466 どちらの世界で生きるか
俺はズズリと鼻を啜った。アサギリさんの過ごしてきた境遇にすっかり共感してしまったもので、久しぶりにガチ泣きをしてまったようだ。
涙が収まれば、スッキリとは言わないが、溜め込んでいたものを吐き出せたように思う。落ち着きを取り戻した頭で、取り乱してごめんと顔を上げれば、二人の幽霊が心配そうに覗き込んでいて。
(元気だしてサガミン。もう少しで帰れるんだしさ!)
「さ、サガミン……」
早くもあだ名をつけられてしまったようだ。先に泣きそうになったのはアサギリさんの方なのに、どうも他人の泣く姿を見て冷静になったらしい。
一方でジグルベインは何も言わず、目をもの悲しげに細めるだけだった。泣かれると困ると訴えているようで、普段とのギャップが笑えてしまう。
「もう大丈夫。むしろ、ちゃんと向き合わないといけない問題なんだと思う」
(さよか。儂はお前さんが笑うているのが一番じゃ)
俺がアサギリさんに思い入れてしまったのは、同じ日本人というだけでは無かった。エルレウムの町に滞在している時に、勇者一行を待ち侘びていた経験が大きいのである。
恥ずかしながら、この年でやっと友達の大切さを知ったというか。大事な人と、もう会えないという心境が痛いほどに理解出来てしまったのだ。
(待ってね。ハンカチ、どこにあったかな。ウチ使わないから……)
「自分のあるんで大丈夫ですよ」
垂れる鼻水を心配して、無い無いと部屋中を飛び回るミニスカ幽霊。その太ももへ、ほうと熱い視線を送っていれば魔王に遮られてしまい。俺は内心で舌打ちをしながら鼻を拭いた。
にしてもだ。やはりアサギリさんにもジグの事は見えていないようだ。それどころか干渉も出来ずに通り抜けている。同じ幽霊同士で不思議なものだと思うが、最近その様子に見覚えもあったりするもので。
「たぶん幽霊学者の状態に近いんだろうな」
(ふむ。言われれば似ておるわ)
閃きというか、悪戯心というか。
物理無効の幽霊学者にも魔力での攻撃は通用した。彼女はどうなのだろうと、好奇心で魔力を微弱に流した指先を伸ばしてみる。
「電撃だっちゃ。あ」
(ふぉあにゃぁああっ!?)
軽く太ももを突くだけのつもりだったのに、アサギリさんは無防備そのものだった。指に気付かないで、間が悪く可愛らしいお尻をこちらに向けてしまったのだ。
こちらには感触が無いけれど、ホラー映画で聞こえてきそうな悲鳴が大ダメージを訴えてくるようで心が苦しい。お尻のど真ん中に刺さってるもんなぁ。
(カカカ。惨いことをしおる)
「ごめんよう。わざとじゃないんだよう」
パニックに陥り空中を転げ回る様は、殺虫剤で落ちる蚊のようだった。
そして落ち着き、なぜカンチョーしたと怒涛の勢いで詰め寄ってきて。霊体の自分に刺激があったことにようやく気付いたらしい。感情の起伏が激しいというか、忙しいことである。
(さ、サガミン。いまなにしたの?)
「魔力を流してみたんですけど」
こんなこと真っ先に思いつきそうなものだが、意外やウィッキーさんは試した事がなかったようだ。いや、聖職者だから少女に触ろうという気も無かったのかもしれない。
もう一度と、今度は右手を伸ばしてくるアサギリさん。俺も重なり合うように手を出した。実際に触れ合えるわけではないので、温もりなどは感じまい。
しかし彼女は、魔力という他人の異物をわずかに受け入れるだけで、いよいよ耐えられぬとばかりに大げさに表情を崩す。
(あっつ。ハハハ、なにこれ。触れないのにすっごい熱いじゃん!)
(まぁ気持ちが分からんと言えば嘘になるかの)
泣いてるような、笑っているような、酷い顔だった。
霊体は一見便利そうだけど、ジグにして気が狂いそうと言っていたのを思い出す。
そうだ。接触出来ないということは、刺激が無い。熱いも冷たいも、痛いもくすぐったいも。それどころか、食事すら取れないのだから、美味しいや不味いすら感じることが出来ないんじゃないか。
「やっぱり、体が無いのは辛いんですね」
(駄目なんだよ。どうしても考えちゃうの。この世界に、私の居場所なんか無いんじゃないかって。日本に帰れても、もう死んでてどうにもならないんじゃないかってさ)
幽霊がやたらにお喋りな理由を垣間見た。他者との会話が己を証明する唯一の手段になのだ。ましてジグルベインには魔王としての矜持があった。弱音などまず見せないし、不遇をカカカと笑い飛ばす強さも持ち合わせる。
(だから、だから。ああ、感じるってこんなに嬉しいことなんだね)
「……」
けれどアサギリさんは普通の女子高生。その精神はとっくに擦り切れ疲弊していて。俺の右手に縋り付き、まるで震える心を温めるように握りしめていた。そんな彼女を見ながら、今日はジグに酒をあげようと。少しばかり幽霊に優しい気持ちになる。
◆
(あー、えっと。ごめんね?)
「いえいえ」
互いに醜態を晒し、部屋には気まずい空気が流れていた。どうやら想像以上に同郷というのは劇薬だったらしい。それは外見か、あるいは育った環境か。懐かしき平穏の匂いが思い出を刺激して心を弱らせるようだ。
しかしだんまりしているのも時間が勿体無い。俺は茶請けの焼き菓子を頂きながら、相談があるのだけどと気持ちを打ち明けることにした。
(残念だけど靴下なら無いよ?)
「……そっか。靴下が無ければ、タイツやストッキングでもいいんですけど!」
(そんな話題に食い付くでない!)
出鼻を挫かれた。やだなぁほんの冗談だよ。二人して冷たい目で見るのはやめて欲しいね。俺は話を本筋に戻すべく、日本への帰還を悩んでいると告げる。
アサギリさんは目を丸くするも、「そっかー。そういう考えもあるよね」と真剣に話を聞いてくれた。だが、魔王は大激怒で馬鹿なことを言うなと荒ぶった。
(でも、どうして? さっき家に帰りたいって言ってたじゃん?)
「いや、帰りたいっていうのは本心なんですよ。でもどちらかと言えば、一言伝えたいというのが本音で」
俺はアサギリさんとは逆で、異世界で大切な人が出来た人間だ。帰りたいと思いつつ、ずっと後髪を引かれる思いがあったのは事実である。
フィーネちゃんには戻って来ると伝えたが、おそらくチャンスは一度。どこかのタイミングで、どちらの世界で生きるかは決めないといけなかったのだろう。けれど、彼女の存在が第三の選択肢を作り上げるのだ。
「最悪は、アサギリさんから両親へ手紙か伝言を渡して貰えれば……」
(ならんぞ。家に帰るまでが冒険じゃろうがい!)
耳元で魔王が吠えてくる。俺だって、会えるなら、それに越したことはない。
直接話したい事はいっぱいあった。まずはごめんなさいを言って。もう大丈夫、そして行ってきます。伝える言葉を考えるだけで再び目頭が潤い。隠すように指で拭く。
(うんうん。つまりサガミンは、両親には会いたいけど、友達と別れたくはないんだ)
「まぁ、そんな感じです。我儘ですよね」
酷く要約をされたが間違いではない。するとギャルは「めっちゃ分かるわー」と頻りに頷きながら、親の都合で転校した時にそんな気持ちだったと教えてくれる。
異世界転移と転校は一緒なのかな。疑問に思うも、子供の視点では、別世界に行くのと変わらないのかもと考えた。
(お別れってつらたんだもんね。ウチも友達を一緒に連れて行きたいって泣いたわ)
「……っ! 頭ハッピーセットな考えだけど、その手もあるのか」
(えっ唐突にディスられてびっくり)
アサギリさんの悲しい思い出は、俺に革命的な発想をもたらした。
もし日本へ帰るのが俺だけであれば、まず詰みだろう。この世界に戻る術は消える。けれど一緒にイグニスが居ればどうか。
今回で異世界渡りの方法を学習すれば、再現も不可能ではないはず。つまり帰宅を果たしながら、また冒険に出られるのだ。
「凄い。悩みがサクッと解決したぞ。ギャルの英知マジぱねぇ」
要相談ではあるが、それ故に打ち明けるタイミングと好感度が重要になるだろう。
魔女は隠れて日本語を覚えているほど地球に興味ありありだ。とはいえ土下座や一生のお願い程度では付いてきてくれるか微妙なところで。
(お前さんは、すでに使い過ぎたものな)
「ならば俺がこの休暇でやるべきは、イグニスお持ち帰り計画を練って実行することか。まず酒で酔わせることは必須だな」
(言い方が最低なんですけど!?)




