんにこんな可愛い娘さんが居たとは。引き籠ってねえで、もっと早くに挨拶へ来るんだったぜ」
「ああ。シシア殿は、父の事もご存じなのですね。出来れば思い出話などを聞かせて欲しいものです」
「願ってもねえ。ちょうど誰かと、昔話をしたい気分だったんだ」
老人の話に付き合ってくれと、お茶を啜りながら語られる、在りし日の父の栄光。
魔大陸での暮らしぶりなどは、あまり耳にした事が無かったので前のめりに聞き入ってしまう。
シシア殿も懐かしむように語ってくれたのが、ふとした折りに目が合うと。彼は目を伏せ、大事な時に力になれず、すまないと頭まで下げられしまった。何処か後悔の見える口ぶりには、父の姿が重なり胸が締め付けられる思いになる。
同時期には隣国で激動の最中に居たようだ。その身を見れば、いかに辛い戦いであったかは伺えた。むしろ自治領を率いてきた先輩として、尊敬の念すら抱くほどだ。
「なんの。シシア殿が謝罪をする事はありませぬ。父も墓参りに来てもらい、喜んでいることでしょう」
「そうだったら、いいんだけどねぇ……」
昔話もそこそこに、私はこの老エルフ本人に興味が湧いてくる。
元魔王軍というだけあり、ラルキルド領と大森林の成り立ちはとても似ているのである。しかし上手く人間とも交流をしていると言われ、その違いが気になった。
こちらの事情を説明した上で、ずばりに訊ねてみると。翁は顎を擦りながら、そりゃあと口を開いて。
「少しばかり、急ぎすぎなんじゃねえのかい。いくら友好的に近づいてもよ、信頼関係を築くには時間が必要なもんだよ」
「急ぎすぎ、ですか」
「うちらも、最初は木材を提供するだけの仕事の関係だったさ」
シシア殿は、需要と供給って奴だねえと自分たちの領の成り行きを聞かせてくれる。
隣国のシュバールという土地では、造船業が盛んのようだ。エルフは大森林に居るだけあり、まずはその豊富な資材を出荷することから始めたのだと。
しかし、そこはエルフが作った森。丹精込めて育てた樹木は、真っすぐで、堅く。それでいて、しなやかなのだと、胸を張って自慢をされる。
「まぁ、他に代えは効かねえわな。だから取引は続き、次第に品も増え。気付けば商業特区まで出来ちまったい」
それはエルフが国に馴染んだ証拠なのだろうと。特別なものから、あって当然の、国の一員として迎えられた。良き隣人。まさに私の望む人間との距離感に、むぅと唸る。
心当たりがあったのだ。町には、道が開通した当初ほど人は訪れなくなったけれど。良い宿だと言ってくれた人は、あの事件以降も続けて利用をしてくれているらしい。
「なるほど。急な改革に住民の負担も多い。今は焦らず、地盤を固めるべきでしたか」
「条件が違うから、絶対にとは言わないが。結果が出るには長い目も必要だとは思うね」
「はい。どのみち、冬が明けるまでは大きく動けないと思っておりました。この機に、我らも反省をし、より質を高めなければ」
「おっと、いけえね。そういえばセレシエ、土産を渡してやってくれ」
大森林の話題で思い出したか、桃髪の従者へと視線を向けられ。「はい」と元気の良い返事と共に、机に置かれる包み。解かれると背後で「えっ」と驚きの声が聞こえた。
従者のトルシェはエルツォーネ家で務める、若くも敏腕な女性だ。何事だと視線を向けると小さな声で耳打ちがされる。
「あの蜂蜜、一瓶で金貨6枚は致します。その他も高値ですし、如何にも古そうな葡萄酒など私には価値が計りかねますね……」
「アバババ」
なんとも凄い贈り物を頂いてしまったらしい。貴族との交流の中で、贈り物の文化にも多少は慣れてきたが、何を返せばいいのか蒼褪めてしまう。シシア殿はそんな私を見るとカッカと呑気に喉を鳴らした。
「気にしねえでくれ。人間の間では付加価値を付けられているが、どれも大森林の中だと普通に扱っているものだ」
「……そうですね。蜂蜜などは確かに採れる量に限りはありますが、驚くほど高いという程のものでもありません」
付加価値か。これは我らに真似出来るのだろうか。
ともあれ、成功例を目の当たりにすれば俄然やる気も出てくるというもの。智爵にお願いした魔道具が完成すれば、マヨちゃんの生産量も一気に増えることであろう。
ルーランがいつも足りない足りないって嘆いているからね。そんな皮算用をしていれば、
思考を遮るようにドンと机に料理が置かれる。
「待たせたな。さぁ、たんと食え!」
「……ああ、ありがとう」
シエル様が並べる皿の量に目をパチクリさせる隻眼の男性。だが、私はおやと内心で疑問に思う。汁物に、野菜に、虫にと豪勢ではあるのだけど、思ったよりもお肉が少ないのだった。朝に狩った獣は何処に行ったのだろう。
「シエル様?」と不審の視線を向けると、黒髪の女性は苦い顔をして緑の瞳をそっと逸らしてくる。
「料理人には、すまなかったと伝えておいてくれ」
「……もしや、失敗をしたのですか?」
「本当にすまなかった!」
「だから何をしたのですか!?」
何も言わずに逃げ出す魔王軍幹部。
シシア殿たちはマヨちゃん初体験か。虫の揚げ物にかかる白いソースに、これは合うと感激する中で、台所から料理人の悲鳴が響き渡った。よく分からんけど、ごめんよ。




