525 閑話 教えを司る者
「おや、あの光は?」
余所見。その男は殺し合いの最中だというのに、私達から目を外して空を見上げました。
なんて隙だらけでしょう。馬鹿にしやがってよ。湧き上がる怒りを力に変えて、野良犬にでもなった心地で私はモアに飛び掛かります。
甲冑の相手など、齧っても美味しくはなさそうですね。それでも、私にも意地があり、誇りがあるもので。たとえ力が残っていなくても、喉笛を噛み千切ってやると前に出るしかないのです。
「「「うらぁあああ!!」」」
気持ちは皆同じか。名も知らぬ戦友たちは、血だらけ泥だらけになりながらも、勝機を逃すなと地を蹴っていました。
剣を振るうは誰ぞ劣らぬ猛者ばかり。シェンロウ聖国でも選りすぐりの精鋭が、命を投げ捨て切り掛かります。銀の鎧を纏う男は、無防備に山の彼方を眺めるだけ。取った。そう確信する程度に刃は奴の体に迫るのですが。
「こんなもの奇襲にもなりはせんだろ」
「っ……」
グシャリと目の前で血の花が咲きます。
剣で、盾で、蹴りで。モアは迫る5人を瞬時に迎撃してしまいました。
かく言う私の斬撃は盾に阻まれ、お返しとばかりに煌めく鋭い剣閃。咄嗟に左手へと魔力を集めて頭部を守ります。
ただの一撃で籠手が砕け、刃が骨まで食い込み。それでも衰えない勢いに足が浮いて。地面を3回ほど跳ねたところで、やっと体は止まってくれるのでした。
「あ……う……」
私は威勢よくモアに戦いを挑んだものの、御覧のありさまです。壁にめり込まされた後、勇者を救えと騎士団も魔導士団も総出で応戦してくれているのですが、相手はやはり三大天。簡単にはいきません。
控えめに言って強すぎました。単純な戦闘能力だけならば赤鬼とさほど変わらないはずなのに、驚くべきは、その圧倒的技量。数百の刃、魔法に晒されながらも、まるで慣れているとばかり、数の利を蹴散らすのです。
「でも……負けてはいられない!」
前線に戻ろうと、なんとか体を起こし。目に映るのは空に伸びる光の柱。
奴の気が逸れたのはアレですか。町のある方角から立ち昇る、天まで照らす強い輝きに、向こうは終わったのだなと直感をしました。
ツカサくん、君はいつも勇気をくれるね。
震える脚で剣を支えに立ち上がり。まるで勝利を訴えるような光の奔流に笑みが浮かびます。
来るなら来いよ。ガシャガシャと重々しい金属音を響かせ近づいてくるモアに、精一杯の強がりを見せ。
「こらこら、無理して立つな。言ったろう。一人で背負わなくてもいいんだよ」
「……にゅあ!?」
そんな私でしたが、無理をするなとポイと後ろに投げられてしまいました。
選手交代と前に出て行くのは、スヴァルさんです。いや、一番傷ついているのは貴女でしょう。
巨大で逞しいフェヌア教の司教は、要所でモアを引き付け。体を張って私たちを助けてくれていたのですから。待って。せめて一緒に戦おうとするのですが、駄目よと横から肩を掴まれてしまいます。
「心意気は買うけど、せめて治療くらいはしなさい。片腕じゃ剣もろくに触れないでしょ」
「……カノン」
その青髪の少女の真剣な顔を見ては、首を横に振りづらかったですね。
彼女は、緑の胴着を返り血で浅黒く染めていました。貴重な回復役として、または後衛の盾として。戦場を常に駆け回るもので、額には大粒の汗が浮かんでいます。
「他のみんなは?」
「今はティアが手当てを引き継いでるけど、ヴァンもイグニスも結構深手ね。動くにはもう少し時間いるかも」
神聖術で治療を受けながら味方の現状を聞きました。
長い戦いにより、もう全員が疲弊をしきっています。本来、数はたった一人で戦い続けるモアを消耗させるはずなのですが、肉体を持たないアイツは魔力が続く限り動くみたいですね。なにが泡沫だよ、頑丈すぎるだろ。
よって、先に燃え尽きたのは私たち方でした。
回復にも体力を持っていかれるもので、既に手足は鉛のように重く。汗や呼吸では排出しきれない熱が身体の芯で暴れていてます。
苦しい。もっと酸素をくれ。服も鎧も脱ぎ捨てて、胸を掻きむしりたい衝動にずっと襲われていました。ですがこの熱こそ最後の砦。切れた途端、もう二度と動けなくなることでしょう。
「どうやら、悪魔の方は片付いたらしいね。後はアンタから聖遺物を取り返すだけか」
「……果たしてそう上手くいくかね。奴は私が取り逃がすくらいには強かった。勇者もいないのに勝てたならば、それは奇跡のようなものだろう。出来ればさっさと確認に行きたいのだが」
「ははは、奇跡結構じゃないか。愚直に信仰を続けた馬鹿共だ。そのくらい起こして見せるさね」
拳一つで三大天と渡り合うスヴァル司教。その技量も私からすれば神憑ったものです。
ひとたびあの両者がぶつかり合うと、あまりの攻防の激しさに英雄級でも迂闊に近づけません。
騎士を一撃でねじ伏せるモアの剣が、何度と逸らされ地を刻みます。けれど敵もさる者。岩を容易く砕く鉄拳は、小楯に阻まれ決定打を打ち込めず。やがて力量差で押し込まれるというのが、今までの流れでした。
「これを待っていた」
けれど脚本を崩すのは蛮行。司教はあろうことか突きを誘い。自らの腹部へ深々と刃を受け入れたのです。私たちと同じく驚愕するモアに、スヴァルさんはしてやったりと血を吐きながら声を張り上げます。
「司教ともなれば芯から聖職者だ。狂気には染まれん。それはきっとウィッキーも同じで。出来るのはそう。己の信仰を貫き通すことくらい、なんだろうな」
「剣が……抜けん!?」
「味わってくれや、これがアタシの信仰だ!」
その一撃を見たカノンは、治療中の私の腕を痛いほどに力強く握って来ました。
司教が土壇場で振るった技は、急段などという大技ではなく序段。いえ、もっと基礎なのもの。正拳突き。フェヌア教の祈りの姿。
嗚呼。しかし、その完成度は、美しさはどうでしょう。まさしく聖職者として捧げてきた信仰の形。毎日繰り返し練られてきた技の粋でした。
あまりに滑らかに駆動する全身は、致命傷など微塵も感じさせません。敵意すら力みになるか、拳を突き出す姿は、晴れ晴れと。早朝の森林の中、小鳥の囀りさえ聞こえてきそうなほどに静かで。
「序段、理人。我らが最初に習う技。そして唯一に人の名を冠す、人の為の拳だ!」
「素晴らしい。思わず魅入ってしまった」
かくして力強くモアに叩きつけられたのです。
パンと大きな炸裂音と共に後方へ弾け飛ぶ甲冑の男は、岩肌にぶつかるや、その衝撃で山を崩していき、私は目を疑いたい気持ちになりましたね。
「ああ、そうか。私はなんて愚かなんだろう。気付かなかっただけで、最初から与えられていたのね……」
うん。そうだね。あの人はきっと、私たちに背中で語ってくれたのです。基礎の強さを見つけられ二人してガツンと殴られたような気持ちになりました。
崩れ落ちるスヴァルさんを心配そうに見つめるカノン。行ってあげなよと、そっと背を押します。左腕は、もう動くからね。
「馬鹿だったのは、私も同じだよ」
聖剣を強く握りしめて魔力を高めます。絶界。親代わりの師匠に習った、あの人の得意技。ええ、確かに私たちは最初から与えられていたのです。
いつからでしょう。感謝を忘れていたのは。力を求めるようになったのは。
勇者に選ばれてから? 精霊に見初められてから? いいえ。きっと、少しばかり反抗期だったのかも。
「生身だったら耐えられなかったかもな。喝采に値する一撃だったよ司教」
「そいつは、どうもだ糞っタレ」
先ほど咄嗟に出た纏鱗は、私の得意技で。鬼アルスがどんな敵に会っても死なないようにと全力で仕込んでくれたものでした。
だからこそ嫌いなのですが。三大天と、魔王軍の最大戦力と曲がりなりにも戦えるのは、間違いなくあの人のお陰で。胸に染み渡る感謝と、今更ながらに気づく師匠の愛情。
「そろそろ決着をつけよう。私が相手だモア」
「オイオイ、俺を置いて盛り上がってんじゃねえよ」
「そうだぞ、フィーネ。私だって一発ぶち込まなきゃ気がすまん」
「フフッ、いいぞ。掛かって来い、勇者一行!」
コイツに勝って。立派な勇者になったと、大手を振って会いに行きたいな。
管槍




