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539 倒すべき敵



「ゲホッゲホッ……」


 フィーネちゃんは話の途中にむせ返り、口元を抑えて激しく咳き込んだ。

 特段珍しくもない、日常に混じりうる動作。俺たちは大きな心配もなく、急にどうしたのだろう程度に視線を向ける。だが。


 金髪の少女の咥内から溢れ出るのは大量の液体。手では抑えきれぬ赤い色が、顎を伝って地面を濡らしていた。彼女自身が原因を理解していないらしい。濡れた唇を指で拭い、これは血なのかと訝しげに眉を寄せていて。

 

 けれど、違う。違うんだよフィーネちゃん。


「お、お前、その胸は……」


 普段はデリカシーの無いヴァンであるが、自覚を促すように恐る恐ると声をかける。

 勇者の体からは、鎧さえ貫いて半透明の腕が生えていたのだ。その様子は奇しくも、上空の次元門より腕を伸ばす機神と重なって見えてしまう。


「えっ、なんでこんなのが私から……うっぐぉ、ぁぁあああ!!」


「フィーネ! ちょっとイグニス、なんなのよコレー!」


「分からん。分からんが、とりあえず血を止めろ!」


(ギャー。グロイ、グロイ~!)


 僧侶が駆けつけ、慌てて神聖術を施すけれど傷は塞がってくれない。なにせ、現在進行形で怪我も広がっているからだ。フィーネちゃんから生える腕は聖遺物を掴むや、そのまま彼女から飛び出すように、メリメリと内側から肉を割く。


 まるで蛹の羽化でも見ているようだと思った。

 けれど実態はそんな綺麗ごとではなく、あれは力づくで臓器を抜き取られるようなものだろう。耐え切れぬ苦痛を表すように、少女の獣じみた絶叫が鼓膜を揺らす。


 時間にすれば、10秒にも満たない出来事だった。勇者の中から姿を見せたのは、まるで人の形をしたシャボン玉。透明でいて、艶のある膜が七色に煌めく輪郭を作っている。


 ただし全身を夥しい血液で濡らしていた。そんなものが胸から飛び出した少女は、当然に大怪我である。胸骨が卵の殻のように開き、内包していた臓腑の脈動までが目で分かってしまう。


「って……おい、アイツどこに行った?」


「マジだ。居ねえぞ!?」


(……上じゃ)


 仲間の、それも親しい少女の苦悶の表情に、ほんの少しだけ意識が逸れてしまった。悲惨な姿ながらも呼吸は確認出来て、安堵と憂いの落差に情緒が狂いそうになる。


 その僅かな間で、正体不明は姿を消してしまう。ヴァンやリュカが、何処に行ったと周囲を警戒する中。俺は魔王の言葉に従い、首を持ち上げるのだが。


 気づけば、頭上には機神の手が来ていたようだ。謎の人型は指の先端に立ち、戦利品でも見せびらかすように仰々しく金属ドクロを掲げていた。


「ええい。時間が無いってのに、なんなんだよ」


 頭をぐしゃぐしゃと掻きむしりながら、視線は天と地を往復する。聖遺物を奪われた以上、敵も気掛かりだけど。俺には浅い呼吸を繰り返す、危篤の勇者も無視出来ない。


 カノンさんとイグニスが懸命な治療で勇者の命を繋ぐ中、白藍髪の少女は震える声で「アレはなんなの」と言葉を絞りだす。その疑問はもっともだと思った。人体から化け物が生まれるなんて、もはやホラー映画の出来事である。


「恐らくは敵で、人類が倒さなければならない者さ」


 答えるのはカラスの悪魔。さしもに動揺が隠せないようで、いまにも天に祈らんばかりの、苦渋に満ちた表情で言う。


「デウスエクスマキナの力は、大魔王が表舞台から消えた時に、代わるように歴史へ現れたもの。特異点を破壊し、魔王すら倒しうる力を、人々は勇者と呼んで喝采した。人類の希望だった。平和の象徴だったはずじゃないか!」


 そうだ。そして俺は、大いなる力を宿し、責任を果たそうとするフィーネちゃんの姿を知るからこそ、勇者一行として支えたいと思い。


 なのに、なんだコレは。頭に過るのは、最悪のシナリオ。

 天啓という、過去に魔力を送る技術を知っている。悪魔という、人に寄生し育つ生物を知っている。そして、大魔王がデウスエクスマキナの力を扱う事実が、浮かび上がらせる現実は。


「勇者こそ……勇者こそ、大魔王が別次元から送り込みし刺客。破滅の因子……!」


 ウィッキーさんの出した結論に、雪女は今にも泣きそうな顔を見せた。心中察する。

 だってフィーネちゃんは、人の期待に応えるために。勇者という使命を全うするためだけに、ずっと頑張ってきたのに。そんなの、あんまりではないか。


 勇者一行の全員が顔を伏せる。若竹髪の少年が、なおも希望に縋るように魔女を見るのだけど。彼女は口をつぐみ、無言のままに悪魔の意見を肯定した。


「おい、カノン。フィーネの容態はどうなんだ。上が、やべえかも知れねえ」


(であるな。流石にこれは儂でも……)


 通夜のような雰囲気の中で、魔王を除けば唯一に上を向き、敵を睨むことが出来たのはリュカである。野生の本能で相手の脅威を嗅ぎ取るか。狼少女は頭頂の三角の耳をペタンと寝かせて危険を告げる。


「テメェは必ず、俺がぶち壊してやるぞ、このオンボロめっ!」


 この世界に来てからというもの、ピンチや戦いの連続ではあったが。ここまで個人に殺意や憎しみを持ったのは初めてだ。


 見れば機神は、掌をこちらに向けて、中央にある瞳を虹色に輝かせている。

 今度は町へ向けて、再びにマキナを放つつもりなのだろう。聖遺物を回収した以上、後は地上がどうなっても構わないというわけだ。それは同時、もう勇者すら用済みと言っているように思えた。


「そっちで何とかならないの!? 外傷はなんとか塞がりそうだけど、胸から子供産んだ人間なんて見たことないから中身がどうなってるか」


「……ありがとうカノン、大丈夫だよ。それに、マキナの力の事は、薄々感づいていたんだよね……」



 まだ寝ていろと静止をする僧侶を振り切り、金髪の少女は身を起こす。肺にでも溜まっていたかベチャリと血を吐き出すも、呼吸が楽になったと、碧の瞳は気丈に機神を睨みつけていた。


「私たちはツカサくんを故郷に帰すんだ。いつまでも出しゃばるな、もうお前の出る幕じゃないんだよ!」


「フィーネちゃん……」


 こんな時でも、彼女は人の心配をしてくるらしい。その強さと優しさに、やはり君こそが勇者なのだと涙が滲む。


 青髪ポニテのお姉さんが、脚を震わせるフィーネちゃんに、仕方の無い奴だと肩を貸した。勇者は聖剣を構え、マキナを迎撃しようとするのだが、待ったをかけるのが魔女。


「胸元が開けて居るぞ、これで隠しなさい」


「おい、それツカサのズボンじゃねえのか?」


「……あ!?」 


 イグニスはたまたま持っていた布を無責任に渡したらしい。リュカに突っ込まれて、手に握る物の正体を把握したようだ。みんなの遠慮の無い視線が、俺の股間に刺さる。そうだね、丸出しだね。


 俺はズボンを手に入れる代わりに、上着を貸し出した。動いて後だし、汗が匂うだろうか。金髪の少女はスハスハと鼻穴を広げながら、いざと勇者の力を振るおうとし。


「はぁああ! デウス・エクス……嘘、出力が上がらない。もう、私には勇者の力が――無い」


(……)


 戦う力すら奪われたことを知って、今度こそ襲う絶望。勇者は力なく地面へ膝を突き、聖剣がカランと虚しい音を立てて転がった。


 まさに万事休す。フィーネちゃん以外の誰が、あの力と張り合えようか。

 数々の悲劇を閉じてきた幕引きの力は、皮肉にも俺たちの終焉として、空より虹色の極光を輝かせる。


 もう誰も、なにも言えなかった。逃げることさえ無く、ただただ頭上を眺める。

 だがそんな時。一瞬ふと、何かが視界を横切った気がして。なんだと注視をすれば、光の中に大きな羽根がヒラリヒラリと舞い降りてきているのだと気が付いた。


「君たちの冒険は、もう終わりなのかね? たったこの程度で絶望とは笑わせる。私は一度たりとも諦めたことは無かったぞ」


「貴方は、まだ生きて」


 俺は軽く目を張った。もう二度と見ることも無いと思っていた人物がそこに居たからだ。

 背後に立つ影に以前の覇気は見当たらない。ガシャンガシャンと軽快に動いていた姿すら懐かしく、今はギィギィと古びたブリキのように動く、漆黒の鎧。


「ふっ生きてか。動くという意味では合っているが、安心するといい。もう、すっからかんで長くは無い。君たちは三大天【泡沫】のモアを、確かに倒したよ」


 けれど、不思議なことに、この場の誰よりも生き生きとしているようにも見えて。

 戦意を失う勇者の横に立った彼は、地面に落ちる聖剣をこともなく拾い、懐かしそうに言う。


「かなり蓄積されているな。やはり本来の使い道を知らなかったか。ならば最後に、もう一度だけ俺に力を貸してくれ、アダス」


(お、お前。まさか――!?)


 こう使うのだ。鎧の男は、伝説の勇者ファルスの愛剣を構える。

 するとどうだろう。聖剣が彼に応えるように、宝石のような透明な刀身を輝かせ。太陽と見間違うばかりの眩い光を放つ。


デウスエクスマキナ(神々よ明日に震えろ)――ラグナロク(次はお前だ)!!」 



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