524 彼はなんでも知っている
6本の巨大な触腕は聖騎士の拘束を力づくで振り解くも、氷剣により貫かれて地へと縫い付けられた。凍れる剣は刺さる傷口から氷を広げ、みるみるうちに麻呂の体を覆っていくではないか。
俺は急激に冷える空気に、白い息を吐き出しながら感嘆をしてしまう。
これがダングス教の誇る、司教の神聖術。凄まじいものだ。悪魔は霧状の不定形な生物なのに、魔力自体を凍結させて動きを鈍らせているらしい。
「なんだ、これは。ふざけるな、何故死人が動くでおじゃる!?」
「これが気持ちの強さだよ。そもそも我ら悪魔とて、魔力に刻まれし残留思念だろう。ゲオルグの想いが肉体を凌駕したまでのこと」
現実を受け入れられぬとばかりに麻呂が叫ぶ。まさか殺した人間に反撃を食らうなど考えもしなかったことだろう。
はたして俺たちだけで奴を上手く足止めを出来たか。そう考えれば、まさに奇跡。これは一人の人間の執念と根性が生み出した、黄金にも値する時間なのだった。
「な、なぁ。でも嫌な予感がするのはオレだけか?」
「……確かに、表面がなんかヒビ割れているな」
俺を盾にするように悪魔を見上げるリュカが呟く。敵が動けなくなるのは良いのだが、問題は凍りついた箇所から、軋むような嫌な音を立てているのだ。すると顎に手を当て考え込むマルルさんはボソリと言う。
「ゲオルグ司教は、悪魔が爆弾になっていることまで把握していたのだろうか……」
「えっ……!?」
(カカカ。そりゃ知らんわな)
最初は麻呂が抵抗をしているのかと思ったけれど。もし逆で。抵抗する力が弱まっているならば、どうだろう。
麻呂は腹に爆弾を抱え、更には内からウィッキーさんに魔力を吸い取られている。そこに司教の神聖術だ。つまりもう、奴は爆発を抑えつけるだけの余力を残していない……と。
「いや、彼の想いは無駄にしない!」
カラスの悪魔は、あえて急段と名乗り、展開する歯車式魔法陣を回す。
大きな歯車の1回転は、小さい歯車を何回転もさせ。そうしてクルリクルリと生み出す超高速。魔法陣が今にも弾け飛びそうなほどに、軋み、唸り、躍動した。
瞬間、円から飛び出すのは光の柱。それはさながらに天使の梯子か。
宇宙空間まで照らすのではないかと思うほど、高く伸びる眩い輝きだった。
不思議なもので、それだけの光量がありながら直視していても目が痛くない。むしろ胸の奥から暖かささえ湧いてくるような魔力の奔流がそこにあり。
「どうか安らかに眠れ、我が友よ」
「ばっ、貴様~~!?」
枯れる、という表現がもっとも近いだろうか。麻呂は穴の空いたビーチボールのように萎んでいく。やがて光に飲み込まれ、白に溶けるように消えていく悪魔の影。気づけば俺は、待ってと手を伸ばしていた。
「すまない司くん。後は頼んだ」
麻呂は魔力を完全に使い果たし、ざぁと灰になって崩れていく。では同化していたウィッキーさんはどうなった。引き攣る頬。目元には涙が溜まり、視界がぼやける。
けれど悲しみに明け暮れる暇は無い。
悪魔が先に消滅したことで、腹の中にあったジグの魔力が微かに残っていたからだ。
ウィッキーさんの献身により、幾分と目減りした魔力の塊。もはやバスケットボールくらいの大きさならば、残る俺たちでもなんとかなる。いや、するのだ。
(お前さん、下に穴が在る。放り込め!)
「……よし、来た!」
何故と考える思考など余分であった。解放された黒球はすでに輪郭がブレて破裂しかかっている。全力で地を蹴りつけるも、それは既にピンの抜けた手榴弾。指が届く前に、目の前で膨張を初めて、万事休すと嘆きたい気持ちに襲われる。
「大丈夫だ、今度は抑えるー!!」
けれど弾ける寸前でギュと引き絞られる球。聖騎士は先ほどの拘束魔法を強引に起動し直し、細い雨粒が鎖になって破裂を僅かに引き伸ばした。
「むぅ、出遅れましたか。瞬発力のある良い筋肉ですね」
そして背後にはラオさんの加勢。彼も爆発に一瞬たり怯えず、むしろ鍛えた筋肉を生かすならば今とばかりに飛び出していたようだ。頼もしすぎてフェヌア教に入信してしまいそうである。
共に繰り出すのはフェヌア流の振り落とし。その名、襲牙豹落。俺は右手で。彼は左手で思い切りに黒球を上から殴りつけ。内包する密度と重力によりグシャリと拳が潰れた。
「「ぬぅおらぁああ!!」」
だからどうした。俺たちは構わずに気合で腕を振りぬき、地面の穴に向けてダンクシュートを決める。小さいと侮っただろうか。いまだかなりの質量を持っていた球は、弾けるや地面を根こそぎひっくり返す勢いの大爆発をしてみせた。
城のど真ん中には巨大なクレーターが出来て、頭上からは瓦礫混じりの土砂が豪雨のように降り注ぐ。これでも勢いはだいぶ上へと逃げているのだ。もしその場で炸裂していたらと考える恐ろしい。
「くそ、町への被害は防げたけど……」
「言うな。私たちは最善を尽くした……」
犠牲が多すぎたよ。もはや戦場跡のように成り果てた周囲を見回して、そう思う。
けれどこれもウィッキーさん含め、沢山の協力があってのこと。安堵とやり切れない気持ちが綯い交ぜになり、俺は力なく地面に腰を落とした。
「ふざけるなぁ、消滅するところでおじゃったぁ!!」
「は?」
センチメンタル気分をぶち壊す、不愉快な声が響く。これには皆でギョッとし、目を丸くすることしか出来なかった。どこだと探せば、地面に散乱する瓦礫の隙間から、朝靄のように黒いものが漂ってきて。
「なんで……だって、アイツはウィッキーさんが」
自分で言って、違うと首を横に振る。
奴は、ウィッキーさんから主導権を取り戻すことを優先していたのだ。なにせ、彼が居ては魔力を吐き出されるばかり。ならばと、全てを消費される前に、腹の魔力を吐き捨てたのだろう。
「ここまで追い込まれるとは、なんたる屈辱よ。しかし麻呂は死ねぬ。心は混沌にあれど、主の孤独を紛らわせるならお人形遊びで構わぬのだ」
「フッ、そこまで魔王に心酔するのであれば、それも信仰ではないのかな」
「だぁまれー!!」
ただ、黒い靄は人型を形成することが無かった。形を作ろうとはするのだが、すぐに邪魔が入り崩れるのである。それはさながら、蛇が自分の尻尾に襲われいるようで。影同士が食い合っているようにも見えた。
すぐさまにカラスの悪魔が、まだ粘っているのだと直感する。
しかし、あれはどう助ければいいのか。ジグに視線を投げるも、悪魔に悪魔が憑くというイレギュラーな事態に答えは返ってこない。
「ああ、負けちゃう。どうすればー!?」
「キ、キエー!!」
魔法が使えなければクソ雑魚のウィッキーさん。あっという間に劣勢なり、あわや取り込まれるという時に、聖女ちゃんから師匠譲りの猿叫が上がった。
その声は必要なのかと思うが。彼女には、きっと大事なものだったのだろう。
二人の悪魔の間に展開されるのは聖域。人を傷付けないマーレ教が、人を助けるためだけにただ祈り、あらゆる脅威を跳ね除ける破格の力。
「キャシー、君は急段に至ったのか」
新たな司教、誕生の瞬間であり。その祝福は、悪魔すらも救済する。
イグニスの読みでは、マーレの教の本質は時間の回帰。同化し混ざり合ったはずの魔力が、分離してカラスの形を取り戻していった。
一方で麻呂はどうだ。ウィッキーさんを守る壁に触れるや、霧は消し飛び浄化されてしまう。
「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な」
もはや溜め込んだ魔力は何処にもなく、真体すら形成出来ない弱弱しい存在へと成り下がっていた。俺はもはや手を出すつもりも無く、最後の判断はウィッキーさんに。いや、枢機卿に委ねることにする。
「反省するのならば、行きたまえ」
それが彼の答えで。既に無力化したのだから命までは取らないと。一度だけは温情をかけようと、恥辱も怒りも全てを飲み干し、赦しを与えた。
(いいのか?)
「俺だってぶった斬ってやりてえよ」
それでもウィッキーさんの選択だから。悪魔はおのれと捨て台詞を吐き、逃げ出すように見えて。真っ先に向かったのは狼少女の元である。えっと間抜けな声が聞こえるも時すでに遅く。
「……なぜ?」
「やれやれ。結局こうなってしまったか」
麻呂はリュカより生える黒い手に握り潰されていた。
簡単な推理。聖職者が多いこの場で、奴が憑ける候補は俺と彼女だけ。もし土壇場で狙われるならばリュカだろうと、館を出る時には魔力を分けていたのだ。
今度こそ崩れていく悪魔を見届け、こっちは終わったよと。
麻呂さえ勝てぬと逃げ出した最強に挑む、仲間たちに思いを向ける。




