471 記憶の断片
「あな恐ろしや。生まれながらに6翼とは。この赤子は既に天使長さえも凌ぐ魔力を持つかや!」
牢に閉じ込められ、羽根を昆虫の標本のように壁へ縫い付けられる男が言った。次の瞬間に、俺の口から「あ~」と可愛らしい声が出てびっくりする。それも、かなり幼いが聞き覚えのある声ではないか。
(これは、まさかジグの記憶なのか?)
答えることもなく身体が起こされる。すると、長い銀髪が垂れ下がり顔を覆ってしまう。それでも儂は髪の隙間から男を見つめ。格子越しにキャッキャと小さな手を伸ばした。囚人は驚きに目を張りながらも、僅かに口角を吊り上げて。
「これこれ。お前ら剣など持って何をするつもりぞ。その子はまだ言葉すら喋れぬ赤子じゃろうが!」
「黙れカナフェル。こいつはノアの子供だ。生かしているだけでも温情だと思え」
さながら、テレビのチャンネルが切り替わるように映像が飛ぶ。
牢屋の男が必死に叫ぶなか、こちらの檻にはゾロゾロと武装をした大人が入って来る。直感的に恐怖を覚えたか身体が後退した。
(オイ、なにしてる。よせ、止めろってー!!)
天使たちが、翼を無造作に掴んで身体を持ち上げてくる。ジグはまだ、何をされるかは察していまい。
それでも目からはボロボロと涙が零れ、許しを乞うように泣き声が出て。奴らは口元に薄ら笑いを浮かべながら、背の根本に剣を突き入れた。
重量に従い落下する身体。かつて背にあった黒翼より、鮮血がシャワーのように降り注いでくる。牢獄には、もはや高周波に似た叫びが反響するが。その心を裂く音色さえも、天使共は演奏会を聞くように楽しんでいた。
「へへ。魔王のガキで半性の出来損ないには、羽無しが丁度いいのさ」
(ジグ、ジグっ。ああ、クソ。ぶち殺すぞテメェ~!)
これは。これは、夢を見ている、なんて曖昧なものでは無い。さながら交代している時のように、彼女の身体に意識が入ってしまったような感覚。どうやら俺は今、記憶の断片を追体験しているらしい。
だからこそ身体が無いのが恨めしかった。なぜ俺は、これほどに彼女が泣いていても、抱きしめることさえ出来ないのか。
「ぬぅ。こうか? 上手く出来ぬわ」
「お前さんは魔力が多くても制御が下手よな。闘気法の初歩は循環じゃ。体内で練り上げ、回してみい」
またシーンが飛ぶ。この頃には言葉を覚えたのか、幼いながらに現在を思わせる口調で喋っていた。
ただし、牢屋の環境は劣悪の一言に尽きる。暴れれば食い込む金属の糸が身体中に巻かれ、氷のように冷たい床に横たわっていた。食事も満足にとれていないのか、視界に移る子供の腕は、枯れ枝のように痩せ細っていて、今にも折れてしまいそうだ。
それでもジグは闘気法の習得に没頭する。暇つぶしのようでありながら、辛い現実から目を逸らすようでありながら。本当は繋がれた男と、コミュニケーションを取れるのが嬉しかったのだと思う。
「おお見ろ。闘気とやらが出来たぞ!」
「カカカ。そんなものは初歩じゃ。お前さんならば、いずれ溢れる魂にすら到達しようとも」
牢屋を挟んだ、ささやかな交流。二人きりだからか、「オイ」や「お前」と名前すら呼び合わないが、俺には立派な愛情と絆が育まれるているように見えた。
だからこそ、次のシーンへ飛んで驚愕に目を張った。ちょうど右手がぐしゃりと男の体を貫いたところ。すなわち、ジグルベインが男を殺害した瞬間であったからだ。
「あばよ、老いぼれ。世話になった」
「これでいい。儂もお前さんの故郷を滅ぼした一人だ。どうやら盗まれた世界樹の種も見つからん様子。そして、儂が海へ投げ捨てた座標0。もう天使が永遠へ辿り着く術はあるまい。ざまぁ見ろと言いたくなるのう」
「天使共の事情など知らんわ。どうせ、これから滅ぶんじゃもの」
「カカカ。それもそうか。ならば征けい。翼など無くても、お前ならば誰よりも高く飛べることじゃろうて」
少なくとも数年は共に過ごしたと思うのだが、あっさりと別れを告げるジグルベイン。
振り返れば力技でこじ開けた檻が目に入る。その時に大きな物音でも立てたのだろう。すでに多くの兵が武装し動き出していて。
「や、やめろ!」
「この化け物め!」
けれど闘気を習得した彼女に敵は居なかった。それはもはや戦闘ではなく、ただの暴力。怯え戸惑う天使を、腕の一振りで肉塊に変えていく。ジグは血に興奮をするのか、カカカと喉を鳴らしながら、楽しむように死を行う。
「コレは、我々の始めた物語なのだ。どうか天使の血を引く君よ、いずれ責務を自覚したならば、世界を革命して欲しい……」
背に浴びせられる断末魔。
少女は返事をすることも振り返ることも無かった。前に叫びながら駆け出し、目に映るもの全てを壊す勢いで、後の魔王は初めての殺戮を繰り広げる。
「嗚呼、お美しい。貴女こそが我が王だ」炎に包まれる町で、跪き忠誠を誓う一人の天使が居た。「お前か、噂のジグルベインの怪物は」見覚えのある黒髪のエルフと敵対し。
「混沌軍? 吾輩の領地を侵すのであれば、串刺しにするのみよ」雪玉を転がすように勢力を増やしながら、戦渦へと身を投じていく彼女。
「そう。征くのねジグルベイン。でもどうするの、天使の持っていた座標は失われたのでしょう?」儂は一人の少女の頭に手を置いた。ウェーブのかかった白くてフワフワな髪に、血が透けているような真っ赤な瞳。まるで兎のような子だった。
随分と親しげな関係だなと思えば、相手の顔には見覚えがある。どこでだろう。一瞬考えるも、さながらパラパラ漫画でも眺めるように目の前の風景が流れていく。
「ほう。まだ儂の前に立ちはだかるか勇者よ。なればこれが最後だ。その身、塵すら残らぬと思え」
「愚問だな。俺の行動理由は常に正義。魔王、恐れるに足らず」
そして彼が登場した。勇者ファルス。単身で城に乗り込む様は、まさに勇ましく。これがフィーネちゃんの目指す男かと感慨さえ湧く。
すでに見知りの仲。ならばこれが、噂の最終決戦か。ファルスは手にする聖剣を四色に輝かせ。こちらは理を塗りつぶしながら混沌世界を展開していき――。誰かに見られている。ふと、直感に従い首を持ち上げれば、金色に輝く月のような瞳と視線が重なった。
「うわぁあああ!?」
(おう、起きたか。大丈夫かや。だいぶうなされておったぞ?)
「ジ……ジグ?」
いまだバクンバクンと暴れる心臓を宥めるように、ほっと息を吐き出す。なんだジグルベインが上から覗き込んでいただけか。
時間はまだ深夜のようだ。もうひと眠りと行きたいところだけど、冬なのに体中が寝汗でびっしょりである。水でも飲もうと、俺は魔道具のランタンに火を灯す。最悪の目覚めだ。
(やはり悪夢を見たのか?)
「うーん夢なのかな。ジグの記憶が流れて来た感じだった」
辛い経験をしたのだなと同情をすれば、魔王は他人事のようにはてと首を捻る。本当にただの夢だったとでも言うのだろうか。状況を話して問い詰めれば呆れた声で、お前はママの胸の味を覚えているのかと返される。俺は黙った。
(ガキの頃の話など詳しく覚えておらんわ。外に出てから仲間も増えて、毎日のように焼き討ちしちょったしな。楽しかったぞ)
「野球のように言うな」
(それに、どの道過ぎたことさね)
ジグはカカカと笑うのだけど、一度だけ鋭い視線で「どこまで見た」と聞いてくる。
魔王的には不都合しか無いようだ。まぁ、記憶を覗かれて嬉しい人間など居まいが、俺はもう少し色々な彼女が知りたかったと思った。
「本当に断片だけだから、あまり詳しくは見てないよ」
(さよか。なら、見たものは仕方ないとして。話を今に戻すかや。鏡を見てみいお前さん)
言われて自分の顔をみれば、あらびっくり。前髪の左半分が銀色に染まってしまっていた。浸食率、上がっちゃったねぇ。




