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542 さよならバイバイ



 片翼を失った怪鳥は、もはや空を羽ばたけず。木の葉が舞うようにヒラリヒラリと地上へと落ちていく。


 だが、墜落の最中だと言うのに、別れを惜しむように最後まで手を振り続けている赤髪の少女が見えて。嗚呼、本当にありがとう。そして、さようなら。


 君と出会えた事が幸運だった。異世界で最初に出来た友達との、愛おしい冒険の日々が脳裏を巡り。イグニスの命懸けの献身に、こちらも心の中で手を振り続ける。


 そして長い跳躍のすえ、足は軽快な音と共に機神を踏みつけた。

 おかげで再びこの場所に戻ってこれたよ。次元門は、もう目と鼻の先。残る障害もただ一つ。俺は泣き叫ぶように魔王の名を呼ぶ。


(ジグ、行ってくれ!)


「応さ。10秒で終わらせる」


(えっ誰。サガミンが女の子になっちゃった!?)


 ギャル幽霊の困惑を無視し、ジグルベインは振り返ることもなく駆け出した。走りながらゾルゾルと漆黒の凶器を引き抜き。挑むは、門番である受肉せしマキナ。


 魔王の最後の敵が、勇者の力とは皮肉なものである。

 床に付くほどに長い金髪の少女は、侵入者の存在を勘付き、ギョロリと碧の瞳を向けてきた。攻撃手段は当然のようにデウスエクスマキナ(勇者の切り札)。腕が極彩色の魔力を宿し、手を砲塔のように構え。


「はん。なんて芸の無い。こちとらソレには慣れとるっちゅうんじゃ」


 ジグは最初から全力である。彼女の活動時間は魔力の残量という縛りがあるものの、ことこの場に至っては温存をする必要が無い。使うのは赤鬼以来か。背に展開する黒翼に、一秒でも早く戦闘を終わらせるという気概が伝わった。


「!?」


 ブンと黒剣を投擲。顔面に迫る凶器を、相手は背を仰け反らせて回避する。

 魔王が欲しかったのは、まさにその一瞬の隙。闘気に黒翼のエネルギーが合わされば、もはや地面の方が縮まったとすら思える超加速を果たし。


 なんて事だ。魔力砲が放たれる前に、ガシリと相手の手首を掴まえてしまう。

 そしてワルツでも踊るかの如く、そっと敵の肩を引くと。砲塔である手の向きはクルリと反転して、背後の次元門を向き。瞬間にドンと視界を埋め尽くすほどの極光の輝きが迸る。


「カカカ、こうするのだ!」


(鬼かよ、いや魔王か)


 同士討ち(フレンドリーファイア)とは恐ろしい事を考えるものだ。

 俺の行く手を阻み、魔女を撃墜せしめた強大な力は、敵が守るべき機神へと向かった。聖遺物を取り込むことで創造を始めていた頭部であるが、この一撃にて完全に吹き飛び消失をしてしまう。


 悪いね。アップデートはキャンセルだぜ。

 相変わらずの外道ながらも、どこか胸のすく思いを味わっていると、耳元には擦れた声が聞こえる。声帯が出来たばかりだからか、フィーネちゃんに似ていつつ、ノイズまみれのラジオの様な音であった。


「ア……ィ……リス……?」


「……すまんが、人。いや、天使違いよ」


 虚を突かれた気分である。動くのだから相手にも当然意思はあるのだろうが、だとしたらコイツの中身は一体誰だ。俺はてっきり、アイリス本人が自分の身体を求めているのだとばかり思っていたけれど。


 しかし、そんな事で止まる魔王では無い。敵の細い手首を捻り上げながら持ち上げ、空く腕で再びにヴァニタスへと手を伸ばす。


 首を刎ねて終わり。そう思った矢先に、ブチンと鈍い音がした。なんと捻った衝撃で、肩から先を千切ってしまったようだ。それにより相手との距離が開き、刃は珍しく空を振る。


(力入れすぎー!?)


「まぁ、それはあるのだろうが……」


 ジグルベインの掴む腕は、炭化が進み、既に内側から崩壊が始まっていたのだ。

 思えばフィーネちゃんがマキナ放つ時、彼女はその出力に身を焼き焦がして悶えていた。ならば奴も肉体を得た時点で、連打に相応の負荷が掛かっていたのだろう。


 しかし痛みは感じないのか。ただ機械的に力を振るう姿勢が、むしろ恐ろしく思え。

 やはり相手は、腕がもげようと怯む事もなかった。間も置かず繰り出される上段蹴りで、的確に頭部を潰しにくる。


 剣で受けるジグだが、その攻撃のなんて重いこと。止まらぬ衝撃に数メートルはズラさせれてしまった。


「ちい。身体能力はあの勇者以上か。10秒は言い過ぎたかもしれんな」


「アイリス、アイリス、応答ください。こちら人類永続機構・ネバーエンディングストーリー」


(人類永続機構?)


 どういう事だ。終わりなき物語とは、プロジェクト名ではなかったのか。

 俺が疑問に固まる間も、魔王の体は敵と激しく刃を切り結ぶ。時間にしてほんの数秒にどれだけの攻防が織り込まれただろう。

 

 しかし、初手でマキナを封じ込めたのが大きかった。戦局は獲物によるリーチの差により、終始ジグルベインが有利に進め。


 もう片付ける。魔王は連撃の合間に、クイと指先を下へ向ける。

 黒翼から照射される闇の魔力が重圧となり降り注ぎ。ベゴン、と。機神の外装ごと勇者モドキを叩き潰した。


 崩壊寸前だった彼女の身体には、全身に大きな罅が走っていく。それでも起き上がろうとする姿勢は。ちくしょう。俺には目の前の金髪の少女が、傷つきながらも立ち上がるフィーネちゃんと重なって見えてしまったのだった。


(ちょっと、サガミン。ダメダメ、剣でなにするつもり。その子、血が出てるじゃん!?)


(構わない。やってくれジグ)


「言われんでも、儂に躊躇いなど無いわ」


 ジグが黒剣を構えると、最後にギギと彼女の首が持ち上がり、こちらを見た。碧の瞳が、懇願するように。何か訴えるように喉を振るわせて。


「応答ください。こちら、こちらは、アスタート……」


(キャー!!) 


 黒剣はぐしゃりと少女の額を貫く。魔王と感覚を共有している俺は、その現実から目を背けることすら許されなかった。光を失う目に、崩壊する体から霧散していく虹色の魔力。


 物語では魔王など勇者のやられ役であるが、今日はジグルベインに軍配が上がる。

 君はまた、地上の何処かで生まれ変わるのだろうか。ならば次は、どうか敵対しない事を願いたいものだ。


(生命の創造なんて、本当にふざけた力だな。無責任に死を増やしやがってよ)


「こんな急造の作り物などどうでもよい。それより今は、ゴールテープを切らせてもらうぞ!」


 顔見知りと同じ外見を殺害しておいて、ジグにはなんの感傷もないらしい。そのドライさが頼もしくもあり、少し寂しく思えた。


 けれど俺を日本へ帰すという気持ちにだけは嘘はないのだろう。門番の居なくなった次元門の前で、彼女は祈るようにスマホを掲げる。


「……お、おお。おお、やったぞお前さん!」


 カカカと鈴のような声が上機嫌に空へと響く。地下では転移に失敗したが、イグニスの読み通りに、次元門は媒体さえあれば俺たちでも利用可能なようだ。つまり、賭けに勝った。


 機神は空間をぶち抜き、異次元から腕を伸ばしているわけであるが。その異次元空間の中に、小さく光が漏れる。大きさは丁度、姿見鏡くらい。人の全身がなんとか映り込む程度の裂け目が開いて。


(あれは、ウチの体?)


(そうだよ。やったね、アサギリさん。なんとか間に合ったんだ!)


「カカカ。お前さんの声はミサキチには聞こえんて」


 そうだ。そこに見えたのは、ギャル幽霊ことアサギリさんの肉体だった。

 場所は病院だろうか。白いベッドに横たわり人工呼吸器をつけた痛々しい姿ではあるものの、そこが日本というのは疑いようも無い。


 魔王が勝利を確信し、ヒャホイと奇声を上げて飛び込んでいく。のだが。

 気付けば俺は、そんな彼女の背中を眺めている。待ってくれ、置いてかないで。流れる白銀の後ろ髪を掴むように手を伸ばすが、そこには見えない壁があるようだ。


「なんだ。なんなんだよ、コレ。畜生、ここまで来てふざけんな!!」


(ってお前さん!? 何故じゃ、交代が解けとる!?)


 3メートルという移動距離の限界が来て、ようやくジグも異常に気付いたらしい。

 しかし本人は次元門を通れているせいか。門の向こうから、早く来いと焦り顔で手を煽っていた。


「通れないんだ。なんで、なんで……」


(ま、まさか。天使が肉体の凌駕を目指したのは、この為か。次元の移動は、肉体があっては出来ないのか!?)


 次元門の中は、硬質な壁というより、流動性のある個体のような感触。空間の連続性どころか、時間という概念さえ捻れている。試しに力任せに腕を突き入れれば、僅かに沈み込むも、手が植物のように枯れ果てた。


 思えば、まともに転移をしたのは、霊体であるジグとアサギリさんだけ。

 そして転移を試みようとしていた浮遊島では、岩の兵士が量産され。異次元の主は生物でありながら機械に変貌していて。


「俺には――まだ資格が無かった?」


(……そうか、未来のイグニスはそういう。オンドリャー、少し見直したと思えば大事なことはいつも黙っておって!)


 流石に、心が挫けそうになった。けれど、へこたれる時間は無い。イグニスがそうしてくれたように、俺も動かければ。


 まだ救える命があり。それが悪魔との約束だもね。

 人間は通れなくても。スマホならば、アサギリさんだけならば帰る事が出来るだろう。これでも投げるのは結構得意だ。俺は目に涙を蓄えながら、手に握り締める小さな板を、思い切り振りかぶる。


「アサギリさん。元気でね」


(え。嘘、サガミン一緒に帰れないの。あんなに頑張ったのに、なんで)


 そんなのこっちが聞きたいわ。とは思うものの、口には出さず。強がりの笑みを浮かべて、サヨナラと放り投げた。


 スマホは水にもでも落ちたかのように、ドプンと門の表面に波紋を浮かべて沈み込む。

 けれど中の空間は抵抗が強いのか。俺の力でもたった10メートル程度の距離も飛んではくれなかった。


「ああ、違う。交代の反動で、全身の骨が折れてら」 


(ちょっとサガミン、サガミン!)


 ゼリーにでも埋まったかのように、異次元に滞空していて。いよいよタイムリミットが訪れたようだ。月が太陽の軌道から外れるのと連動するように、次元を繋ぐ奇跡の門が閉じていく。


 間に合え。咄嗟に空気を押し出すように突き出した手は、まるで金髪に変身する有名漫画の主人公のよう。ハハッ、そういえば魔銃が撃てるなら、今はあの必殺技も真似出来るのか。


「日本へ帰ったら、俺の両親によろしく伝えておいて。俺は異世界で、元気にやってるって」


(――うん、うん。絶対に伝えるから、ちゃんとサガミンも帰って来てね!)


 波と力めば、光の波動が走り。次元門が閉じきるほんの直前。茶髪の少女が眠る枕元の脇に、ボテンとスマホが転げ落ちるのを、確かに見る。


 これで、これで良かったんだ。

 イグニスやフィーネちゃんたちと離れず、両親には俺の無事が伝わる。考えようによっては、最善の結果じゃないか。

 

「うっ、うう……ジグ。俺、これでも結構頑張ったんだよぉ」


(……ああ。知っちょるよ。儂はずっと、見てきたでな)


 そして誰も居なくった遥か天空。いまならば晴れ渡る青空が、嘆きも悲しみも全てを受け入れてくれるように見えて。俺は魔王に抱きしめられながら、人知れず涙を溢した。



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