508 善は急げ
善は急げ。
悪魔の協力者と疑われているウィッキーさんは、ほぼ確実に国から指名手配を食らうだろう。すると勇者一行のもとに捜査が入るのも時間の問題なので、俺たちは嫌がる男を馬車に詰め込み、フェヌア教の聖地へと移動を始めていた。
メンバーは勇者を筆頭に、カノンさんとヴァン、そして俺。奇遇にも以前に訪れた時と同じ顔ぶれである。
「そういえば、カノンさんの修行はどうなったんですか?」
「みんなのお陰で時間があったからね。約束の帯10本は集めたわよ」
「しばらく毎日通ってたもんな、お前……」
フンスと自慢気に帯の束を見せてくる青髪ポニテのお姉さんだが、俺とヴァンはその成果物を見て舌を巻く。なにせソレは司教レベルの猛者たちと拳で戦い、認められた証拠である。
最初こそ勇者一行の下駄を履かせてもらった僧侶だったけれど、短期間で着実に実力を高めているらしい。
「ほほう。あの場に集まるのは実力者ばかりと聞く。大したものだなカノン司祭」
「いやー肝心のスヴァル様からは、まだ手解きを受けられていないんですけどね」
素直に褒め称える声に、照れながらもやや残念そうな口調で答えるカノンさん。
それも致し方無いのだろう。のんびりと過ごす予定が、モアが来てからというもの事態は急転直下。スヴァルさんは大聖堂の警護に就いてしまい、会う時間すら無かったはずである。
だから、会えたら報告くらいはしたいな。僧侶が馬車の行く先を見ながら呟くと、「う、うむ」と霞むような小さな声で包帯男の同意があった。
(会いたくなさそうな声じゃなー)
「実際に出掛けは物凄く渋ったからな」
ちなみに包帯男とはウィッキーさんのことだ。魔石化した顔を隠すために付けていた仮面だが、失ってしまったので、包帯をグルグル巻きにして代用している。その為、見かけはまるでミイラのようだった。
その偉丈夫は、大きな体を小さく畳んでお祈りをし始めるではないか。なにせスヴァルさんは教会の抱える筆頭戦力。説得が出来なければ、そのまま地面の染みにされても、おかしくはなかった。
そんなウィッキーさんを慰めるように、カノンさんが交渉は任せろと胸を張るのだけど。拳をバキベキと鳴らす姿を見ては、不安しか湧かない気持ちも理解が出来る。同情をしていれば、隣にいる若竹髪の少年が肘で脇腹を突いてきて。
「ツカサも他人事じゃねーだろ。お前、自分が拘束対象になってんの忘れてねーか?」
「うわっ。そういえばあったな、そんなこと」
「本当に忘れてたのかよ!?」
実はその件もまだ片づいていないのだった。天啓により、未来の俺がやらかすという話らしいけれど、城に乗り込んだ衝撃が大きすぎて頭からすっかり抜けていたよね。
もしや俺も地面の染みか。そう考えると行きたく無くなってくるものだ。ちょっと急用を思い出したと途中下車しようすれば、僧侶がすぐさまに逃がさぬと腰を捕まえてくる。
「いーやー!」
「げへへ、暴れなさんなって……きゃっ!?」
「ぶぼっ!?」
ふざけていた瞬間に馬車が急停車して、荷台がガクリと暴れた。二人してすっ転び、俺はカノンさんの下敷きになってしまう。ヴァンは即座に剣へ手を掛けて、何事だと御者台の勇者へ叫んぶのだが。
「ごめんね。なんか、ビアンカが怯えているみたいで」
「ああん?」
少年が訝しむのも無理は無い。勇者の愛馬ビアンカは、白く美しい外見ながらも軍馬の血が流れる魔獣だった。
並大抵の敵なら、怯むところか突撃をする勇ましい子である。ならば、そんな駿馬が何に足を止めると言うのか。俺は腹に乗っかる乳の重さにゴクリと唾を飲む。違った。柔らかさにね。
(訂正出来とらんわ!)
「あはは、ごっめーん」
スッと起き上がってしまう青髪ポニテのお姉さん。腹から消える重さに一寸の寂しさを感じていると、勇者は早くも警戒をするかチャキリと聖剣の鯉口を切っていた。
「あれ、いまフィーネちゃんと目が合ったような……」
「馬鹿やってんじゃねえ、本当に何か来てるぞ」
(あっ! やせいの司教が とびだしてきた!)
やがて凄い勢いで茂みから姿を現すは、身長2メートルは越えよう巨大な体躯だった。
長い赤銅色のざんばら髪を振り乱し、般若のような形相で「にく~!」と鳴く生物だ。
両腕を熊のように掲げ、鋭い視線は完全に肉食獣のそれで。もしやこれが山姥だろうか。赤鬼にも劣らぬ迫力に「ぎゃー、化け物ー!?」と思わず叫ぶと、失礼でしょうがとカノンさんに頭を叩かれてしまう。
「ス、スヴァルくん!?」
「……あ~?」
包帯男がぎょっとした声で名を呼ぶと、司教は素顔を覗き込もうとするように、腰を屈めて目線を合わせている。その様子はさながら、野生動物が獲物を匂いで判断しているかの如くだ。
まるでピクニックの最中に徘徊する熊と出くわした心地。睨まれて直立不動で固まっていたウィッキーさんは、目の前でグゥ~と大きな腹の音を聞かされると、いよいよに泣きを入れた。
「すまない私が悪かった。どうか丸かじりは許して欲しい!」
「誰がするか! ってアンタ、もしかしてウィッキーかい。いつもの仮面はどうした?」
互いに状況が呑み込めず、首を捻るばかりで。道中の山道にはギュルギュルと腹の虫だけが鳴く。
◆
「いやー助かったよ。ごちそうさまでした!」
馬車で揺られる中、荷台の非常食を食べ尽くした巨女は、お辞儀と共に懐を探った。しかし目当ての物は見つからなかったようで、容器の残骸を見ながら気まずそうに持ち合わせが無いと告げてくる。
フェヌア教では司教になっても財布を持ち歩かないようだ。まぁあったら獣を狩ろうとはしないのだろうが。何処か見慣れたやり取りに、勇者は苦笑しながら大丈夫ですよと返した。
「そろそろ交換しようと思っていたので、丁度良かったです」
「私が責任持って買ってくるわ」
「すまないねぇ。一昨日の晩から何も食ってなくってさ」
ナハハと豪快に笑い飛ばすスヴァルさん。道理で城で姿を見ないわけである。彼女はなんと、大聖堂が襲撃された後からずっと山籠もりをしていたらしい。
その言葉を聞いて激昂するのが包帯男。どの立場から物を言うのか、司教が非常時に職務を放り出すなと叱るのだ。
「何も知らなかった、で済まされる立場ではあるまい。城に悪魔が現れたことすら聞いていないとは何事かね!」
「あーあー悪かったって。けれど、婆さんから天啓を聞いちゃ、ちょっぴり気合を入れないと、と思ってよ」
天啓と聞いて、今度は俺がギクリとした。そっちは知っているのね。
けれど赤銅髪の女性は、俺を責めるではなく、つまりもう一度アイツと戦うことになると自分の掌を拳で叩く。
「やっぱりスヴァルさんもモアを優先すべきだと考えるんですか?」
探りを入れるべくジャブを打つ俺だが、知らんと見事に言い切られてしまった。はぁとウィッキーさんが溜息を吐きながら、補足をくれる。
あの日に天啓があったという事は、未来には聖遺物を取り返している可能性が高いそうだ。ああ、と思う。少なくとも、聖女があの金属ドクロの近くで魔力を送る機会があるのだろう。
「教会が妙に強気な理由もそこか……」
御者台からフィーネちゃんと操縦を変わったヴァンの声が聞こえる。つまり、未来からの告知では三大天に勝機あり。そう訴えるわけか。
しかし、そう簡単にはいかないと捉えるのが、やりあった本人で。モアとの戦いはきっと大きなものになる。凄惨な結果を予期するからこそ、自分を追い込む為の山籠もりなのだった。
「狂気が足りない、なんてあの野郎に言われたしね。活人の拳を目指す身としては、複雑な気分だよ」
この人は以前に、大事なのは心だと諭してくれたものだ。或いは、戦士と聖職者の狭間で、心が揺れ動いているのかも、なんて勝手に思った。
自分の事情はそんなところと、膝を叩くスヴァルさんは。「それで?」と顔を上げて俺たちを見回す。視線の意味は、お前らは何の用事だと言ったところか。
「単刀直入に言おう。私と共同戦線を張って欲しいのだ」
「一応話くらいは聞いてやるけど……?」




