527 勝利の影響
(うわっ、みんなが溶けてる……)
天井から顔を透かして居間を見下ろすギャル幽霊が言った。
労いと呆れが同居する表情に、まぁねと愛想笑いを返す俺。言葉の通りに、今の姿勢はソファーの背もたれに首を預けて、だらりと軟体生物のようになっている。
他の皆も似たような状態だ。
礼服を脱ぎ散らかし、手近な椅子に座るや、もう重力に抗う力も無いかのように沈み込んでいた。あのカノンさんすらダウンしているのだから仕方ないよね。
「お疲れのようだね。葬儀は恙なく終わったかな?」
すると時間差で扉が開き、ウィッキーさんが部屋に入ってくる。
その姿はあの日以来、カラスのような異形のままだ。最初こそアサギリさんからどんな反応をされるか不安そうであったが、チョーカッコイイの一言で済まされるとは、さしもに彼でも予想出来なかったことだろう。
「ちゃんと、見送って来ましたよ」
「……そうか。ありがとう」
(というかウィッキーも屋根からずっとお祈りしてたし)
悪魔はネタバレをされて、恥ずかしそうにゴホンと咳払いをしてみせた。
別に笑うつもりはない。心の中では葬儀に参列をしたかったはず。むしろ俺たちよりも、よほど参加する資格はあると思うのだけど、現実とはままならないものだ。
決戦の日から三日が過ぎて、今日は国葬が行われたのだった。
大規模な戦力を集めたモア戦もさることながら、麻呂の暴れた城も壊滅的な被害である。
勇者一行は賓客として招かれて、犠牲になった人々へ献花と黙祷を捧げて来た。
死者の数が多すぎて、遺族への連絡すら追い付いていない現状らしいけれど、長く遺体を放置も出来ない。被害者の名を目録に纏め、葬儀だけは行ったというわけだ。そして、その中にはセージという、ウィッキーさんの恩人の名も含まれていた。
「……だが、これからどうするんだ。お前はもう地位も無い、ただの悪魔だぞ」
「これで良かったのさ。猊下はちゃんと約束を守ってくれたようで安心したよ」
感傷に浸る男へ、イグニスは机で頬杖をついたままに現実を突きつける。
そう。ウィッキーさんは、麻呂との関係性こそ否定出来たが、立場まで元通りとはいかない。
なにせ聖職者としての席はもう無く。そして今日、借りていた戸籍や経歴を全て返還した形になった。
本当に、失うものばかりで何一つ得るものが無い戦いだったと思う。けれどカラスの悪魔は、前向きに捉えているようで。あるべき形に戻っただけと、未練を残さぬ明るい声で言う。
「とりあえずは星辰魔法の準備に専念するよ。まずは美咲と司くんをちゃんと故郷に返さねばね。その後のことは……おいおい考えるとするさ」
(ふむ。長くなったが、いよいよじゃな。お前さん)
「そうだね」
俺はジグの言葉を受けて、崩していた姿勢を正した。
本当にいよいよだ。最大の障壁だった悪魔とモアの件も片付き、このシェンロウ聖国で残すことは日食の時を待つだけである。
念願の帰郷か。ほんの一月がえらく長く感じる期間だったな。
脳裏には両親の顔が鮮明に浮かび、もうすぐかと、嬉しさと気恥ずかしさが湧いてくる。俺がイグニスみたいな美人を連れて帰ったら二人とも驚くだろうなぁ。
「む。なら私もそっちを手伝うよ。転移について、聞いておきたいことがいっぱいあるんだ」
「ちょい待ち。アンタは先にアレを片付けなさいって」
魔法の話題に食いつく魔女であるが、カノンさんに指摘をされて、あからさまに顔をしかめる。青髪ポニテのお姉さんが指で示したのは、机の上に鎮座する聖遺物であった。
モアに勝利した証にも等しい品だ。ちゃんと式典を開き、然るべき場所で勇者から受け取りたいとのことで、一時的に預かっているのだが。
「……こう、ちょっと汚れていた方が死闘感出るんじゃないか?」
「いくらなんでも、そのまま返すわけにはいかないのだわ。責任持って綺麗になさいよ」
雪女が呆れるのも仕方ない。金属の髑髏は、煤で汚れて真っ黒になっているのだ。
犯人など見た瞬間に察するのだけど、聖遺物を狙うというイグニスの作戦がモアに決定的な隙を作ったのも確からしい。
では何故彼女は責められているのか。それはヴァンくんのチクりがあったからである。
「まさか俺の贈り物が爆弾にされるとはな……」
「うぐっ……わ、私だって別に壊したくて壊したんじゃないやい!」
「非常時だったのは分かるが、ありゃ無ねよ。流石に同情するぜ」
隣に居た若竹髪の少年が、馴れ馴れしく肩に肘を置いてきた。まぁティアならば、というか普通の人間なら思いつきもしないだろうけどね。
はい。イグニスは魔法の媒体に、婚約指輪を使いやがったのだ。小さくて鎧に放り込むには丁度良かったと被告は弁明をしている。
正確には婚約を表すものではないし、それでみんなの命が助かったのならいいのだけどね。話を聞いた皆はドン引きで、俺も一体どんな表情をすればいいのか分からなかったよ。
「聖遺物を綺麗に磨き上げるのは当然として、こっちにもイグニスの手が欲しいなぁ」
「あっ……いや。整理くらいは当然手伝うよ。なぁリュカ?」
「お、おう。字は読めねえけど、オレも荷物運びくらいはするぞ」
緩んでいた空気が勇者の発言により固まる。
碧の瞳が睨むのは、俺たちが意識的に視界から外していた場所だ。これには俺やリュカを始め、ヴァンやカノンさんも気まずそうに背筋を正していた。
控えめに言って、現在館の中は散らかっているのだ。
戦いの疲労で各ローテーションが滞ったのは、反省ながらに仕方ない面もあると思う。
だが、聖遺物の周りには雑に礼状の束が積まれ。壁際には、まだ分別すらされていない箱の山が出来ている。毎日届く贈り物は、まるで物量攻めでもされているようで、俺たちはやがて考えるのを止めた。
「だって貴族の作法とか分からないわよねー?」
「ねー」
青髪ポニテのお姉さんに相槌を打てば、何を呑気なとティアに睨まれてしまう。けれどしょうがないよね。なにせ世間の勇者一行の評価は、いま凄いことになっているのだ。
最強の魔王が誇る最大戦力【三大天】の一角を打ち倒し、聖遺物を奪還した英雄で。更には影で悪魔の陰謀を食い止め、教皇の救出まで果たしたと囁かれる始末。
おかげで貴族からも市民からも、爆撃のように感謝を届けられている。使用人など居ない俺たちで全てを捌くのは最初から無理だったのだと思う。その対応が勇者一行を疲弊させている原因でもあった。
「まぁ、こればかりは誰に文句を言っても仕方ないのだわ。とりあえず分けて、上位者から先に返事を書きましょう」
「そのくらいならば私も協力出来そうだな。これでも城勤めしていたんだ。貴族の力関係には詳しいよ」
「最初から逃がすつもりは無いが?」
「!?」
魔女に捕まった悪魔は、どこか釈然としない顔で、手紙を分けていくことになった。
もとより枢機卿として事務仕事をしていたウィッキーさん。その手際はイグニスもニッコリするほど敏腕である。
さて、と俺は積み上げた家事から崩していくことにするのだが。ワイワイと活動を始める勇者一行を、少し離れたところで見守る黒髪の少女がふと目に入ってしまう。
お喋りで気安いアサギリさんが何故と思うのだけど、答えは明白か。実体が無く、皆を手伝えないから。せめて邪魔をしないようにと離れているのだ。
殊勝な心がけ、と言いたいけれど、少し寂しい態度だよね。うちの魔王なんて生死の境でも冗談言うよ。
「……そうだ。今度観光に行くとき、アサギリさんも一緒に行かない?」
(えっ!? でもウチ、こんな体だしさ……)
「大丈夫大丈夫。どうせ来週には日本に帰っちゃうんだから、少しくらい噂になっても平気だよ!」
(カカカ。せやな)
俺はどう思うと、保護者であるカラスの悪魔を見る。勝手なことを言うねと手紙を両手に肩をすくめるウィッキーさんだが。その眼差しは優しくギャル幽霊を捉えて。
「素敵じゃないか。最後の機会なんだ。その目でこの町を見てもらえたら、私も嬉しいよ」
(――うん!)




