49 さよなら王都
朝。メイドさんが朝食の支度が出来ていると声を掛けに来てくれた。
ジト子さんである。名前はまだ知らない。基本無表情にして不愛想。死んだ魚の様な目がキュートな女の子だ。
だが、無気力無表情が売り?なはずの彼女が扉を開けた瞬間ピクリと眉を動かした。
視線が床に落ちてくる。まるで道端で犬の糞でも踏んづけた時の様な顔をしていた。
おはようございます。と、彼女を見上げながら挨拶する。
「奇特な趣味をお持ちのようですね。どうぞごゆっくり」
パタンと扉が閉まる。俺を呼びに来たのではなかったのかな。
とりあえずは弁明させてくれないだろうか。このままでは裏で変なあだ名とか付けられてしまいそうだ。もう遅いかな。でも一応叫んでおこう。
「待ってー! 違うんですー!」
ジグとアルスさんの戦いで吹き飛ばされてからどのくらい町を彷徨っただろうか。
そもそもが行きからにしてジグルベインが適当に進んだので本当に自分の居場所が分からなくて、街と貴族街を仕切る壁まで歩き、そこから壁伝いに門まで歩いてやっと帰り道を把握したのである。帰れると分かった瞬間は喜びのあまり思わず泣き崩れそうだった。
そしてそこからアトミスさん家に何とか戻り、再び窓から侵入して、力尽きた。
もう布団に入る気力すらも残って無くて、部屋に入った瞬間倒れこんだのである。
「はぁ。とりあえずお腹空いたし朝食貰っちゃうかな」
綺麗に掃除してくれているとはいえ土足の文化。目が覚めたからには寝ていたくはない。
よっこらせと立ち上がり、軽く肩を回してみる。うん、問題ない。
ジグルベインが肩に負った傷は身体が入れ替わる時に修復する。過負荷による筋肉痛も、活性化の恩恵で今では割とすぐに治る。しかし霊脈の損傷はそうは行かない。
全身を覆った黒い魔力は闘気と言ったか。霊脈は言わば魔力の血管。そこに限界以上の魔力を流されて、しかもそれが全身、そう全身だ。身体が消えたかと思うほどの酷い喪失感。なのに神経を焼く様な痛みに現実に引き戻されて。
その繰り返しを一晩中していたらいつの間にか眠ってしまったらしい。気絶とも言うかもしれない。
まぁ珍しくジグの口からごめんなさいが出てきたので許してあげようと思う。結局二人とも無事だったのだし後は俺が黙すればいいだけだ。
とは言え朝から気力は限りなく0に近い。お家騒動も一段落したのだし、次の町への移動は明日に出来ないだろうか。イグニスに会ったら相談しよう。そんな事を考えながら食堂に足を運んだ。
「おはよう少年。どうした? 顔色が優れないな」
「ああ、本当ですね。体調が悪いなら無理しないほうがいいですよ」
食堂に顔を出せば真っ先にアトミスさんが声を掛けてくれた。妖女には珍しく上着を脱いで少し寛いだ格好をしている。今日はひょっとして休みなのだろうか。
そして隣には、金髪金眼の男装の麗人。いや、今日は可愛らしいエプロンドレス姿なので男装と言うのはあんまりか。ジグルベインと斬り合った張本人アルスさんが。
ドキリと心臓が跳ねる。どうしてこの人がいるのだろう。まさかジグの事がバレたわけではあるまい。
「おはようございます。ちょっと寝不足なだけなので大丈夫ですよ。お二人は今日はお仕事お休みですか?」
「いや、夜中に事件があってね。実は今帰ってきた所なのさ。一休みしたらまた出掛けるよ」
あーと納得する。アルスさんの一撃はかなり大規模なもので、衝撃の範囲も広かった。静まり返った夜の出来事だけにさぞ目立った事だろう。帰り道を探している時にはもう騎士と思われる人が結構な人数現場に急行していた。
アトミスさんも騎士団の人である。その中に混じって居たのかもしれない。お世話になっているのに迷惑を掛けてしまったか。でも、犯人は隣に居るですから!
「面白そうな話をしてるね。何があったの?」
欠伸を噛み殺しながらイグニスも食堂にやってきた。
おはようと声を掛けるとおはようとまだ寝起きの声が返ってきて、俺の対面にドカリと座る。人が揃い待ちわびた朝食が配膳されてきた。
パンと、野菜のゴロゴロ入ったスープに断面美しい厚切りのベーコン、ゆで卵に、サラダ。今日はデザートにプリンまで付いていた。
ジグが目ざとく見つけ、プリンプリンと騒ぐが当然コイツの分は無い。上目遣いで指を咥えても駄目なものは駄目だ。
「この馬鹿が西区の訓練場を吹き飛ばした。おかげで近隣の家から苦情だらけさ」
「ええ、素晴らしい夜でした。今思い出してもドキドキします。これが恋というものでしょうか」
アルスさんはアトミスさんに睨まれようとなんのその。頬を染め身体をくねくねと捩らせて、今にも踊りだしそうな雰囲気である。
「吹き飛ばした……穏やかじゃないが、事件という事は」
「ああ、相手が居たらしい。特に悪さをしたではなく、双方合意らしいので扱いとしては決闘で処理したが、アルスに絶界を使わせ更に剣を破壊。おまけに死体は確認出来ないときた。事件だろう?」
アトミスさんに振られて表情を引き締めるイグニス。
「国の最高戦力の一人と渡り合うか。それは確かに事件だね。相手は一体何者なんですか?」
今度はイグニスからアルスさんへ視線が飛んで、麗人は良くぞ聞いたとばかりに惚気話でもしているかの様な表情で頬に手を当て昨晩の出来事を思い出す様に口を開いた。
「獣殿です。ああ、今思えばちゃんと名前を聞いておくのでした。それは美しい女性でしたよ。月明りに照らされる銀の髪は刃の様に光を返し、金の瞳は闇の中でも輝いて月を思わせる魔性があった」
銀髪金眼の女性。その特徴に心当たりがある魔女は顔をアルスさんに向けたままにチロリと流し目で俺を見てくる。
意訳すれば、まさか違うよな?と言った所か。勿論俺は知らないよとブンブンと首を横に振る。
「放たれる殺気は凍てつく程に研ぎ澄まされて、しかしこちらの闘志など飲み込む様に懐広く。居るものですね世界には。化け物だと思った。格上だと感じた。私はもしあの人が神か魔王だとしても納得できます」
今度は魔王という単語に反応したのだろう。グリンと首を回し、赤い瞳が本当の事を言えと圧をかけてくる。知りもはん!おいは知りもはん!
「肝心なのは、ソイツが敵かどうかだな。何処の者かは知らないがこれ以上敵が増えては目も当てられん」
「敵ですよ。敵でなければ困る。私が斬れないじゃないですか」
弾む声。慈愛に満ちた天使の様な表情でアルスさんは続けて。
「今はまだ脅威ではありません。しかし、必ずや勝負の続きが出来ると確信しています。
ああ、楽しみだ。その時はあの黒い凶器でこの胸を貫いて欲しい。ならば私は抱きしめて、あの綺麗な首を落として見せましょう」
背筋がぞわぞわとした。こう言う人を戦闘狂とでもいうのだろうか。理論も理屈も違いすぎて、まるで宇宙人の会話を聞いているみたいだ。
(飽くのだよ。強ければ強い程、研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、人は孤独になり、孤独を埋めるのは同等かそれ以上の強者だけだ。儂も分かるぞ。勇者との戦いは最高だった)
ウンウンと頷く獣殿。そうか分かってしまうのか。
もしかしてジグはアルスさんの孤独を理解していたからアルスさんの為に戦った、というのは考えすぎだろうか。まぁいい。俺には理解出来ない領域の話である。
しかし、しかしだ。
予想より大事になってしまっていた。決闘という扱いならば罰とかは無いと思うが、アルスさんが不穏すぎる。何せ殺気でジグの存在を感知する、まさに獣並みの感を持っているのだ。
イグニスに会ったら滞在の予定をずらせないか相談しようと思ったが、今は一刻も早くこの場から逃げ去りたかった。
「ああ、そう言えば二人は今日立つのだったか。色々迷惑に巻き込んですまなかったな。特に少年。いや、ツカサ君。また王都に来たら是非寄るといい。良い酒を用意しとくから、お土産話を持ってくるんだよ」
アトミスさんがふんわりとした笑顔で名前を呼んでくれる。
この人の少年呼びも嫌いでは無かったが、名前を呼ばれると不思議とこみ上げるものがあった。大人の余裕というか、何というか。イグニスもいつかこんな淑女になって欲しいいものだ。
「ありがとうございます。こちらこそお世話になりました。話だけじゃなくお土産も持ってきますね」
それは楽しみだと愛想笑いを浮かべてくれるが、赤い瞳を一度ゆっくり閉じて、再びゆっくりと開き。
「イグニスを宜しくね」
赤い瞳に乗って、短い言葉に込められた万感の思いが伝わる。
面倒な生い立ちと、敵の多さは知った。正直イグニスに対処出来ないなら俺なんて役に立たないだろうが、求める答えはそうではあるまい。
「はい!」
大丈夫。味方でいるくらいは、寄り添うくらいは俺でも出来る。
◆
そしてアトミスさんとアルスさんが仕事に戻るので、俺とイグニスも合わせて出る事にした。
出がけにお世話になった家の人に挨拶をしたが、予想外にジト子さんから「いってらっしゃいませ」とお見送りを受けて。止めて、そういう不意打ちは止めて!
久々にボコに跨れば、自然と女性に手を貸す程度には紳士度の上がった俺。
後ろに乗ったイグニスに良く出来ましたと褒められて、成長したでしょ?と手綱を引く。
白い駝鳥はブエーとブサ可愛い鳴き声を上げて、元気一杯に駆け出した。
「イグニス、あれ」
「……ああ」
この白い街も見納めかと視線を彷徨わせていると、貴族町の門に一台の馬車が目についた。掲げるのは赤い竜の旗。乗っている女性は薄茶色の髪をしていて。
止めるでもなく、手を振るでもなく、本当に見送るといった態で。
「仲直り出来るといいね。俺が言うのも何だけど、家族は大切だよ」
「君に言われると重いな」
ぎゅっと、腰に込められる力が強くなる。背中に額が押し付けられて、結局彼女が振り向く事は一度も無かった。そして俺も、それ以上は何も言うことはしなかった。
この世界に歴史の無い俺は、どの町に行こうがお客様。
しかしイグニスには過去がある。住んでいた街だ。知り合いが居て、行きつけの店がある。それが知れて、俺には見せない一面も垣間見えて。改めて故郷の良さというのを思った。
いつか彼女にも地元を案内出来たら良いが、俺引き籠ってたから外知らないんだなぁ。
さようなら王都!またね!
「そう言えば、アルス様と戦ったというのは」
「知りもはん」
「おい、バレてるんだよ。本当の事を言え!」
「嫌だ、俺は悪く無い!」
次、いよいよ50話かぁ




