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547 月の無い夜



「んあ?」


 椅子の引かれる小さな音にビクンと背筋が伸びた。不意に覚醒した意識では全くに現状を掴めず、数秒の間、ここはどこだと真剣に周りを見渡してしまう。


 明かりも落とされ、暖炉の火だけが室内をうす暗く照らす。静かな空間ながら、そこは人の気配に満ちていて。豪快なイビキに紛れて複数の可愛らしい寝息が合唱をしている。


 うん。自分の部屋どころか、ベッドの上ですら無ねえ。俺はソファーに寄りかかり、気持ちばかりに毛布を膝に置いていた。


 プチパーティーは、そのまま飲み会に発展し、気づけば寝落ちをしていたらしい。何故かヴァンと肩を組んでいるもので、起こさないようにそっと離れて毛布を肩まで掛けてやった。


 居間は惨憺(さんたん)たる有様だ。

 食って飲んで騒ぎ、その形跡が丸ごと残っている。勇者一行どころか狼少女と聖騎士までが酔いつぶれ、服毒でも図ったかのように机へと伏しているではないか。朝になったら大変そうだね。


「なんでこんな事に?」


(なんでもなにも、お前さんとイグニスが発端じゃろう)


「……ああ、思い出してきたわ」


 そうだ。俺たちは今日、日本に帰るつもりでいたから、部屋を綺麗さっぱり片付けてしまっていた。夜に荷物を解くのも面倒なので、もう居間で寝ようと話していれば、察した皆も自分の部屋に戻ろうとしなかったのだ。


 終わらぬ飲み会の果てが、この有様か。妙な優しさにクスリと笑いが漏れる。

 だけど勇者一行がシェンロウ国に滞在しているのは、俺に付き添って日食を待っていたから。フィーネちゃんは良い休暇と言ってくれたけど、長らく足止めをさせた挙句がコレで本当に申し訳がないと思った。


「おや、起こしてしまったかね?」


「行くんですね」


 俺は声を潜めて、唯一の生還者に喋りかける。

 静かに頷くのカラスの悪魔。彼はモアと一緒に旅立つべく、闇に紛れられる夜を待っていた。


 まるで夜逃げだ。出国くらいは堂々として欲しいものだが、ウィッキーさんは余計な騒ぎにしたくないと言う。それもしょうがないか。枢機卿まで上り詰めた人格者であれ、今の外見は異形の鳥頭。知らぬ者には他の魔族と変わりが無かった。


 それにしても、黙って行くとは水臭い。せめて俺だけでも見送ろうと、共に廊下を進み、玄関の扉を開く。


「なんか、ウィッキーさんにはお世話になりっぱなしでしたね。本当にありがとうございました」


 シェンロウ国に誘導してくれて。転移の準備や、住まいの用意までして貰ったものだ。

 鎧さんと共に居るのであれば、また会うことになるだろうと、俺は手を伸ばして握手を求めた。

 

 反応は無い。もしや握手の文化が無かったかと反省をするのだが。悪魔は俯き、泣き出しそうな声で言う。


「……よしてくれ。私が無知なばかりに、あんな物を呼び出し、君は故郷に帰ることすら出来なかった」


「いいんですよ。俺にはまだ、チャンスがありますから」


「次は必ず成功させるよ」 


 悪魔は握手を超えて、抱擁をしてきた。同時、感じ入るものがある。

 魔大陸に行き、世界の真実を調べるという彼。そこには正義感や、ダングス教の知的好奇心もあるのだろう。けれど決断を後押しした要因は、それだけではない。


 俺のためか。

 胸が苦しくなるような、優しさがそこにあった。


 フィーネちゃんの言葉を借りるのであれば、他の生き方を知らないのだ。

 セージさんの葬儀が終わり、これからはウィッキーとして生きると宣言した彼は。それでも誰かを救う道を選んでしまう。貴方、やっぱり悪魔に向いてないよ。


 去り行く背を、お元気でと見送った。

 夜の闇が、彼の黒い身体を歓迎するように包み隠していく。しかし、居場所を示すように揺れる、ダングス教の白いマント。迷わぬ自信を表すように、男は力強い足取りで神の膝元、シェンロウ聖国より離れていく。


「そういえば。今までは見送られるばかりで、あまり人を見送った事は無かったな」


(お前さんは存在自体が迷子だからの)


 失礼な言い回しだけど、あながち間違っていないのが困りもの。

 今でこそ仲間も出来て、勇者一行という立場を得たが。俺の本質はこの世界に迷い込んだ日から、ずっと迷子なのだろう。


 当てのない遠い旅だった。答えはあるのかと彷徨い続ける日々だった。

 俺は玄関の前でポテンと腰を下ろし、月の無い暗黒の夜空を見上げる。


「なら、ここら辺で一区切りつけなきゃなのかな」


(……好きにせいて。お前さんには日本へ帰って欲しいが。行く道は想像以上に熾烈じゃからなぁ)


 何時でもカカカと笑い飛ばすジグルベインであるが、その声は本当に珍しく真面目なものであった。だからこそ、溜め込んだ感情を吐き出したくなったのだろうか。


 俺は膝を抱え込み、体育座りをしながら、愛しの魔王へ、実はねと告げる。


「帰れなかったのは残念だけど。ちょっとホッしている自分もいるんだよ」


 冒険は家に帰るまでが冒険だ。帰らないといけないと思っていた。

 今度は両親と向き合う覚悟だってある。それは何も言わず消えた俺を、ただ優しく迎え入れてくれる偶像の親ではない。


 でもリュカのように頑張って主張をしたい。その為に、ヴァンと戦い自信をつけた。立派に稼いだのだと、宝石だって持ち帰るつもりでいた。


「でも、でも……。イグニスたちと、もう会えないと考えた時、どれが正解か分からなくなった」


(……うむ。家族と同じくらい、大切な人が出来たのじゃな)


 一種の妄信をしていたのか。この世界に寄る辺の無い俺は、自宅こそが唯一の帰る場所であり。人付き合いの無い引き籠りは、両親だけが縋れる人脈だった。


 だから帰宅を至上の使命のように考えていたけれど。

 嗚呼、イグニスは一体どんな覚悟で俺を送り出そうとしていたのか。生涯の別れを惜しむように施された口づけの熱を思い出し、外との気温差に、体も心も震えてしまう。


「家族に会いたいよ。嘘じゃない。けれどアサギリさんが俺の無事を伝えてくれるなら。行方不明の息子をいたずらに探して、無駄な心労を追わないでくれるなら……」


 もう一番じゃなくても。優先順位を少しだけ落としても、いいんじゃないか。そういう意味での一区切りだ。


 フィーネちゃんは勇者の力を失っても活動を続ける。目的地には、いよいよ魔大陸も見えてきた。ならば、これ以上我儘を言って、別行動をする訳にもいくまい。俺のことを想い、本気で行動をしてくれる人達の為にも、もうとっち付かずの宙ぶらりんでは行けないのである。


「日本へ帰れた前例があるだけで十分だ。俺はこれから、勇者一行として皆の冒険に付いて行こうと思ってる」


(さよか。まぁ勇者一行として活動をするのであれば、いずれは【深淵】と争う時も来るのだろう。あながち間違った選択でも無いのかもな)


「急がば回れ、か」


 俺は最後の最後まで、親不孝者なのかも知れない。結局は言い訳を並べ立てて、自分が楽な方を選んだだけだからだ。


 アサギリさんは、もう彼女の両親に会えただろうか。ちゃんと俺に家に向かってくれるだろうか。俺の無事を知り、けれど帰らぬと知って、父さんと母さんは、どんな反応をするだろうか。


 頭上には満天の星空。手が届かないほど遠く遠くで輝く星々に、日本でのささやかな思い出が想起していく。


 本当に、大したものではないのだ。金曜日の夜に家族で一緒に映画を見たとか、話のネタにもならないような些細な事なのに。あまりに眩しすぎて、つい目を逸らして地面に俯いた。


「……風邪ひくぞ?」


 座り込む俺に、ウィッキーを見送ったのかと、扉の隙間から顔を覗かせる魔女。

 心配そうな瞳が、耳心地の良い優しい声が、いつものように立ち上がる力をくれる。俺はウンと答えて、仲間たちの居る場所へと戻っていく。


「目が覚めたら、君まで居なくて焦ったよ」


「はは、それはごめん。ちょっと、夜風に当たりたい気持ちだったんだよ。……ただいま」




ちょっぴりビターですが、これにてシェンロウ編完結です。

いつも通り、少し閑話を挟んでから次章に行きます

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